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鏡のない国とふしぎな回転扉

鏡のない国とふしぎな回転扉


ある領土に、すこしかわった王さまが住んでいました。自分の領土に住むひとびとは、鏡を持ってはいけない、というおふれを出していたのです。

それで昔からこの領土に住む人々は、鏡というものを見たことがありませんでしたし、鏡に自分の姿を映しだしたこともありませんでした。したがってみなは自分の顔というものを、知りませんでした。

領土に住むひとびとはめいめい、自分の顔を人には見られているけれど、自分自身では一生、知ることがない、というわけです。


王さまはいったい、なぜそんなおふれを出したというのでしょう。なんでも、鏡などというものがなくたって、人は生きて行けるし、そのほうが仕事にも熱心に打ち込める、という理由だそうでした。


鏡をつくらない、ということにかけて、王さまはまったくぬかりがありませんでした。たとえば湖や池など、自然と姿の映し出されるものまで、この国にはいっさいつくらせないようにしていました。川も、ひじょうに流れが急で、姿など映る余地のないものばかりにしておりましたし、雨が降って道に水たまりが出来ると、けらいたちをいっせいに召しあつめ、すぐさま国ぢゅうから水をうち払わせ、一滴のこらず汲みとらせてしまうほどでした。領土内で使われる食器――スプーンやナイフも、金属製のものはすべてごはっとで、木製のものにかぎられていました。

 

 

さて王さまには、四人の王子さまがありました。

一番上の王子は、それはたいそう王さま似でした。

二番目の王子も王さまに似ていましたが、一番上の王子より、すこしだけお妃さま似でした。

三番目の王子は、二番目の王子よりもっとお妃さま似でした。

四番目の王子は、たいそうお妃さま似で、王さまにはほとんど似たところがありませんでした。


一番上の王子は、植物を育てたり切った木で木工をするのが好きで、木の種類や花の名をよく知っていました。

二番目の王子は、お話を作ったり聞いたりするのが幼い頃から好きで、兄弟の中ではいっとう本も数多く読んでいました。

三番目の王子は、子ども時代から音楽がとても好きでした。自分でも、ヴァイオリンを弾くことが出来ました。

四番目の王子は、甘えん坊でそれはとてもかわいらしい性格なので、誰にでも好かれていました。

 

四人は大変仲がよく、ひとりで過ごすほんの数時間以外は、たいてい広い城の庭のなかでいっしょに遊んでくらしていました。

城の庭のまんなかには、白樺にまるくかこまれた、たいそう気持ちのよいひだまりがあって、白い円卓のまわりを、木の切り株が四つほど、輪になってとりかこんでいました。もちろんこれは、王子たちの座る椅子でした。王子たちは馬に乗ったり、行列して城下を巡り歩いたりしたあと、たいていいつもここに来てこしかけ、みんなでおやつを食べたりチェスをしながらおしゃべりし合っていました。

 

「それにしても」一番上の王子がお菓子をほおばりながらいいました。
「どうしてぼくたちの国には、鏡ってものがないのだろうな」
「王さまは、がんこだからな。とはいえ、いったい自分がどういう姿をし、どういう顔をしているのか、きみたちは気になったことがないかい?」二番目の王子がいいました。
「それはあるさ。何だか大人になってくるにつれて、かえってよけいに気になるほどだ」三番目の王子がいいました。
「この前、となりの国からぼくとおない年くらいのお姫さまが遊びに来たとき、手をとってダンスをしようと思ったけれど、ふとぼくはこんなにかわいいお姫さまと踊るほどのかわいい王子かしらんと思って、やめてしまったよ」末の王子がそういって笑いました。


「おまえは可愛いやつさ。ぼくらにはよく見えている」三番目の王子がほほえんで、となりの末子にそう言ってから、
「だけどそういうぼくには自分がわからない。たとえばぼくには、兄さんと、つぎの兄さんと、弟の顔はこうして見えているけれど、自分の顔はわからないから、いったいこのぼくは、どういう姿形をしているのだろうと、いつもふと想像するばかりなんだぜ。ひとびとは、ぼくたち兄弟が、じゅんぐりに王さま似からお妃似へと移っていくようだと、ひどく感心しているくらいだから、きっとぼくは、二番目の兄さんと弟の、間のような顔なんだろうなぁとは思うけれど、それはいつも想像するだけで、はっきりとはわからない。だのに、ふしぎなことに兄さんたちは、そして弟も、このぼくの顔をよく知っているんだろう?」


