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地上の好きな天使 第二章第2話
第二章

第2話 天使のパドがカデシさんのアトリエに降りてかわす秘密の話

お空の天使は、きょうも雲のうえで、いつもの鼻歌をうたっています。
「フンフン、だれかがよんでいる
 フンフン、だれかがさがしてる
 フンフン、だれかがおもいだす
 みえない天使 パドのこと!
 地上のおつかい、ありませんかあ?」

けさのパドの雲のざぶとんは、いつもよりあつぼったくて、底がたいらで、なんだかおたまじゃくしみたいです。
低いお山のまわりには、ソフトクリームの入道雲を、いくつもいくつもつみかさね、高いお山には、生クリームをミキサーで思いっ切りかきまわしたような、うず巻もようのお帽子を、ちょこんとのせてきました。つり糸を、猛スピードでぐるぐる回して!
たいくつなお空の仕事は、ようやくひとだんらく。いよいよ、パドのなによりお気に入りの、チッポルの丘のある村がみえてきました。

夏をま近にひかえて、丘のうえもそのまわりも、エメラルド色のやんわりとした光から、ふかい、しっとりとこけ色のかげりを帯びたみどりへと、色の階段をすこしずつ、おりはじめています。

パドは、丘のま上にやってくると、いつものように光の帯のほし物を、まずまっすぐにたらしました。それから、ざぶとんの雲がおひさまをかくすその瞬間をみはからって、原っぱめがけて光の網を、えい、と投げかけました。網のすそが、チッポルの村のはずれまでいきわたるよう、気をつけながら。
やあ、いま、ムラル山脈のはんたいがわ、竜の八人兄弟のなかで、一番高いお山といわれるジムリ岳が、パドの雲にむかってごくろうさん、って手を振っています。ハンカチの雲をひとすじ、ゆっくりとたなびかせながら。

ジムリ岳のふもとには、ポツンとひとつ、オレンジ屋根の光の粒がみえてきました。ちょうどチッポルの丘からのびる、じぐざぐの小道をたどって行きつくさきに。
そう、パドの大好きなカデシさんの家です。
アトリエの塔のてっぺんでは、風見鶏がくるくるまわって、パドのご機嫌をうかがっています。

「カデシさん、きょうはどうしてるかな? みてみようっと。」

パドは雲のポケットから望遠鏡をとりだすと、はるかむこう、オレンジのとんがり屋根の下をのぞいてみました。
色とりどりの絵画がずらりとならんでいます。そのまんなかで、いつものベレー帽をななめにかぶったカデシさんが、パイプをくわえてまっ白いカンバスに向かいあったまま、じっとしています。

……いったい、どうしたんでしょう?

パドは知ってます。こういう時、カデシさんは、パドが降りてくるのを待っているんですよ。
いま、カデシさんは、描きたいものをソラでなぞっているのです。もっとはっきりするまで、待っているのです。
パドがゆっくりと宙返りしながら舞い降りる時、‘それ’がはっきりします。……形をとるのです。

カデシさんは、パドがつり糸でツンツン、呼びかけた場所を振りかえり、ときにはじっとそこに目をこらすひとでした。いつかは、パドが大好きな場所、ある日パドが舞い降り、カデシさんに話しかけたその場所を、絵にしてくれたこともあります。そう、チッポルの丘のある、原っぱです。 ときには、ふたりで話した中味やら、その話しかけるようすを、まわりの風景やものの形にたくして、絵にしてくれます。

じつをいうと、この雲のうえの天使に、パドって名前をつけてくれたのも、カデシさんなのでした。パドはたいそうよろこびました。なにしろ名前で呼びかけられるのは、生まれてはじめてのことでした。それまでパドは、天のくににいる他の兄弟たちと同じ、透きとおった天使、名なしのごんべえでしたもの。

パドはちかごろとくに、カデシさんのアトリエを、よくおとずれているのです。もちろん、カデシさんの、お仕事のじゃまにならぬよう、姿のないままそっと、アトリエに降り立って、絵をみせてもらうのですが。まあ、ときにはカデシさんのあたまのなかや、まぶたのうらへ入りこんで、じっとしていることもあれば、さかんにおしゃべりしてあげることも、ありますけれど。
でもそれはけっして、じゃまをしているわけではないのです。そう、天使のお仕事を、ちゃんとはたしているんですよ。パドがそうできるときは、カデシさんのお仕事の調子がのっているとき、というわけなのです。

それにしても、パドには、たったひとつ、つくづく残念なことがありました。
それというのも、パドにはまだ、はっきり面とむかって、カデシさんとお話したことがないのでした。カデシさんのなかに入り込むのではなく、かといって透きとおったままでいるのでもなく、カデシさんと、おたがい向き合って、お話したことがないのです。
もっともこれは、カデシさんにかぎらず、相手がだれでもおなじことでしたが。

向きあうことはできない…それは天使というものの、宿命のせいでもあり、人間たちの宿命のせいでもありました。 ともかく、天使にじぶんじしんの、きまった姿がないというのは、その点、ちょっとかなしいものです。

ああ、だれかパドに、しばらくの間姿をかしてくれればいいのですけど。

もしも、地上のだれかの姿をしばらくまとっていられたなら、パドは、カデシさんとごくふつうに、おしゃべりすることができるでしょう。たとえばカブリオルが、子ねこのカノンとフーガが、いつもそうしているように。

この、ふつうに、というのが、天使にはどうしてもできないのでした。

まあ、それはともかく、カデシさんはいつも、こう言ってくれます。いつでも遊びにおいで。待っているよ、って。

「ぼく、いってこよっと。」

パドは、雲のざぶとんをほっぽりだすと、じぶんのつり糸をつたって、いちもくさんにすべり降りていきました。
いえなに、ちっともかまわないんです。こうして地上とじかにつながることが、みはりなんかより、よっぽど大切でしたもの。
そう、パドが降りる時は、カデシさんのこころの中の絵が、そしてカデシさんをとりまくまわりのものすべてが、神様のねがいとひとつになる、ちょうどその時でしたから……。


チッポルの丘にそびえる、教会の塔のてっぺんに降り立ったとき、パドはもう、雲のうえにいる間のような、光の輪っかにまっ白い翼、などではありませんでした。
そう、目にみえない、そこいらぢゅうにあるもの、だったのです。

パドはね、さも以前からずっとそうでいたかのように、この辺りの風景になりすましていました。それがあんまり上手に、すっかり融けこんでいるものですから、辺りには、なんのへんてつもない光がみなぎっているだけでした。
でもよくみると、……やっぱり! それはすこし、ちがうのです。
だってパドはまったく元気よく、あちこち跳ねまわっていますもの。

チッポルの丘をとりまく野辺いちめんに、フンフン……あまずっぱい、いいにおいがしています。――クマイチゴのにおい! パドが、まきちらしたのですよ。
それからパドは、原っぱのすみでひるねしている、でこぼこのマイクロバスのまわりを、こもりうたでもささやくように、しばらく漂いました。そしてすぐ近くでうたたねしていた少年の声をかりて、わがままなたんぽぽの精たちに、いまできたばかりの、でまかせの詩を、うたってやりました。
それからパドは牧場へ飛んでいくと、無関心そうにポツンと立っているサイロのなかへ舞い込んで、またたく間に宙へ消えました。するとサイロは眠気がふっとんで、なんだか見知らぬ牧場のなかに、生まれて来たような気がしました。
と、その間にパドはもう、牧場のむこうを流れる小川の水になって輝いていますよ! おひさまの光をいっぱいに浴びながら、ラムネ色の矢をはなって、キラキラ踊っています。
黄色いセキレイたちが、パドのみちびく波形を追って、すいすい宙をとびかいます。河畔のトネリコたちも、いっしょになって梢を揺すぶり葉を鳴らしながら、まぶしそうに目をしばたたかせています。 …

ああ、地上って、なんて気持がいいんでしょう。もううれしくって、しかたありません。

わぁい、わあ〜い!