「知っているさ」末っ子の王子はこたえると、にこにこ笑いながら言いました。


「こうして見てるとほんとうに兄さんは、二番目の兄さんよりももっと、お妃さま似だよ。でもそういうぼくは、兄さんよりもっとお妃似だよといわれても、それでは自分がどんなに、お妃似なのかは、やっぱりわからないや。自分にだけは自分が見えないのだもの。いつもひとのうわさで、それを知るだけ。いったい王さまとは、どれほどかけ離れているんだろう、ぼくの顔かたちときたら」


「つくづく思うのだが、なにしろこの世で一番ふしぎなことは、この自分の顔かたちを、当の自分だけが知っていないということさ。他人にはよく見えているというのに。自分だけが、自分のほんとうの姿を知らないなんて!ぼくだって、他の全てのものの姿は、こんなによく見えているのだが…」二番目の兄がため息をついていいました。

みんなはいっせいに、うなづき合いました。
「ただぼくらの姿は、たしかにたがいによく似ていそうだね。顔のことはほんとうにわからない。そう、からだのすべてを完全にはわからないけれど…なにしろ自分の顔のぶんだけは、ぽっかりと知識が抜けおちているのだから。けれども足の長さや、だいたいの骨格は想像しやすい気がするよ。からだの方は、自分でもある程度、見えているからね、ほらこうして...」

三番目の王子はそう言うと、自分の眼下を見おろして、切り株の椅子に座ったまま、青いうつくしいズボンとブーツをはいた、長い足をもちあげてみました。


「いっとう上の兄さんが、ぼくよりいくらかだけど太っていて、なんだか下へ行くほど少しずつ、やせていくようだね」二番目の兄さんが、みんなを見わたしながら、言いました。そしてこんどは自分のからだをゆっくり見下ろすと、
「ほら、こうしてながめていると自分でもある程度は見えるが、ぼくの脚は兄さんより少しだけ細そうだ。胸回りもきっとそうなのだろう」
三番目の王子と末っ子の王子も、一番上と二番目の王子とをかわりばんこに見くらべながら、うなずいています。
「だがそれにしても、一度は自分で自分のすべてを見てみたいものだな」一番上の王子はそう言うと、ふと立ち上がりました。

するとみんなもつぎつぎに立ち上がりました。


「どこかで鏡を手に入れることはできないものかな!」末っ子の王子が、さすがにすこしいらいらした調子でいいました。
「ああそうだ。そういえばいつか、王さまは、城の地下に魔法使いをかくまっていると聞いたっけ。そいつをぼくらで、たずねてみようじゃないか」三番目の王子がさけびました。


「地下のいったいどのあたりだい?」みんながききました。
「それはわからないけれど、王さまに気づかれないように、さがしてみよう」

 

そんなわけで、四人の王子たちは城の地下巡りをひそかにはじめることにしたのでした。

 

王子たちはその日以来、すっかり夜もふけた頃になるとみんなでひっそり起きてきて、ろうそくの灯火だけをたよりに、城の地下をこっそり巡るようになりました。

けれどもいっこうに魔法使いの棲む部屋を見つけ出すことは出来ませんでした。

 

王子たちはある晩、一番末っ子の部屋にあつまると、いっとう信頼のおける女の召使いを、部屋に呼びつけてたずねてみました。すると女の召使いがこうこたえました。
「私もはっきりとはぞんじませんが、うわさによると魔法使いというのは、男の人のようなのです。なんでも王さまは、城のなかにひとりの溶接工(ようせつこう)をやとっておいでとのことですが、それはそれは不思議なものを、つくられる方のようです。それというのも、けして目には見えないものばかり、つくっておられるとか。けれども番人たちによると、火を吹き付ける音やら、鍛冶やのように打ちものをする音は、扉のむこうからたしかに聞こえてくるのだそうです。ひょっとすると、その方が、男の魔法使いなのかもしれません。」


「それで、その部屋はいったい地下のどの辺りなんだい?」
「なんでも地下の通路の、いっとう西の果ての、さらに向こうへうがたれた孔においでだそうで。ガス灯がひとつ、ゆらゆらとゆらめいているといううわさです」
「わかったよ。ありがとう」

兄弟たちは召使いにお礼を言って、このことはだれにも告げ口しないよう念を押すと、召使いを下がらせ、みんなで顔を見あわせてうちあわせました。

 

 

次の晩でした。四人の王子の兄弟は、王さまとお妃さまが床に就かれてしばらくしたあと、また末の子の部屋に集まりました。そうしてこっそりしのび足で夜ふけの廊下を歩いていき、ほの暗い地下路の西の突き当たりへとたどりつきました。

と、そこは古い白亜の壁で塗りかためられておりましたが、よくよく目を凝らしてみると、その隅にはちょうど人ひとり分の大きさのひび割れがあり、四人のうちのひとりがためしに壁に身体を押しつけてみると、なんと、ぐうるりと回ってすきまが開いたではありませんか。

四人はどきどきしながら、洞窟のように真っ暗な中をしばらく進むと、召使いの言うとおり、奥にガス灯があやしげにゆらめいていました。...耳を澄ますと、こんな夜中でもなにやら鉱物に焼きを入れる音がしています。


コツコツ、扉を叩きますと、鍛冶の音がやんで、暗い部屋の中から、がいこつさながらの顔をした男が出てきました。が、その体つきはさすがにたいそう頑丈そうでした。


「これはこれは、王子さまがた。この夜ふけに何のごようで」男が低い声でいいながら、四人の王子を中へ通しました。


「おまえは、何でも作れるのかい?」一番上の王子がたずねました。
「さよう。目に見えぬものなら、何でもお望み通りに」男はこたえました。


「ぼくらの国には、知っての通り、鏡というものがどこにもないのだが、おまえは鏡をつくれるかい?」二番目の王子がききました。
「鏡ならかんたんにつくれますが、この国ではつくってはいけないことになっております。ですからこの国にかくまわれて以来、鏡はつくってはおりません。しかし、私のつくれるものは、正確には鏡ではありません」
「というと?」三番目の王子が首をかしげました。
「ここ以外のあらゆる国で、いえ、世界中の国々で使われている鏡というものは、どうしても実物とは左右が反対に映し出されるのですが、私のつくるものは、はじめから左右反対ではありません。つまり、実物そのものの像が映し出されます」
「つまりそれが、魔法なのかい?」末っ子の王子が目をまるくしていいました。


「なに、そんなことは訳もございません。それどころか、そいつは目に見えないし、触わってもわからない、まるで空気とそっくりのものなので、見ていることも、持っていることも、使っていることも、まったく人にわかられずにすむのです」
それを聞いて、四人はほんとうにびっくりしてしまいました。


「今ちょうど、おもしろいものをつくろうとしているところでございます」溶接工の男はすこしかしこまって言いました。
「いつでもどこでもたずさえていける、伸びちぢみ自由、折りたたみ自在の、色々な世界を映し出す回転扉でございます。といっても、繰り返しますがこれは、正像を映すものですし、目にも見えなければ、ひとが触ってもわからない、まったく自由な代物ですので、正確には鏡とはよばないのですが」
「それはいったい、どんなかたちのですか」
「みせてください!」みんなは口々にいいました。


「いえいえ。まだつくってはおりません。というのも、けして<出来あい>のものではないのです。なにしろ、ひとりひとりに合わせてつくらなければなりませんのでな。...おつくりしましょうか?」


「ええぜひ!」王子たちはくちぐちにさけびました。


「では、ひとりひとり、からだをおかしくださいませ」男はこう、奇妙なことを言いました。

そして目には見えない、何かやわらかそうなものを持ってくると、ひとりひとりの王子を部屋のまん中に立たせ、そのからだに何かを当て、それぞれの<かたどり>をつくりました。