パドは村ぢゅうにとどきそうなくらい、さけびました。

…とともに、教会のま昼の鐘が、 ガラ〜ン、ガラ〜ン。 パドそっくりの声で時を告げています。

パドは空いっぱいにひろがると、ぐる〜ん、ぐる〜ん。大きならせんを描きながら、あっという間に丘をおりていきました……。


  ***


 ここは、まるでいま生まれたばかりのおとぎの国。――ふしぎな色とりどりの絵が、壁のあちこちにかかっています。
ガラスの小瓶のなかで、跳ね踊る赤いアネモネの精。 小川の岸辺におい茂るすすきの指先から、まばゆい空へとのぼっていく、虹の音譜。 オルゴールのとげだらけな円筒のうえで、玉乗りしている曲芸師の娘と、そのとなりでクモの衣装をまとってあぶなげに綱わたりする、ピエロの少年。
いちばん奥にかかった絵には、手廻しオルガンを持つ悪魔のおじいさんが、羊門のまえでうとうといねむりをし、そのむこうのかしいだ館のなかでは、魔法使いのおばあさんが、カラカラ糸車をまわしています。
べつの部屋には、たくさんの小悪魔の生徒たち。

そうして、まむかいのちいさな額縁のなかには、みょうにみなれたふたりの子ねこがはまっています。おひげにのった一匹の虫を、ふたりして横目でにらんでいます……。


「こんにちは、カデシさん。」
 パドは、カデシさんの絵のなかから、ひょっこり顔をのぞかせました。
その絵は、どこか風変りでした。
クモによく似た、黒・黄まだらの八本足の衣装をまとうピエロの少年が、クモ糸みたいに透きとおった、か細い綱をわたりながら、車輪のようにひろがる傘のホネに、コウモリの羽根をはりつけて、くるくる回しているところです。
となりには、それとちょうど対をなすように、やはりサーカスの絵がならんでかかっています。それは、まっ白い衣装をつけた曲芸の娘が、オルゴールのとげだらけな円筒のうえで、す足のまま、玉乗りの練習をしているところでした。

パドは、ピエロの少年がわたっている綱をじょうずにつたって、そっとアトリエに降りたちました。

 「カデシさん?」
「おや、パドかい? その声は? よく来てくれた! やあ、じつはもうそろそろやってくるような気がしていたんだよ。なんだか、外の景色がきゅうにうれしそうにおしゃべりし出したものだからね。さあ、おいで。」 

カデシさんは、パドの気配を感じとって、振り向かないまま、そう言いました。

「きょうはなにを描くの?」
パドはカデシさんの背中にききました。
「そうだなあ。ぜひ、パドよ。きみのような男の子が描きたいものだね。」
カデシさんは言いました。
 「わたしはいままで、きみを通して、神様からいろんな大事なものをさずかったろう? きみのようにあかるくていちずな、くったくのない子がほしいとおもえば、カブリオルがサーカス一座からぬけだして、わたしのあとをついてきた。またある日、きみのようにあいくるしい、子ねこがほしいとおもえば、きみのかしこい部分と、あどけない部分をそれぞれあわせもった、子ねこが二匹、やってきた。雨にぬれたカブリオルの学生鞄のなかから、ひょっこり顔を出したんだ。
そう、……こんどはぜひ、こころの奥にけなげな、きみのように透きとおった光をやどした、男の子がひとり、ほしいものだ。」
祈るような口調でカデシさんがそう言いました。

「だがね、パド。じつはいまわたしは、それがようやく、描きだせそうなんだよ。そう、きみを通してあらわれる、ひとりの少年。きみのまたひとつの、地上でのじっさいの姿がね。」
 「ほんとなの? それ。」 パドがおどろいてききました。
「ああ。だんだんと輪郭があらわれてくる気がするよ。とくにこのところ、きみがあししげく、ここをおとづれるようになってからは、みょうにね。なにかこう、足音のような予感がするんだ。」
「え? ほんとカデシさん! ぼく、その男の子、みてみたいよ。ほんとにぼくにそっくりかな? ねえ、会えるといいんだけど。」
「じき会えるさ。だからきょうはもうしばらく、ここでゆっくりしておいで。そのうち、きっと描きあがるよ。」
「うん、きっと!……ぼく、会いたいもの。」
パドは、はしゃいだ声で、ちからづよくうなづいたとおもうと、ふとしばらくだまりこみました。

やがて、めずらしくおもいつめた口調で、パドったらこんなことを言いはじめました。
 「カデシさん……。ぼく…、まもなくぼくを映してここにあらわれることになるかもしれないっていう、その男の子に、ずっと、ずっとなっていたいな。その男の子にすっかり入りこんだら、いっそのこと、そのままその子になってしまいたいよ。そしてそいつのからだから、ぼくもう、ぜったいに離れないんだ。そうすれば、大好きな地上にずっといられるし、面と向かって、カデシさんや、カデシさんの家族のひとたちとお話もできる。相手をじっとみつめて、おしゃべりすることができるでしょう?」

「なんだって?」
カデシさんは、おもわずきき返しました。そしてそっと、腕組みしました。(けして、ふり向かずに…)

「ねえ、カデシさん?……ぼくね、まえにカデシさんの娘さんや、子ねこたちが、カデシさんの前にあらわれたとき、そう、つまりあの子たちのなかにぼくが入り込んで、ぼくを映し出してた間にも、そっと思ったのだけど、……どうしてぼくが入り込んだ地上のものたちは、そのままずっとぼくを宿しつづけていられないんだろう? カブリオルにしても、子ねこたちにしても、花たちや、小鳥たちや、その音楽たちにしても……。 そりゃあしばらくの間いられたり、ほんの一瞬入りこんだりはできるけど、じきにそこを離れなければならない。カデシさんのなかでさえ、永遠にいられるわけではないもの……。
ぼくが、地上にあらわれるために、その姿かたちをかりるものは、どうしてそのままずっとぼくとひとつではいられないの? またじきに、透きとおったぼくと、そのものたちの姿かたちとに、別れわかれになるのはなぜなんだろう? そのままずっと、そのなかに、ぼくは住まうことはできないのかなあ?」

「うぅん…。」 カデシさんは、考えぶかそうな声で、カンバスをみつめたままこたえました。
「地上の、なにかあるひとつのものだけに、なったままでいられる天使など、いやしないんだよ。天使ってものは、そういうものなんだ。そうじゃないかい?パド。
逆にまた、永遠に天使のままでいられる、つまりすっかり天使になり切れる、この世のものだって、ありはしない。それどころか、たいていの地上のものたちは、自分ではちっともそれとは知らずに、天使を宿しているくらいなんだ。もっともそのほうが、天使も入り込みやすいだろうがね。
さあ…だが、そんなすてきなときばかりが地上にあるわけじゃない。地上のものたちはみんな、天使だけでできているものじゃないからね。それとは別の部分も、あわせもっている。それはけして、それらをべつべつなままもってる、ってことではないけれど。ともかく、ふたつの部分をあわせもっている。
ところがある時ふと、天使の部分が、すべてをおおうんだ。ちょうど、自由なものが不自由なものをおおうように。ふっと開けて、なにかが生き生きと通じ合った気がする……。それはそれ、きみが降りてくるときさ!
……だがそれは永遠にはつづかない。きみは、別のところへも、おなじように行かれるのでなくてはならない。あるいは、また天にもどるんだ。天使に入り込まれる、わたしたちのほうも、たとえ天使が自分に宿ったのを気づいた者だって、そのままでいたくて、天使を閉じ込めようとすればするほど、逃がしてしまうのがおちだ。たいていはね……。
それらはおたがいの宿命。たったひとつ、おなじことの、おもてとうらさ。
天のものと、地上のもの。形のないものと形あるものとは、ときどきひとつになったり、また別れたりするものなんだ。さようならをしているかとおもえばまた、生まれかわってひとつになる。天使がわれわれ地上のものを、生かしてくれる。生まれかわらせてくれるんだ。そしてそのときわれわれのほうは、天使に、それぞれのいろんな姿かたちをかしてあげられる。とびきりいきいきと輝いて。
神様ではないわたしたちに、できることといえば、そのふたつが、なるべくちかく、よくむすばれるようにすることだろうね。そう、そのふたつがしょっちゅう、あるいはつよく、たしかにひとつになれるよう、ねがいたいものだね……。」

「いやだい、いやだい。」 パドはだだをこねました。
「ぼく、ずっと、これから会えるその子のなかにいて、ずっとそいつの姿かたちのままでいるんだい! ぼくもう、透きとおってるのなんて、いやだもの。」
「ほっほう。」
カデシさんはわらいました。背中がくっくっ、揺れています。
「パド。それじゃあ、まるでこれからここへやって来るにちがいない、だれかさんとおんなじようじゃないか。そうそう、ちょうどいまごろ、その子もこう言ってるのにちがいないよ。 いやだい、いやだい、こんな不自由なからだなんか、もうまったく透きとおって、お空へ消えてしまいたい。なんだってぼく、こんなところに、とじこもってなけりゃならないのさ。ここをぬけだして、ほかのところへ生まれかわりたいよ。ぼく、どうして、天使に生まれてこなかったんだろ? 天使みたいに、羽根でもはえて、自由にいろんなところをさまよえたらなあ。どんな世界のなかへも、すっぽり入りこめたらなあ! このからだが、光のように、空気のように、見えなくなるくらい透きとおって!……なんてね。
はて。いったい、そう言ってるのは、どこのだれかな? いまごろ、どこでなにをしているのかな? ふっふっ。」
カデシさんは、パイプをはなして、口でぷっぷか、輪っかをつくり、アトリエのたかい天井へほどいていきました。