「こいつはいわば、浮彫(レリーフ)の反対のようなもの。ちょうど今かたどったみなさんのお姿のぶん、凹(へこ)んだしろものでして。もちろん、この凸凹(でこぼこ)は裏返しにもなりますが。さてこいつはやがて、私の魔法ひとつで伸びちぢみ自由、折りたたみ自在なものとなります。これをもとに、おひとりおひとり、すこしずつちがったものを、おつくりいたします」


そういうなり、男はさっきつくったうちひとつの凹んだかたどりを軸に、魔法の杖をふりあげ、宙にぐるりとひとまわりさせると、同じ動作を四度ほど繰り返し、あっという間に何か目に見えない、すこしずつ異なった四つのものを、つくりあげました。

 

「できました。こいつで…」溶接工の魔法使いは、その見えない何かをそれぞれ王子たちに手わたしました。

しかし、四人には何も見えないばかりか、何にも触れた気がしませんでした。

魔法使いはひとりひとりの王子のかたわらに立つと、手をかしてやり、今つくった<何か>を床に突き立てるような仕草をし、そのたび、王子たちに手招きして、めいめい一歩前へ立たせました。そして王子たちが、男の指示する、びみょうなある地点までちょうど歩み寄った時、
「ほうっ!」とさけんで杖を上下させたのでした。


「さあ、これでできました。立つも座るも、寝るも踊るも、もう自由です」男が言いました。
そうしてしばらくした時です。
「あっ。ぼくの姿が見えた!」一番上の兄がさけびました。

他の王子たちはおどろいて一番上の兄のほうを見ました。ところが、他の兄弟たちには、兄の姿が映っているのがまったく見えません。
「やぁ。じつにふしぎな感覚だ!」兄がさけんでいます。
「ぼくははじめて自分の姿を見た…。ぼくはこんな顔立ちなのか。たしかに、弟たちに似ているが、王さまにはほんとうに似ている」


とそのうち、他の王子もくちぐちにさけび出しました。
「あ。目の前にだれかあらわれた。これはぼくだ」
「映った映った、これはぼくだ」
「こうしてぼくがすこしずつまわると、ぼくの像もすこしずつ動いて、自分のななめや横を向いた姿や、おや、ま後ろまでみえる。ま後ろになったぼくの姿は、まるでぐるりとひとまわりして、背中のほうからぼくにぴったりはりついたみたいだ!」などと。


けれども、不思議なことにそんなふうにそれぞれに映った像は、本人にしか見えず、他の王子には見えないのでした。自分の像は、たしかに目の前にあらわれてこちらをみつめていたり、少しずつ角度をかえながらぐるりと一回りもするのですが、自分じしんの周りにしかあらわれないようでした。


「すると、さっきまであった<まわりの景色>は、どこへ行っちゃったんだろう?」二番目の王子が、そうつぶやくなり、また「あれっ」と小さくさけびました。

 

今ちょうど、二番目の王子の目には、自分じしんの映っている像のもっと奥に、他の王子たちの、おどろいたり笑ったりしている姿も、うっすらとすこしずつ、見えはじめたのです。得意げにわらっている魔法使いの男の姿も、視界の隅に見えはじめました。そうしてそれらはふしぎなことに、意識すればするほど、もっとはっきりと見えてきます。と同時に、さっきまではっきりと映し出されていた、初めて見る自分じしんの姿のほうは、どんどんと薄くなっていきました。


「おや。せっかくあらわれた自分の姿が、見るまに消えていく!」今度は三番目の王子のさけぶ声がしました。(みな同じようなことを体験しているのです。)

と、さけぶやいなや、みるみるうちに、王子の目の前には、自分じしんの姿がくっきりと、ふたたび見えてきました。
「やぁ。復活した!」


「さようで。見たい、と思った像が、あらわれるのですよ」魔法使いの男がいいました。
風景は風景として、これまでとかわりない仕方で見ることができるのでした。が、風景よりも自分の姿をよく見たい、と思えばただちに、ほんとうなら見えないはずの自分自身の姿が浮き出てくる、そしてまた、自分よりもまわりをみたい、と思えばそちらが映り出す、というふうでした。


「自分の像が完全にはっきり見えているまま、これまでどおりな外の世界もはっきり見えている、というふうにはならないのかい?」一番上の王子がたずねました。


「ひとが、これを見たい、とねがう時、それは他のものから注意がそがれている、ということにほかなりません。このおきては、たとえ魔法使いであっても、――わざと<人の気を狂わそう>とする、わるい魔法使いなら別ですが、私自身はけしてそのつもりはありません――やぶることはゆるされてはおりません。ですから、これまで見えなかった自分自身を100%見ながら、同時に100%外の世界を見る、ということはありません。かならずどちらかがせり出せば、どちらかは薄まり、場合によってはすっかり消え入ります。」


「そういうものなのか…」二番目の王子がつぶやきました。


「そのうち、もっと驚くことがあるかもしれません」溶接工の魔法使いはそっと言いました。(が、それはみなに聞こえていないようでした。)

 

しばらくして、末の弟が、魔法使いにこうききました。
「じつは、ぼくにはさいきん、ひとつのこだわりがあって…」
「なんなりとおっしゃってください」魔法使いはほほえんで言いました。


「ぼくが自分の姿を知らないとき…つまり自分の顔かたちが、まだこんな風に見えていない時から、ぼくは外の世界を見ている時に、こっそりこだわっていることがあったんです。それは、外の世界といっしょに見えていた、手前のぼやっとしたものたち…たとえばかすかにぼくの眼のまわりから突き出ていた、白く高い鼻や、くっと張ったほお骨の先、天気のいい日などによく見える、あわい、兄弟のなかでもいちばん長いとみなに言われる、ぼくのまつ毛にやどる虹色の影や、いつもひっそりと垂れているぼくのまぶしい前髪、それと、肩まで降りてみえるぼくのかわいいブロンドの巻き毛たちのことなんですけれど…。そいつらが、さっきの、もとにもどったふだんの景色の世界には、たしかありませんでした。自分の姿を映してから、ふだんの外の景色へと戻るとき、そうしたぼくのお気に入りの、みぢかなものたちはすっかり見えなくなってしまったのじゃないかしらん?なんだかすこし悲しいのです。へんなことを言って、すみません」


「いえいえ。だいじょうぶでございます。あなたはこれまで、ご自分で外の世界を見ていらした時にも、そうした<さかい目>を、ある時はつよく意識したり、逆に外部の世界の変化にうっかり気をとられて、その<さかい目>を意識するのをまったく忘れたり、なさっていたことでしょう。が、この回転扉にても、それらは同じように再現できます。そのためにこそ、私はさっき、みなさんの姿形を象(かたど)っておいたのですよ。それらはちゃんとこの装置の中にうめこまれています。この目に見えぬ回転扉の世界にだって、それらの微妙でなつかしいものもちゃんと見えます、どうぞご安心なさい」
魔法使いは言って、末の王子の肩をたたくと、太い声をあげました。


「では、あの<さかい目>のことを、意識してください。すると、それはあらわれます」


まもなく、末の王子はあっ、と声をあげました。ふとなにかが回転して、まわりの景色からかすかに自分の位置が遠のいたと思うと、外の景色と見えない自分の顔との間にあった、なつかしいあの<さかい目>たちが、ぼんやりとしたその姿をあらわしました。というよりそれはむしろ、自分の位置が、ようやくしっくりとある厚みの中におさまったという感じを、末の王子にもたらしました。————それは、自分の位置がぐるりと一回転して戻ったような感覚でした。

そうしてまた外の世界を見ると、他の兄弟たちあのいきいきとおどろく仕草が見え、すると今度は、さっき目にした<さかい目>――自分の身のまわりのなつかしいものたちが、その裏の自分とともになくほんのかすかに(心の中で)一歩下がったような、気がしてくるのでした。それは何とも言えない不思議な感覚でした。


「そうそう。<さかい目>、これさ。ぼくは、ごく身のまわりのこれが好きで、これがほしかったの!」末っ子はさけびました。

すると三番目の王子もしずかに言いました。
「たしかにこれはいいや…。ぼくはこの装置をたずさえて、ヴァイオリンを弾いてみたいものだ。楽器をかまえる姿勢が少し、気になるのですもの。楽器をあごの下にはさみながら、いつも見下ろしている、この肩の辺り。これが今まで通りに見下ろせるばかりか、まるでよその人の目で見るように、あちら側に立っている自分じしんをしっかり見つめたり、どちらも出来るのはありがたい」