 「なにいってるのさ? それじゃ、まったくぼくのと反対のおねがいだい!」
天使のパドがすこしむきになって言いました。

 「いや…そんなことはない。反対だが、じつはおなじひとつのねがいごとさ。」
カデシさんがすましてこたえました。
「そう思うのは無理もないと、わたしも思うがね……。だが、パド。それはやっぱり、どうしようもない、かなわぬねがいだ。 そう……。われわれ地上のものが、かぎりのない、まったく自由な、透きとおった存在になろうとするのが、無理なねがいなのとおなじように、もしも天使が、地上のなにかひとつの、きまりきった姿かたちのままでいようとしたり、それを自分じしんの姿にひとりじめしてしまおうとするのは、けっきょくは無理なねがいなんだ。もし天使が、むりやりそうしたとすれば、そいつはきっとたちまち「天使」では、いられなくなってしまうだろう。そう、もう二度と透きとおったものに、還(かえ)れなくなってしまうんだよ。」
「じゃぁもう、ぼく、還(かえ)れなくたっていいよ。地上の、形があるもののほうが、ぼくはよっぽど好きだもの。透きとおったものになんか、もどれなくったって、かまわないやい!」
「ふぅむ…。ほんとうに、そうかな?」
カデシさんはゆっくりと聞き返しました。
「いいかい、パド。きみが地上を好きなのは、いったい自由にいろんな場所にただよったり、いろんなものの姿に、あちこちで生まれ変われるからじゃぁないのかい?
もし、たったひとつにからだをきめられて、ほかのかたちのなかへは、いままでのようにそうかんたんに入りこめなくなってしまったとしても、それでももとどおり、透きとおったものに、もどりたくなることなどないと、言い切れるかね?
だいいち、そんなふうに、天使が天使としての役目をすててしまったら、地上の、できるだけ多くの、いろんなちがった人間や生きものが、それぞれに、たとえ一瞬でも天使そっくりに生まれ変わる、そんな機会を、あらかじめすっかりうばってしまい、その分だれか一人だけがその権利を持っていることにもなるんだよ。そうしてパド、きみじしんも、もうほかのいろんなすばらしいもののこころをうごかしたり、そこいらじゅうのすてきなかたちをとることもできなくなる。しあわせなうた声をそこらぢゅうにまき散らすことも、できなくなるんだ。それでもいいのかい?」

 天使のパドは、もうそれ以上なにも言いませんでした。

「ああ……。そうだ、だがパド。わたしに、ちょっとした名案があるよ。それはもちろん、けして永遠に、というわけにはいかないけれど、うまくすると、これからきみは、だれかひとりのなかにしばらく宿ったままで、しかも自由にいろんな場所やほかのひとたちのなかへも同時に出入りする、ってことが、できるかもしれないよ。
きみはひとつのきまったところに閉じ込められずにこれまでどおり自由でいて、しかもあるひとりのこころのなかに、住まうんだ。」
「え? そんなこと、ほんとにできるの?カデシさん。」
パドは息をのみました。
「もちろん、たったひとつだけにきみが閉じこもらない、っていうのが、条件だよ。つまり、こういうことさ。きみには、いわば分身の術をつかってもらうわけなんだ。ひとつのところにいたまま、同時にいろんなところにもいられるようにだ。いいかい?」
「それぁもう、いいにきまってるさ。」
パドは自信たっぷりにいいました。

「ね、カデシさん! ぼく思いだした。じつをいうとそういうことは、ぼくの<おおとくい>だったんだ。うっかりわすれるところだった! ねぇきいてよ、カデシさん。そういや、いままでだってぼく、分身の術なんて、しょっちゅう使っていたんだよ!」

「ほっほう。」
カデシさんは、目をまるくしてみせました。

パドはいっそうとくいになって話します。
「地上に降りるには、ときどきそんなわざを使うことも必要なのさ。たとえばよく地上のみんなが、同じなにかを同時に見るときがあるでしょう。そんなときには、ぼくはその〈なにか〉のなかに入りこみながら、それを見てるひとりひとりの目のなかへも、いちどに入ってあげなくっちゃならないからね。」
「なるほどね。」
「それにね、カデシさん! ほんといえば、天使ってものじたい、もとはといえば分身の術でできてる生きものだ、っていってもいいくらいだよ。天のくにでは、じっさいぼくら天使の兄弟は、しじゅうそうしているもの。だからそんなの、かんたん。お手のものさ!」
「ほう! そうかい。天のくにで、分身の術ね。……そう。天のくにには、パドのような天使がたくさんいたのかい。」
カデシさんは、にこにこしながら、ちょっとおどろいてみせました。
「そうさ。みんな名もない、ぼくによく似た、透けた兄弟たち。いっしょにうまれた、神様の分身だよ。神様のひとつのからだ。
そしてぼくら兄弟は、ひとつからたくさんにわかれたり、また出会ってひとつになったりして、じょうずにたすけ合ってはたらくよ。」
「そうなのかい。天使はばらばらに、はたらいているんじゃないのかい。」
「うん。もとはひとつの、神様のからだだからね。まあ、地上のおつかいするときは、それぞれがみんなとわかれて、なにかの形にきまるけれどね。
でも天使は何人かと組んで降りるときも、ときにはあるよ。
ぼくなんかは、天のくにより、どっちかというと地上のほうがすきだから、よくみんなからはなれて雲にのっては、地上のだれかに気づいてもらいたくってうずうずしながら、つり糸をたらすけど、あまりそうしない兄弟もいるよ。かれらは地上のおつかいが、好きじゃないのかな?…… 
ぼくは、じきカデシさんとつながって、パドって名前をもらったし、そのときから雲のうえでは――つまり天と地上のあいだでは、――カデシさんやまわりのみんなが想像するとおりの姿、光の輪っかに白い羽根を、うっすらと帯びていることもあるけど、そんな仮りの衣装なんか、ちっともまとわないやつもいる。そう、いつまでも名もない、目に見えない、透きとおったままのやつだって、いるんだ。きっとそのほうが、神様に近いと思っているんだね。」
「ふぅむ。…それがほんとに神様に近いかどうかは、わからないけどね」
「そう。ともかくまぁそういうやつらもいる。たまに地上に降りたとしても、そういうやつは、むずかしい文字のすきまにもぐったり、あまり形のはっきりしないものに入り込む。そう、雰囲気とか、音楽だとか、ことばだとかってやつにね。」

「そういうわけかい。」
カデシさんはゆっくりとうなずきました。
 
「ってわけで、まあともかく、ぼく分身の術はお手のものさ。まかしてよ!」
パドはたいそういばって言うと、いよいよわくわくして、こうききました。

「それじゃあ、そいつひとりだけの中に閉じこもらないって約束すれば、そいつんところにしばらくいてもいいんだね?」
 「そう、まあしばらくの間。いつもより、すこしは長くね。」
カデシさんが、あごのおひげをこすりこすり、こたえました。
「わあい、わあい!」
「うむ…。といっても、どれだけ長くいられるかは、たぶんこれからあらわれる、その子の〈具合〉によるけれどもね。…でもまあ、それはきっと、だいじょうぶだろう。 というのも、その子は、天使がそっと自分のなかに入りこんだのにもし気づいても、しばらく天使に逃げられずにいられる、ちょっとふしぎな、やんわりとした心の術を、こころえているやつかもしれないんだ。
つまり天使をひとり占めせず、そのあたりに自由にさせたまま、自分のもうひとつの部分とも一心同体でいてもらう、そんなちょっとしたやわらかい魔法を、自分にかけることができるってことかもしれないんだがね…。」
カデシさんは、うなずきながらそう言うと、きゅうにポンと手をたたきました。

「 ……そうそう! それと、そのなかに、きみがすこしでも長くいることがゆるされるように、わたしがいまからちょっとしたさいくをしよう。夢のなかのようなね。
それは、ちょうどシャボン玉が、しばらくはじけずに宙をおよいでいるくらい、むずかしいことかもしれないんだけれど…、どうだい。やってみるかい?」

「やるよやるよ!」
パドは、はしゃぎ声をあげました。
「ふむ。そのためにはパド。まずきみに、これからちょっとした冒険をしてもらおう……。そうそう、きみにも、それからきみと合体してもらう、あいぼうにも。」
「あいぼう?」 パドは聞き返しました。
「そう。これからこのアトリエにやってくる、だれかさんのなかに、きみといっしょにしばらく入り込んでもらう、ちいさなやつだよ。だれかさんのなかの、天使でない、もうひとつの部分になって、はたらくやつさ。」
カデシさんが言いました。

その背中の後ろで、パドは首をかしげました。
「ぼくといっしょに入るやつ……。もうひとつの部分……。
ねえねえ、カデシさん! じゃあそいつが、だれかさんって男の子のなかで、そのイッシンドウタイっていうのになるために、ぼくと組むやつなの?」
パドが、むずかしそうに口をゆがませながら、たずねました。

「……まぁ、そのとおりだ。」
「そりゃすごいや。わあい! 冒険だ、冒険だ。ね、でそれは、いったいどんな冒険なの?」
あちこちはしゃぎまわって、パドは聞きました。
「絵のなかでするのさ。」
カデシさんがこたえました。
「絵のなか? 絵のなかへはいるの? それなら、いつもやってるやい。」
パドがいばりました。
「よしよし。だがね、パド。きょうのは、ただ出たり入ったりするだけじゃない。つれてきてほしいんだよ、その、ちいさなやつを。きみのわるい絵のなかから、脱け出したがっているんでね。」

「あいぼうを? ここへつれてくればいいんだね? アトリエに!」
パドは、おもわずカデシさんのベレー帽にちゃっかりのって言いました。
と、そのとたん、カデシさんがまたなにか思いついたように、ひざをたたいて言いました。
「そう。……あ、それからね、パド。きみはシャボン玉をつくるのが、とくいかい?」 「シャボン玉?うぅん…。まあたぶん……。」
「こんなふうに、つくれるかい? フッ、と息をふきかけて、虹のようなシャボン玉が生まれたら、ここがちょっとむずかしいよ……。
きみが、そのなかへ入るんだ。つくりながらだよ。こわれないように、そっとね。
シャボン玉の輪が、閉じるか閉じないかというとき、きみはそっと入り込む。そのつくり手であり、透きとおった中身であり、しかもいまにも閉じようとする、その膜じしんでもあるように……。
そしてね、気をつけなくちゃいけないのは、きみがシャボン玉に入り込んでも、〈息は吹き続けて〉いなくちゃならないんだよ。たとえ心の声で、あいぼうとおしゃべりをかわしてる間にも、ね。
これはそうとう、むずかしい技だよ。……どう、できるかい?」
「うん。ぼく、やってみるよ。」
パドがうなずきました。

「シャボン玉のなかにはね、パド、きみのあいぼうをのせるんだ。かれがきみをよく見ようとしないように、なるべくうしろからそっと付き添うように。そう、いわば見えない膜でそっと包み込むようにね。そうしてこのアトリエぢゅうを、旅行してごらん。
そのうち、シャボン玉はわたしのこのカンバスになかへすい込まれるだろう。それまでには、この絵も、仕上がっているとおもうよ。……わかったかい? パド。
それさえできれば、きみはそのあいぼうとともに、これから訪れるひとりの少年のなかに、入り込んでいられるからね。いいかい?」
「わかった。ぼく、きっとやるよ。」
パドは元気よく言いました。

と、カデシさんはもう、木炭でカンバスをそっとなぞりはじめています。……なにごともなかったように。
「カデシさん、じゃぼくきょう、ほんとにずっと、ここにいられるんだね?」
「ああ。自由にしておいで。」


   ***


アトリエぢゅうの絵を見まわすと、パドは見おぼえのある、ひとつの風景のまえにちかづいていき、つくづくながめはじめました。
それは、パドのいちばんのお気に入りでした。
あかるい、野辺の丘。――雲間から、一条の透き通った日ざしの帯がまっすぐに降りて、丘にとどいています。
丘のてっぺんには赤い屋根。塔の十字架はぽつんと、真珠色の星のようにかがやいてみえます。
「チッポルの丘だ。」
いつものように、パドはとくいそうにつぶやきました。

 むかいの壁にもうひとつ、同じくらいの大きさの額縁にはまった、ふしぎな絵が、かかっています。チッポルの丘とは、なにかまるではんたいの雰囲気をかもしています。

それは、なんとなく眠い、夏のお庭でした。
うっそうとしたしげみのまん中に、ぽっかり空いたひだまりがあります。しげみの色濃いひかげとひだまりの間には、かわいらしい、もぎとりたくなるほどおいしそうな赤い実をつけた、あんずの木が数本、並んで植わっていました。
がらんとしたそのひだまりの真ん中には、一本のハシバミの木がすっと立っていて、梢のてっぺんからおもちゃみたいな虹がかかり、お空にとどいています。
いっぽうその根もとには、これまた木陰が不気味なほどくっきり、映っていて、時間をすいこんでいます。
その奥には、おじぎしているキノコみたいな、ひからびた館がありました。それはよく見ていると、ちょっと不気味な、何本かするどく尖った塔のあるお城のようにもみえるのですが、そのうちまたまたふくらんで、傘がいくつもに枝わかれしている、おどけたキノコの姿にもどってしまうのでした。
キノコのかさのお屋根たちは、すすけたれんが色、壁はよどんだ灰色をしています。

「この館、なんだかへんだな。のびたりちぢんだりしてる」
「おやそうかい。いくらかしっぱいしたようだね」
カデシさんは、相変わらずふり向かないで、背中で言いました。

たしかに、その絵はへんでした。ツノみたいに曲がったエントツが、いっとうはじっこの屋根からくんにゃりとのびています。エントツからは、もくもくもくもく、煙が立ってみえます。 なんだか、へんな匂いがしてくるような気もします…。

館のまんなかの、一番高い風見の塔には、ニワトリのかわりに、魚の骨がつきささっています。入口の扉には、ドクロがかかり、歯をカタカタいわせてよそものの気配を知らせます。

 キノコ館の中には、巣穴めいた通路がくねくねのびて、いくつかの小部屋にわかれていました。 エントツが通じている部屋は土間になっています。土間は広くて、黒くすすけた窯の大きさときたら、人間が何十人も入れそうなほどでした。
 
さてとなりの部屋には、悪魔の子どもたちがあつまって、なにやらガヤガヤやっています。みんなまっ黒い衣装を身にまとっていて、先のとがった黒いシッポをつけ、頭にはちんちくりんのツノをはやしています。
部屋にはなにやら黄色いけむりがもうもうとたちこめているようです。

外から見える煙は、土間の窯からではなく、今はどうやらここから、エントツを通って出ているようでした。

広間では、魔法使いのおばあさんが、糸車をカラカラまわして糸をつむいでいます。
その隣には、ちいさな男の子が、ほかの悪魔の子どもたちから、ぽつんとひとり離れてすわりこみ、おばあさんのお手伝いをしています。

広間からだいぶ奥まった、オルゴールのかたちをした箱部屋には、織物をしている女の子がぽつんと座っています。
びっしりならんだオルゴールの金のくし歯のはた織り機をひとりこいでは、織物を仕立てているのです。
女の子は、まるでバレリーナのようにまっ白な衣装を身にまとっています。オルゴールのはた織機から出てくるのは、黒糸の五線譜の織物です。やがてまっ黒な悪魔の衣装に仕立てられるのでしょう。
トゲのはえた、ぜんまい仕掛けの円筒が、はた織の歯さきでぐるぐる回り、奇妙なメロディをつむぎ出しているのが、聞こえます…。

さて、キノコ小屋の外には羊門があり、かたわらには、白いあごひげをはやしたおじいさんにばけた、魔王がどっかり、腰をおろしています。シルクハットは足元におき、さもおとなしそうな顔をして、手廻しオルガンを持ったまま、うとうといねむりしています。

…… たしかにおかしな、おかしな絵です。
ほんとうをいうと、いつもこの絵をみるたび、へんなの、って、パドは思っていました。
 
でも、きょうはことのほか、ようすがおかしいんです。じっと見ていると、小屋のなかから、だれかのさけび声が聞こえてくるんですもの! 

と、そのうち、絵のすみにいたオルゴールの箱部屋の女の子が、はた織機のまえにすわったまま、胸のうえで手を組んで、なにやら祈るようなおももちで、おまじないめいた文句を、口のなかでブツブツ、つぶやきはじめたのです。
 
はてさて、それからは、いったいどうしたことでしょう。アトリエにかかっている、ほかの絵までが、ガタゴトいいはじめたではありませんか。

ひとつは、ガラスの小瓶にとじ込められた、アネモネの精の踊り子でした。ぐるぐる回ってとび跳ねながら、コルクの栓をいまにもあけようとしています。
もうひとつは、あの一対のサーカスの絵。クモの衣装を身につけた、ピエロの男の子のほうは、綱のうえでまだじっとしています。
でも、玉乗りの少女のほうは、どうでしょう?なにかもう、いてもたってもいられないというように、ステップを踏みはじめたではありませんか……。少女を乗せたオルゴールの円筒は、だんだんと速度をましながら、めまぐるしく回りはじめました。 円筒の下にずらりならんだくしの歯に、とげが当たってはじき出される音楽も、それはもうペチャクチャペチャクチャ……、おとぎばなしのメロディを、猛スピードでまくしたてています。
曲芸師の娘らしい、その玉乗りの少女は、衣装こそはたんぽぽの綿毛のように白いけれど、よくみると小瓶のなかのアネモネの精と、よく似た顔ではありませんか。
 
そういえば、キノコ小屋の奥の箱部屋にいる、はた織の少女も、いくぶん内気そうな表情はしているものの、顔だちは、ほかのふたつとそっくりでした。
少女の顔ばかりではありません。はた織機だってそうでした。曲芸の絵のなかで女の子が乗っているのとおなじ、金のオルゴールでできているんです。

はてさて。こうしてアトリエの絵をみくらべているうち、いくつかの絵が、なにか、あるひとつの糸で結ばれていそうなことに、ようやく気づきはじめるのでした。

悪魔の男の子だって、そうなのでした。それがだれかはわからないけれど、ともかく魔法使いのおばあさんの隣でコウモリ傘をつくっている、キノコ小屋の絵の小悪魔は、クモの衣装を着て綱わたりする、ピエロのこどもと、うりふたつです。

それでは、このピエロの反対側の壁で、ちいさな額縁のなかにおさまっていた、ふたりのねこは?……

ふたりのねこ! そういえば、アトリエぢゅうでいっとうかわいらしい、子ねこたちの肖像画は、どうしているでしょう?
あれれ。さっき見たときは、ふたりの子ねこはお顔をこっちに向けていて、ピンとはったおヒゲのうえをはう虫を、横目でにらんでいたはずだのに、いまはすっかり背中をむけて、ふたりして奥の景色をしきりにのぞき込んでいますよ。 いったい、どうなっているんでしょう?