「さよう。この<意識>の回転扉ひとつあれば、自分と、外との境界線上のものたちは、ただいまのように目の前の景色の方へと差し出ることも、ふっとまるきり消え去ることもできます…それだけでなく」
「ほかにもできるの?」
「自分からはこれまで見えなかった自分自身のもっと内部を、場合によっては見ることが出来ますが…、正直のところ、それはおすすめできません」魔法使いは首を振りながら、つぶやくように言いました。


さて翌朝から、王子たちはさっそくこの見えない回転扉を身につけたまま、城庭のあちこちを散歩してまわりました。

魔法使いにもらったこのプレゼントは、おもしろくておもしろくて仕方ありません。庭園のきれいな花々や、城の周囲をとりかこむ、あわくかげりをおびた森を背景に、四人の王子たちは回転扉をたずさえながら遊び回りました。なかなかにうつくしい、自分たちの姿を時おり映し出し、しげしげと見入りながら、また日射しに充ちた風景のほうを映し出し…そんなふうに、初夏のさわやかな城の敷地の中をきままに歩くのは、なんとぜいたくな気分でしょう。

おまけにこうしたぜいたくで心を満たしていることを、人には知られずにすむのですから。

だって自分たちのたずさえているこの回転扉は、目にも見えず手にも触れないのですから。

万が一、けらいたちや召使いに見られても、いいえ、たとえだれかにぶつかったところで、気づかれるはずはありません。それほどまるで空気のようで、伸びちぢみ自由な回転扉なのでしたからね。

 

 

それから数週間も経たぬうち、兄弟たちはもうこころなしか、お互い何だか心の中にかすかな秘密を持ちはじめ、顔かたちも少しずつ変わってきたような気がしました。
一番上の兄さんは、四兄弟のうちではこれといった変化がもっとも少ないようでした。

二番目の兄さんは本を読む時間がふえ、物思いにふけりやすくなりました。

三番目の兄さんはヴァイオリンの腕がやにわに上達しはじめました。

ことに末の子はたいそうおしゃれになって、まるで女の子のように髪をきれいにととのえたり、耳飾りをしたり、首飾りを毎日のようにとりかえては楽しむようになっていました。


さて、それから一年近くが経ちました。

王子たちは、暑い夏が訪れるまえに、城の外へ出て遊んでもよいということになりました。ついこのあいだ芽吹いたばかりの森や林の木々も、いつしかすっかりうつくしいエメラルド色を放ってはざわめきだち、城下の人々の垣根をつたう色とりどりのあざやかな花たちも、それはもうあふれんばかりに輝く季節になりましたもの。


王子たちはそれぞれお気に入りの馬を走らせて、城を出ました。曲がりくねった森の道を抜け、高くそびえる山のほうへとのぼっていきました。もちろん、あのふしぎな回転扉をたずさえたまま。

回転扉は伸びちぢみがまったく自由でしたので、馬に乗っていても何の支障もありません。むしろ王子たちは、馬に乗る自分たちのうつくしい姿と、またたく間にあらわれては過ぎ去る、緑まぶしい辺り一帯の景色の流れを、二重に、あるいは交互に映し出しながら、うるおいにみちた心でいっぱいでした。


「てっぺんまでのぼりつめよう」一番上の王子が言って馬にむち打つと、みんなもそれに続きました。
崖の上のほうになると、だんだんと道が細くなってきました。崖の向こうには、城下に暮らす人々の家の屋根が、お日さまの光を浴びて味わいぶかいれんが色に輝きながら、遠く森のほうへとつづいています。
「見たかい。城下のこのまばゆい景色。なんと広々としているんだろう。まるでここは、天空のようだ」
「それに、ぼくらのこの白い馬の陽の光を受けたうつくしいたてがみと、それに乗るぼくらのさっそうとした姿ときたら…それにしてもここの風は、なんと気持ちがいいんだろう。たてがみが、こんなにうれしそうにゆれている」二番目の兄さんがいいました。