「ニャワ〜ン」
「グルワ〜ン」
ふと、ふたりの子ねこは鳴き声をあげました。それぞれシッポをトントンして、いっしょけんめいカデシさんに、なにかうったえはじめましたよ。

「どうしたんだい? カノンや、フーガや?」
カデシさんは、パレットにえのぐをとく手をとめて、落ちついた声でたずねました。
「なにかあったのかい。」
というまに、ふたりのねこは振りかえるなり、いきなり絵の外へ、トン、とそろって飛びおりました。
おやまあ! いままで額縁だとばかりおもっていたのは、ほんものの、小さい出窓の窓枠でした。
カデシさんが、あそびごごろで、出窓の壁に、金のふちかざりをとりつけていたのです。
うしろの景色とみえていたのは、ほんものの、窓からみえるチッポルの丘の風景なのでした。
だいぶおぎょうぎのいい子になってきたので、このあいだから、このアトリエで遊んでもよろしい、って言われたばかりの、かわいらしい子ねこの姉妹、カノンとフーガは、ニャオ、ワオ。ご主人に、しきりになにかを知らせながら、えのぐだらけのズボンにからだをすりつけています。
それは、こう言っているのでした。
「カデシさん、いまから何かおこるよ!」
「何かがやってくる気がするわ?」
って。

 窓の外を見てみましょう。チッポルの丘を。
教会の塔のてっぺんで、十字架のお星さまがまたたいています。なにかの信号のようにも、おもえます。天使がいつも、ま上から、ツンツンするときとおなじような、あのまたたきです。天使がどきどきわくわくすると、塔のお星さまもこうしてまたたくのです。
とはいえ、いま天使さんは、雲のうえではありませんけれど。

絵のほうは、どうでしょう? 絵の中の丘は?……

振りかえりますと、ほんものそっくりのまばゆい光に照らされた丘のふもとから、ほんものそっくりにはてしなく広がる、あの原っぱを見おろすように、森をぬけ、ほんものそっくりにじぐざぐ折れた、たんぽぽの小道がこっちへむかってのびています。
その小道をたどって、おや? 虫のように、ほんのちいさいなにかの影が、えっちらおっちら、坂をのぼってやってくるではありませんか。


「とうさん!」
 おもわずそう叫んだとおもうと、天使はいつのまにまっ赤な服のひだをひらひらさせて、カデシさんのほうへ近づいていき、柔らかな白い手で、とん、とカデシさんの肩をたたいていました。
「よう。どうしたね? おさげちゃん。」
カデシさんが、いつもとちっとも変わらぬえがおで、振りむきます。
「また、おさげちゃん? カブリオルといってよ。」
女の子は元気よくさけびました。パドそっくりの声で。
「ねえ、とうさん。あたし、きょうは何だか胸がさわいでしようがないわ。」
女の子は赤いスカートのすそをまわしながら、アトリエの床を踊りあるいて言いました。

「ほんと! カブリオル。あたしもあたしも。」
「なんだか胸がどきどきするの。きっとなにかがやって来る!」
ふたりの子ねこも、口ぐちにそうさけびました。あちこち飛びはね、ちいさい鈴をチリチリいわせながら。
それはそれは、パドそっくりのはしゃぎようです。

そしてカノンとフーガと、カブリオルは、声をそろえてこう歌いはじめました。
「フンフン、なにかがよんでいる
 フンフン、なにかがさわいでる
 フンフン、なにかがやってくる?
 さてさて、それはなんでしょう!」

「きっと、それは特別の日!ふしぎな光のできごとの日!」
カノンが、茶トラのシッポを巻いて、ゆらゆらくゆらせていいました。
「きっと、天使がやってくるんだ。だれかにばけて、じゃなかった、だれかのかっこして! あたちたちんとこへやってくる!」
フーガが、おもちゃみたいにカタカタ跳ねてさわぎました。

「きっと、それは男の子よ! ほらみて、だれかが坂をのぼってる。あれはたしかに男の子。」
カブリオルは、まるで這(は)うように、カデシさんの描いた絵のなかの小道を、ゆっくりゆっくりあるいている、ひとつの影を指さしました。

「あたしには、とまっているようにみえるわ」
カノンがくびをかしげていいました。
「ちがうよ。うごいてる。あれ、虫さんだよ!」
フーガがわめきました。
「そうじゃないったら。もっと近づいておおきくなれば、わかるんだから。あれは絶対、男の子! あたしにはわかる。予感がするの!」
カブリオルは、踊りあがってそう言うなり、
「まあ! それはそうと、ほらほら。なんてことでしょう? うごいてみえる絵は、あそこだけじゃあなくってよ。ほかの絵をごらん? カノン、フーガ!」
 カブリオルは、アトリエのあちこちを指してみせました。

「いつかあたしが、このうちにやって来たときとおなじ。胸がわくわく! なにもかも、そっくりだわ。ほら、その証拠に、あのときとおなじ、ガラスの小瓶の踊り子が、むやみとくるくる回っているし、サーカスの少女だって、さっきまではまるで憑かれたように、玉乗りしてるとおもったら、いまにもやめて、曲芸団の列から脱けだしそうよ! おつぎは、ほらあそこ。魔王の学校の地下室にとじこもってる、妖精の女の子なんか、いまは気もそぞろ。たましいの脱けがらみたいになって、すわっているわ。もう手も足もうごかしてはいないのに、はた織機だけが、パタパタからまわりしているの!」
「ほんとだ、ほんとだ。」
「おまけにみんな、カブリオルに似てる!」
カノンもフーガも、目をさらのようにしています。

「そうさ。たしかに、なにもかも、あの日とそっくり。」
カデシさんは、パイプを片手に、満足そうにうなづいています。
「そっくりどころか、それ以上よ。あたしが、こんど来るのは男の子だっていうのも、このせいだわ。みて!」
カブリオルは、ピエロの坊やを指さしました。
さっきまで、宙にピタリととまったままのはずだったのに、いつのまに、あぶなげな足どりで、すこしづつ、綱わたりをはじめているのです。そのうしろでは、糸車と、コウモリ傘のホネがくるくる回っています。……
カノンもフーガも息をのみ、すっかりくぎづけになってこれに見入っています。

クモの衣装のピエロの子どもは、じりじりと、やっとのことで、透きとおった綱のまんなかまで、たどりついたとおもうと、いきなりパッ、とひとつ、ひらめくような宙返り!……

と、そのとき、ぐらぐらっ。綱がおおきくゆさぶられました。 
「あ!」
「あぶない!」
カノンとフーガと、カブリオルが、あわててその絵に駆けよると、

おや?……
ピエロはいまにも落っこちそうなかっこうのまま、とまっています。身うごきひとつしていません。 まっ赤な口は、わらってはいますけれど、さっきからおんなじ大きさのまま、ちっとも変わりません。
でもなにか、変わったような気がするんだけど? 
もとどおりのかっこうはしていても、ピエロはもう、すっかりたましいの脱けがらのようになって、しずんでいます。

「ちがうったら! みんな。ぼくだよ、宙がえりしたのは。」
パドそっくりのわらい声が、どこからともなく呼んでいます。
みんながきょろきょろ、あたりをさがしていますと、さっき見入った絵のなかで、ゆらゆらしていたわたり綱をつたって、一匹のクモの坊やがはいだしてくるなり、たったいま、つむいだじぶんのたて糸を一本、ツッゥ、とつたい降りてきました。

 「あっ、こないだのクモさんだ。」
カノンとフーガが声をそろえてさけびました。
「あはは。また会えたね。」
「なあんだ、あんただったの。」
カブリオルは、ちょっと肩をおとして言いました。
「がっかりさせてしまいましたね。まあ、ひとつよろしく。」
クモの坊やは、パドそっくりに、じつにさっぱりあいさつすると、目のまえにせまっている、ピエロと玉乗り娘の絵を、かわりばんこにしげしげながめました。

「それはそうと、」 と、しばらくしてクモは、もったいぶって前足を組みながら、
「だれかがこのアトリエにやってくるって、知ってるかい?」 そうカノンとフーガとカブリオルに、たずねました。
「知らないけど、そんな気がしたわ!」
「気がしたわ!」
「でもそれ、いったいだあれ?」
みんなは口ぐちにきき返します。

カデシさんは、お口をゆがませてわらっています。
カンバスには、木炭で、うっすらとけぶたげなひとりの少年のデッサンが、おおざっぱに描きかけてありました。そのうえにいま、すこしづつ、つよい線がくわえられています……。

カンバスのあちこちをはしりまわる、木炭筆のむこうがわから、男の子らしい輪郭が、だんだんとはっきり、浮かびあがってきます。
少年の身なりはきたならしく、シャツにはかすかなしま模様が、はいっているようですが、すすけてはっきりとはわかりません。でも、その顔は小川の水のようにすみきっています。
なかでもその瞳は、ひたひたと遠くをみつめ、まるでそのむこうにあるなにかを、いっしんに すかし見 しているようです。

さて、しかしみんなは、そんなことも知らず、しきりにさわぎのつづきをしています。

「たったいま、ぼくは耳をすまして、いろいろと聞いてきたばかりなんだ。この、アトリエぢゅうの絵がささやきかける、内緒話をね!」
クモの坊やが言っています。
「で、いまからぼくは、〈クモになって〉、小悪魔とそっくりのなりをして、ある男の子をたすけに行こうとおもうんだ。」

「クモになって!?」
フーガがすっとんきょうなわめき声をあげました。
「クモになって…って、はじめっからクモじゃないの。」
カノンも、すかさず言いました。

「やあ、まちがった。そうだっけ! あんまりこうふんして、もともとじぶんが何だったのかも、わすれちまった。」
パドの声をしたクモは、とぼけたべんかいをすると、しばらくだまって、ひと息つきました。

カデシさんの肩が、なんだかくっ、くっ、ゆれてみえます。
カブリオルも、おもわずけらけらわらいました。

「ともかく…」
と、クモはあたまをかきながら、カデシさんのほうへ近づいて行くと、
「ねえ、カデシさん。ちょっとだけ、これかして!」
そう言って、えかきさんからいそいでパイプをかりました。

クモはあっという間に、キノコ館の絵のまえにやってくると、エントツからでてくるあやしげなけむりを、よくよくみつめ出しました。
黄色いけむりは、それはものすごいいきおいで、もくもくうごき出したとおもうと、あとからあとからミミズのような字になって、アトリエにまでわき出してきましたよ! 

けむりは、しきりに信号をおくっています。 へんちくりんの、みたこともない字です。

「ふむふむ、なんだかおもしろい!」 クモはひとりで拍手してから、カデシさんにむかってこう言いました。

「なんだか、カデシさんのいうとおりだ。絵の中から出て来たい、わがままな子は、ここにいたよ!」
「そうかい。では、たすけてあげておくれ」

……と、そのうち黄色いけむりが、もういちどもくもくこっちへやってきました。
けむりの字は、こんどは何かおねがいするように、アトリエの天井へとひたすらのぼっていきます。

「こりゃあ、たいへんだ! いそがなくっちゃ。」
〈クモの坊やは〉、そうさけぶなり、いそいでカデシさんからパイプをかりると、すぐそばにいるカブリオルにたのんで、パイプをくわえてもらいました。
「いいから、とにかくそれを吹いてよ!」
カブリオルは、言われるままに、けむりのお返事をぷっぷかぷっぷか、ふきはじめました。なにやら、わけもわからずに。


けむりは、まあじょうず! キノコ館のいっとう高いお屋根からにょっきりはえ出たエントツへ、みるみるはいっていきましたよ。
カノンとフーガは、すっかり感心して、目をぱちぱちさせながら、ピンク色したふかふかのクッションみたいな手のひらが痛くなるほど拍手しました。
うまいうまい! クモの坊やにおだてられながら、カブリオルは、まだどこか、きつねにつままれたような顔をしています。

いったい、けむりとけむりは、どんなお話をかわしあったのでしょう? けむりの交信がすむと、クモの子は肩にのって、カデシさんにパイプを返しながら、とくいそうな声でこんなことを言いました。

「カデシさん。もしかすると、じきこのアトリエ、もうひとりふえるかもしれないな。」
「そうかい。それはすてきだね。なかよくしておあげ。」

クモの子は、おおきくうなずくと、すぐさまおしりから透きとおった糸をつむぎだしました。そして、絵のなかにくんなりつき出たキノコ館のエントツに、糸のさきをとりつけました。
クモの坊やは、みるみるそれをつたってよじのぼり、すこしずつ、エントツのなかへすがたを消していきました。

そのときちょうど、アトリエの、あかりとりの小窓から、たんぽぽのわた毛がひとつ、あわ雪の踊り子のようにゆっくりとまわりながら、ふわふわ舞い降りてきました。
それは、ちょうどいま、クモの坊やが姿を消していく、キノコ館の絵のまわりを漂ったとおもうと、クモの坊やをあっという間に追い抜いて、ふっとエントツのなかへすい込まれていきました。

カノンとフーガは、いつまでも、じっとその絵に見入っていました。耳もおヒゲもピンピンはって。どきどきしながら、祈るような気持で。……


さて、カブリオルはといえば、まっ赤なスカートのすそをひらひらさせてアトリエの外へ飛びだすと、いちもくさんにたんぽぽの小道へむかっていたのです。それがあんまりすばしこくて、カノンもフーガも、ちっとも気付かなかったほどでした。


そのころ、カデシさんの描いた風景画――あのうっそうとした森をぬけ、チッポルの丘を見おろしながらじぐざぐのびる、たんぽぽの小道――をのぼっていた、虫けらのようなちいさな影は、地面にくっきりと映し出された木陰の模様と、いつしかひとつにかさなって消えていました。……


| Rei八ヶ岳高原 | 10:06 | comments(0) | trackbacks(0) | | - | - |
地上の好きな天使 第二章第1話
第二章

第1話 路上詩人オトノムがはじめて天使のパドとえかきさんのうわさを聞く話

原っぱには、何のへんてつもない光がみなぎっていました。
すべてのものがうとうと、まどろんでいます。
ただひとり、太陽だけが、まばたきもせず、すべてをじっと 見はっていました。透きとおったまなざしを、すべてのものにそそいでいました。そのまなざしに、この丘も、小川も、あたりいちめんすっぽりと くるまれています。
そうして、ここからしめだされるものは、なにひとつ ありませんでした。ただ何不自由ないあかるみだけが、どこまでもどこまでも、広がっています。

少年オトノムが、チッポルの丘をはじめておとずれたのは、クリスマスのすこしまえ。あの、小鳥たちの楽隊がお空へのぼった、光のできごとのあった日でした。
丘の広場にでくわして、オトノムはおどろきました。原っぱのうえに寝ころんだとき、もっとおどろきました。
オトノムがここにいても、なにもさしつかえありません。それくらい、オトノムは まるきりすっぽりと、このあたりの風景にはまりこんでいました。
そうしてただ、どこまでもつきあたることのない、草むらと、たかい空とが、自分といっしょにつづいていくのでした。

原っぱのまんなかに、丘がありました。そして原っぱのはずれには、一台のおんぼろバスが停まっていました。草ぼうぼうのなか、ただひとり、じっとうずくまって、バスはねむりこけています。

   *** 

さて、きょうも原っぱのうえには、こんな詩がただよっていました。こもりうたのように。

  それは 置いてきぼりの マイクロバスが からだじゅう
 くぼみだらけで かたむいたまま ポツンと うたたねしてる はらっぱだ
 まいごのねむる はらっぱだ

 ここは どこかと どこかの間
 ぼくは 昔、よそものだった?
 ――でも、いやに居心地がいいんだ――
 ほんというと、いまでもふしぎなのさ ぼくが
 あんまりすっぽりと 当てはまっていたものだから…この辺りに
 どこまでいっても つきあたらない がくぶちのなかに

詩は、ふとオトノムの口をついて出たのでしたが、なんだかとっくの昔から、原っぱのうえをただよっているようにも思えました。……

たんぽぽの種が、日ざしにすけたパラソルをまわして、オトノムの耳もとを通りすぎます。 オトノムは、すっかりさびついたマイクロバスの横に、どっかりと腰をおろしました。ここが、かれの寝床です。
あたりをみまわすと、一列のポプラ並木をはさんだ、原っぱとブナの林のあいだのあちこちを、とげだらけのイバラの蔓べがとりまいています。そこへくねくね、ヘビのように身をからませた、エビヅルの巻きひげの葉が、かみそりみたいに光って、オトノムのすわる、バスの上までとどいています。その葉さきから、ツゥーと一本の糸をつたいおりて、クモがさかだちをはじめました。
糸のさきはすこしとおくのイバラのとげにはりついて、クモはようやく足がかりをつけました。それは、だんだんと、透きとおった傘のような、五角形のわくをかたどっていきます。その傘のなかを、めまぐるしく動きまわりながら、クモは渦巻の迷路をぐるぐる、はりめぐらしていきました。
オトノムは草のうえにねそべりながら、その様子をうかがっています。
と、どこからともなく、たんぽぽのわた毛が舞い込んできました。

オトノムはまた、うたいました。うとうとしながら……。

 はらっぱだ 置いてきぼりの はらっぱだ
 迷子のねむる はらっぱだ
 おひさまに からだをすかした たんぽぽの
 わた毛がきらきら 金色の 光をはなって 舞い降りる
 サーカスの 曲芸よろしく ゆ〜らんゆらん
 道化師の 衣装をまとった アシナガグモの
 鉄条網が 待ち受けている……

 いっせいに ざわめきわたる 草のなみ
 ――透きとおった手に なぶられるよう
 緑いろの 海いちめんに こだまする
  (遠くで サイレンの音) ……
 本当に ぼくひとりなんだ ぼくはよそもの?
 ――でも居心地がいいんだ きっと生まれたときから ずっと こうしていたのさ……?