 

と、その時です。
「あっ…」と小さくさけぶ声がきこえました。

みんなが振り向きますと、崖のいっとう縁にいた末の弟が、馬ごとまっさかさまに崖を落ちていくではありませんか。

 

みんなは一斉に声を上げましたが、どうすることも出来ません。弟の影はみるみる小さくなり、眼下の世界へと吸い込まれていきました。
「あぁ!」三番目の兄さんが顔を覆いました。みんなも真っ青になりました。

そしてひどくうち沈みました。

おそらく末の弟は、崖からのうつくしい光景と自分の乗り姿とを見くらべようとするうち、馬の足をすべらせてずるりと落下したのでした。————

 


それからというもの、かわいらしい弟を失い、三人になった兄弟たちは、すっかり城の外へ出るのをいやがるようになりました。それでも、あのふしぎな回転扉のことは、王さまにもお妃さまにも一切打ち明けませんでした。

 

ただ、一番上の王子だけは、回転扉をたずさえることはやめると言い出しました。だれにも言うことはありませんでしたが、あの日崖のてっぺんまで登ろうと言った自分を、心のどこかで責めているのでした。


「ぼくはもうこれだけ、自分の姿を知ったのだから、十分だ」
そういってかれはある晩、ひとり魔法使いの棲む秘密の部屋をおとずれ、ふしぎな扉は魔法使いに返してくると、それきりもう二度とこれを使うことはありませんでした。そうして、その後はというと、城にやとわれているきこりたちにまじって木を切ってはそれで家具をつくったり、庭に花を育てたりして暮らしました。

そのうち、よその国からお姫さまをもらい、お父さまお母さまと同じように、鏡のない生活にすっかりもどり、自分の姿を気にすることはまったくありませんでした。

 

二番目の王子はあれからいっそう物思いにふけるようになり、本を読みふける時間がふえました。そして色々な光景や、これまでに会ったひとびとの色々なそぶりや独得の話し方を、そして亡くなったかわいい弟のことを、思い浮かべていました。


三番目の王子はずいぶんとヴァイオリンの腕が上達していました。それはたんに技術が向上したばかりではなく、昔なじみの遙かなものに語りかける調子や、ふとした目差しに振り返りはにかむようなもつれが、ひびきの中にあらわれたかと思うと、自分をどこまでもさまたげなく見つめるような、冷めた音色をきかせるために、ふと人をおどろかせるのでした。


ある日、二番目の王子と三番目の王子が、かつてよくみんなで集まった、白樺林にかこまれた陽だまりの中に立っていました。
「この切り株の椅子に腰かけて、話をしようじゃないか。なんといってもぼくらの不思議な回転扉は、立つも座るも折りたたみ自由だからね」兄さんが笑って言いました。
「そうですね。そのことがずいぶんときままなぼくの役に立っていますよ」弟もそういって笑いながら、切り株の椅子に腰をかけると、ふとさびしそうな表情をしてみせました。四つの切り株のうち、今では二つが空いていました。

兄と弟の影が、ふたりの回転扉の世界の中をふとよぎりました。

「そう…。その話だが、ぼくらはまだこうして、ふしぎな回転扉のお世話になっているけれど、おまえは今いったいどんな風に使っているんだい?」兄がたずねました。
「ぼくは、ヴァイオリンを構える時以外に、自分の正像を目の前に映し出すことは、もうほとんどありません」
「じつのところ、ぼくもなんだ。最初はめずらしかった、こちらを見つめ返しているぼく自身の像は、近ごろはもうさして重要ではなくなった気がしている。けれども、ぼくには<この空間>が、まだ少し必要な気がするんだ。とくにひとが、妙な顔をしてこちらを見つめていたり、ふと何か語りかけたそうなそぶりをしているとき、自分がいまどんな表情でそこにいるのか、何を考えていたのか、ふとその瞬間をたしかめておきたい気がすることがある」兄はそう言いながら、自分の回転扉のなかに映し出される、弟のうつむき加減な、考え深い横顔をそっとのぞき見ました。そのまなざしに気づいたのか、弟もまた、自分の回転扉の中で、あたたかく自分を見やる兄にむかってほほえみました。