 『やあ! こんなところにいたのかい?
 (どこからか、ささやき声。おんぼろバスの 耳もとで)
  ぼくじゃあないか。不思議だなぁ?
 ぼくが、 こんなところにいたなんて。 ぼくのからだが こんなところに
 あっただなんて!
 だが、なんだかなつかしいな……
 こうしていると、そっちに 吸いとられていくようだよ』
 「いやだな、くすぐったいよ! そんなに近くでささやいては
 ――でもきみは、もう ぼくを 通りすぎて行くんだろう?」

オトノムはそう言って、とび起きました。しきりに、耳をかいているのでした。
「ああ、くすぐったかった……。だれだろう? ささやいていたのは?」
オトノムは振り返りました。風が通りすぎます。遠くで、汽笛が鳴りひびきました。

「おや?……なあんだ、きみだったのか!」
オトノムの耳もとから、たんぽぽの種の精がひとり、ふんわり舞いあがると、ふたたびオトノムの鼻さきへおりてきました。
「だれかと思って? がっかりしたようね。天使じゃなくって、ざんねんでしたこと。ちいさな詩人さん!」
「べつに……。そんなこと、思ってやしないよ、ぼく。……だいいち、天使なんか、いやしないもの。」
オトノムは口をとがらかしました。
「あら!」 たんぽぽの精は首をかしげました。
「だっていまの詩は、あの雲のうえから天使が降ろしてくるのと、おなじものよ。」
たんぽぽの精は丘のま上、空のてっぺんちかくをさして言いました。
「ぼくはべつに、まねっこはしないさ!」 
オトノムはむきになって言いました。
「そんな意味じゃなくってよ。ひとつだってこと。そうだわ、たしかにあなたさっき、どこまでいっても つきあたらない がくぶちのなかに、っていってたもの。がくぶちにつきあたらないってことは、じっさい、ほんとにしあわせなことなのよ」
 「そんなこと言ったっけ?」オトノムの目は、もう遠くを見ていました。
 「そうなんだ…。でもほんとのところは、がくぶちのあるのを忘れているだけで、じつは突き当たったり、突き当たるのを忘れたり、してるのだろうけどね…まぁできそこないの、がくぶちとでもいうところさ。…だけどまぁ、当たらないにこしたことはない」
そういいながら、あまり考えすぎないように、そっと肩をすくませました。
けれども、すこし間をおいて、すこしうつむき加減にぼんやり言いました。
 「そういわれてみれば、こんな居心地のいい思いになったのは、めったになかったことのような気がする。いいところを見つけたのだと、いいけど。」
 「まあいいわ、ともかく……」 たんぽぽの精は、ふわりとおどりあがって、少年に話しかけました。
「そうつぶやいて、一日、すごしてるの?」
「どうでもいいじゃないか…そんなこと!」 オトノムはまたすこし、怒りました。
「そう腹をたてないでよ。あのうたは、そのまま風にながしてしまうの、と聞いているのだわ?」
「うたなんてうたってないよ。ぼく……たぶん、ねごとを言っただけさ。うたたねしちまったんだ。」
「うそばかり。」 たんぽぽの精は、綿毛の先だけをふわりとゆらして、かすかにほほえみました。
 「だれかにきかせたらいいのに。えかきさんだって、ちゃんとカンバスに絵を残すのよ。音楽家だって、五線紙に……。」
「いちいちおぼえてないよ。ふと口をついて出るんだ。そして消えてく。書きとめてなんかいたら、すぐ逃げていっちゃう。ほんのすこし立ちどまっただけで、もうかわっているのさ。」 オトノムは、すこしいらだちました。
 「だから!…だから、雲のうえから降りてきたのとおなじものだと、さっき言ったのよ。……まあ、いいわ。ともかく、」
ともかく、というのが、この妖精の口ぐせのようでした。
「あなたは、あそこの家へ行くといいわ!」
とつぜんそう言って、たんぽぽの精は丘のまっすぐ北を指さしました。
 まるで日ざしの落とし子のような、オレンジ屋根の館が、八頭竜の兄弟のお山、ジムリ岳のふもとの緑にうずもれて、ひとつぽつんと、ひかってみえました。
草むらに落ちたクマイチゴの粒みたいに、おいしそうです。
 「あそこに、ちいさいアトリエがあるわ。あんたみたいなうつむきかげんの子どもがたずねてくるのをまっているのよ。」
たんぽぽの精はそう言って、オトノムをのぞきこみました。
まっ黒に日焼けした顔のなかに、底ふかい湖のような、みどり色のひとみがきらきら輝いて、まっすぐにたんぽぽの精をみつめています。
「うつむきかげんの子どもだって? なんてこった。ああでも、じっさいぼくはひかげの子どもさ!」 オトノムは肩をそびやかして言いました。
「どこから来たのかも、どこへ行くのかもわからない。」
たんぽぽの精はそれをきくと、からかうようにくすっと、わらいました。
 「さっきはいちおう、町からやってきたのでしょう?」
 「いちおう…は、それぁ。…町の通りから。だけど、その日ぐらしさ。学校はやめたし、孤児院も出てきた。どこもおなじさ。 ……ああ、それはそうと、ここはどこかとどこかの、境目なんじゃないのかい?」
「ええそうよ。町と村との。もっとも、地上と空との境でもあるわ。光とかげ、透きとおったものと、ぼんやりかたちあるものとの、境でもあるのよ。」
「それぁそうだ……。さっき、そんな夢もみた。でもどおりで、何かと何かのかさなるような、はなれるような気はしたんだ。」
「そう。それを町より、感じることができるわね。あなたにはここが似あうわ。ここはあなたの居場所よ。……あなたひとりで、思う存分ね? だけどときには、なかまにも囲まれるほうがいいわ。あなたにとっておきのひとたちがいるのよ。」
 「それがその、かくれがとかいう、アトリエの家というわけかい?」 オトノムはおもわず振り向いて言ってから、
「だが、ぼくはひとりが好きさ。」 と、口をとがらすと、すぐにうつむきました。
 「まあ。いがいと、あまのじゃくなのね? この辺りのものたちはみな、ひとりも好きだし、こころのかようなかまといるのも、好きだわ。それはそうと、いま、なにをして暮らしているの?」
「町の少し大きなパン屋で、朝早くガラスみがきをして、そうじをして、窯のそうじもしてた。お金がたりないときは、駅まで行ってた。くず拾いもやるよ。列車の席とりか、荷物はこびとかをね。でも、なわばりってものがいろいろあって、どうもよそものはむずかしい。どうしても仕事がないときは、手品でもはじめるのさ。大道芸だって、こうみえてもすこしはできるんだ。あんまりめだつと、あとで痛い目にあうことも、あるけれどね。」
 「そんなにしてまで…。学校は、行きたくないの?」
 「勉強は…きらいじゃないさ。だけど、つづける金がないんだ。それにだいいち、いじめられる。孤児院とおなじさ。なんだか収容所みたいだもの。」
「家族のひとは?」
「どこへ行ったか知らない。どこかへ行ったきり、母親は…。父親は、そのまえから出稼ぎに行ったままだ。でも出かけるすこし前から、足を悪くしてたらしいんだ。」
 「ゲリラ戦にまきこまれて足をうたれたのじゃない?」たんぽぽの精がいいました。
 「たぶんそう。ひとづてにそう聞いたかもしれない……。本気にしてはいないけどね。」
 オトノムは肩をすくませました。ながいまつ毛をしばたたかせて。
「そう……。このあたりで、暮らせるといいわね。」妖精はためいきをひとつ、そっともらして言いました。
「ともかく……。あのアトリエには、いちど行ってみるといいわ。むかしは、いまのあんたとそっくりだった、おもしろいおんなの子もいるし、それにかわいい二匹の子ねこもいるわ。ちいさな生き物たちと自由におしゃべりできるお庭もあるの。そうそう、アトリエには、ここの風景とそっくりの絵だって、みられるわ。ほかにも、あんたの詩にもでてきそうな、ふうがわりな絵がたくさんあるのよ。あんただって、あそこのえかきさんには、なんでも話せるはずよ。いろんな生き物とお話ができるほどだから。ねえ!…そうそう。そのえかきさんのおうちには、あの丘とそっくりな絵があるわ。丘のうえの塔に降りる、ひとすじの光の糸に感謝して、いまでもその絵を手放さずに持っているらしいの。…… よく丘のま上にやって来ては、ま昼の鐘がなるころに、おひさまとひとつにかさなる、真珠色の雲のうえには、いたづら好きの天使がいて、光のつり糸をたらして遊び、ある日地上につたい降りて、えかきさんの家に降りるらしいって話が、この辺りの一部の生きものたちにつたわっているのよ。」