「ぼくもです。この、閉じているような、どこまでも開けはなたれているような、どちらともつかない空間の居心地を、もう少し大事にしていたい気がします」
兄はうなづくと、空を見上げていいました。
「それとぼくは――そういえば今はいない末の弟が、これをもらう時、あの魔法使いに念を押していたことだけれど――、自分の中と外の世界とのあの<さかい目>たちが、いつのまにか折りたたまれて消えてしまっていたり、どこかへさまよってはいつのまにか舞い戻っていたり、ぼくが身体を動かすやいなや引き伸ばされたり、そうかと思えばぼくの目のそばで、風景とぼくの中、どちらの世界にも入った切りになれないまま、ぼくにふと歩を引かせたりしながら、あの扉のなかでそっともたらし、交換してくれる色々なものを、もう少し大事にしていたいんだ」


「ぼくもです――そのとおりですよ。それでも時おり、もうそろそろお別れしても大丈夫のような気が、しなくもないが…」
「そうだな…。ぼくらの住む国は、これを失うと、もう永遠に鏡とはおさらばになるけれど、もうだいぶ心に焼きついただろうと思う。それはそうと、おまえの音楽はずいぶんと大人びたね。心がこもっている。召使いが入ったあと、時々おまえの部屋の扉がすこしばかり開いているので、聞いていると、なんだかそのヴァイオリンの音色が宙を舞う生きもののように、感じることがあるよ。しぜんと涙が出てくることもある」
「ありがとう。兄さんこそ、こつこつと自分の世界をつくっているように見える。よく机に向かっているようですが、何か書いているのですか?」
「この城の中はもちろんだが、小さい頃から時々出かけていた、城下のうっそうとした森や、木もれ日にみちた林や、どこまでもつづく明るい田園風景が、みょうになつかしく、記憶のなかで心を打つんだ。もしかすると、あれらの風景は、もうあのままでないかも知れないが、だれかが描いた、かすかに光でもやめく風景のように、ぼくの中で生き返っていつまでもあるような気がしている」
「ものがたりを書いているのですね」
兄はすこし頬を赤らめるとうなずきました。

 

弟が言いました。
「ぼくは、ひとりで弾くヴァイオリンの曲にもすばらしい曲がたくさんあるが、ピアノで伴奏のほどこされる、うつくしい詩のような世界の音楽が、時おりとても弾きたくなるのです。もちろん、それ以外の楽器と一緒に奏でられるなら、もっとうれしいのだけれど。というのも、最近少し色合いのかわったぼくの音色をきいて、音楽の家庭教師が、いままでとはちがった雰囲気の曲を、いくつかぼくに教えてくれました。それはまた、どこかもどかしいような、なじみ深いようでいて遠く謎めいた世界のような、そしてときおりはげしい…、とにかく今までとはずいぶんちがった世界なのです。それで、城の外へ出て、ぜひ音楽会をしてみたいんです」
兄はしきりとうなづいていました。そしてそれはまもなく、ほんとうのことになりました。


それから半年が経ちました。

ある日、二番目の王子が魔法使いに回転扉をそっと返しに行きました。かれは魔法使いにお礼をいいました。自然とお礼の言葉が口を突いて出たのです。そして自分の書いた詩を一冊、魔法使いのもとに置いていきました。そうしてその後は、またいっそうひとり部屋にこもってノートに何かを書き付ける日々が多くなりました。

それからさらにまた半年が経ちました。今度は、三番目の王子が魔法使いに回転扉を返しに行きました。彼もまた魔法使いにたいそう感謝していました。
かれは、かれのかなでる音楽がたいそう生き生きとしはじめたことと、あのふしぎな回転扉が自分に与えてくれた半分秘密の、そして半分は容赦なくさらけ出された世界とが、まるで無関係であるとは思えないことを、魔法使いに伝えました。それでやはり弟をうしなったにもかかわらず、お礼を言ったのでした。

 

それからまもなくのこと、あの洞窟の奥の魔法使いの部屋の前にゆれていたガス灯の炎は消え、また中から鍛冶の音のすることは、もうありませんでした。

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