オトノムは、いつかの冬の、はじめての出来事を、ふと想い出していました。
たったひとすじのカーテンのように、丘に降りてきた光の帯。空いっぱいにひらく、銀の日傘。海に放りこんだ投網にもみえた……。 
じぶんもここにねそべりながら、かすかに小鳥たちのかなでるしらべを聞いた気がして、ふと口をついて出た天使のうたを、おひさまにむかってうたったのでしたっけ。そう、雲にかくれた白熱電球みたいだった、あの、背中にぼんやり虹をかくした、真珠色のおひさまにむかって……。
あの日のような絵が、絵描きさんのうちにあるのか、と、オトノムは思いました。 そしていま、またふと、空を見あげています。

  よろこびの野辺
 すべての白い花々は 一点のくもりもなしに
 みずからのまなざしを、わらいごえを 空へむかって反射さす
 ――光の噴水!
 なんという円天井が 彼女らを包み込んでいることだろう?
 こんなにもすべてが 聞きとどけられるとは・・

原っぱに咲きみだれるマーガレットをあおいで、オトノムは口ずさみました。
茎という茎の燭台に、満開の白い花の炎をともしています。
ほの暗い森にはいると、たんぽぽの精はオトノムをまもるように、ほのかに宙に揺れながらそっと行く手をみちびいていきました。

やがて、がらんと明かるいひだまりにさしかかりました。
オトノムはまた、こうもつぶやきます。

 暖かい気配が、どこまでも どこまでも
 ささやくように ぼくのまわりを囲んでいる
 どんなに速く 歩いても…


「そう、じきに…」と、オトノムはたんぽぽの精を振り返りました。
たんぽぽの精はそっとオトノムの肩にのりました。
「じき、もうじきぼくはそのアトリエをおとづれるだろう。そのまえに、ひとつやっておかなくちゃならない。」
「なにを?」
 「もういちどたしかめたいんだ。ぼくのしてきたこと、ぼくの居た場所を。午睡のなかででも…。しばらくはんぷくするよ。」

森をぬけるころ、オトノムの足はもうひとりでに歩きだしていました。じぐざぐの坂道を、速いテンポで。
たんぽぽの種の精も、いつのまにか もうそれはたくさんにふえて、あわ雪のようにあちこち、漂いながらオトノムのあとをついてきました。
 黄色のねどこはもう、しなびかけて、ミルク色のわた毛のじゅうたんへと、いつしか変わりはじめた原っぱの小道を、オトノムの足がふみしだくたび、シャボンのあわがはじけては、飛びたっていきます。

一羽のモンキチョウが、ひらひら、たんぽぽのじゅうたんを見廻りにおとずれました。おねぼうさんに、出発をうながすように。

「ねえ、わたしたちの詩も、うたってよ!」
たんぽぽの種の精たちは、つぎつぎと舞い上がっておねだりしました。 オトノムは語りはじめました。

 花びらが いつのまに消え去って
 いまでは 地球儀がいっぱいです
 神さまの すこしずつ欠けた ゆめ
 きいろい羽根の 使者が 舞い降りて
 二本の杖で そっと触れると
 ひとり またひとり 妖精たちが
 しろい日傘を 抜きとっては ひらき
 円天井のねどこを はなれていく
 そういう かなしいほどあわい 天体
 閉じられない 無数の宇宙……

そのとき、ま昼の鐘が丘をかけ降りていきました。なにかを告げるように。……

それは村いっぱいに響きわたりました。

| Rei八ヶ岳高原 | 14:12 | comments(0) | trackbacks(0) | | - | - |
地上の好きな天使 第一章第4話
第一章

第4話 天使へのおくりものと天の川の出来事

それから、三日後のこと。 朝から雨が降りつづいていました。
カノンとフーガが、おやつをたべおえた今も、雨はあいかわらず長い尾を引きながら、まっさかさまに空から落ちてきます。
ピチャピチャ、ポタポタ……。雨の矢は、次から次とお庭につきささっては、いよいよらんぼうな水音を、そこいらぢゅうにはね返しています。お庭にたまった水たまりも、まるで小鳥のためのプールみたいに、もうだいぶ深くえぐられていました。
カノンとフーガは、昼間からおおきなため息ばかりついて、いつもの出窓でずっとお庭をながめています。ふたりとも、マスカット色のおめめをくりくりさせて。でも、あたりには、こい霧がたちこめて、すぐそこの水たまりのそのさきは、もういくら目をこらしてもちっとも見えません。
それでふたりはしかたなく、雨水たちが、つぎからつぎへと天からおりては、じんわりと水たまりにひろげていく、弓矢のまとをみつめていました。雨水の矢が、いくつもいくつもささるたび、まとの輪っかができあがり、一重、二重、三重とたがいちがいにひろがってはぶつかり、おたがいを包みあって消えていきます。

カノンとフーガは、しばらくこれに見入っていましたが、ため息がおもわずもれてしまうのでした。……やれやれ。このまま、日がくれてしまいそう。

きょうはとうとう、チッポルの丘のすがたを見ませんでした。もちろん、お昼になると丘のまうえにやってきて、うれしそうに光る、天使のざぶとんの雲も。
なんてたいくつな日! こんな日は、お空の天使は、いったいどうしているんでしょう? お空のどこへ、いってるのでしょう?カノンもフーガも、こう、ぼんやりとおなじことを考えていました。
「ねえね、こんな日は、天使もあわてておひっこしするかな?」 フーガがカノンにたずねました。
カノンは、ちょっと考えてから、
「もちろん、きっと引っこしするわ。でないと、頭の輪っかも白い翼も、みんなびしょびしょにぬれちゃうもの。ふかふかの、ざぶとんだってよ。朝までに止んでいればいいけど、今日はそうじゃないものね。だからきっといまごろどこか、お山のかげか、このお空いっぱいおおっている、まっ黒い雲のむこうで、じっとしてるのよ。」
「ひょっとして、いつもとちがう、お仕事してるかもよ。」 フーガがはしゃぎました。
「そうかもね。」……でも天使って、そんなにいそがしいものかなって、半分はそう思いながらも、カノンはちいさくうなづきました。

出窓のとなりでは、カブリオルがこつこつ、えんぴつで机をたたきながら、たいくつそうにほおづえをついています。わけのわからない記号や数字のならんだノートを、ひろげてはいますけれど、とび色のつぶらな目は、てんでそっぽをむいています。
「ゼーゼー、ポポー。ゼーゼー、ポポー」 窓のすぐ下まで、キジバトのおかあさんが、えさをさがしに来ています。いつもよりもっとかすれ声で、くるしげにのどを鳴らしています。
「3Xプラス、なんとかのジジョウが、6Yプラス36。」 カブリオルがぶつぶつ言っています。
居間では、カデシさんの話声がしています。だれかとお電話しているのでしょうか。
「ええ。ふうん、なるほど……。ほう!」 ときどき雨音に、じゃまされながら。
「これがZの2倍とおなじってことは……。ええっと……。」
それから、カブリオルが床にえんぴつを落とす音。
その間にも、キジバトのおかあさんの、ゼゼッポ、ゼッポー。 いろんな声が、きれぎれに聞こえていました。 ……

それからあとのことは、カノンもフーガも、よくおぼえていません。ともかくふたりの子ねこはよりそって、出窓の籐カゴにぎゅうぎゅうづめにはいり込み、ぽかぽかの暖炉みたいなチェロの音楽に、からだごとそっくり揺すられながら、おたがいの毛をなめ合っているうち、いつしか眠りに落ちたのでした。……

こうしてまた、いつものように眠りの精が、ふたりの耳もとに、そっとやってくる番がきました。
きょうは、こんなふしをささやいていきました。ちょうどふたりの、夢のとぎれるときを、みはからって。

カノンとフーガは なかよしこよし
ゆめみるカノンに いたずらフーガ
小窓をたたく ホタルのでんぽう 気になるな
天使のおてがみ 天の川 気になるな
お星さま大好き きれいきれい
おはなし大好き ねえ話してよ

ググ〜ウ。ふいに、おなかがなる音がして、カノンとフーガは目をさましました。なんだかとってもペコペコです。 なったの、どっちのおなかだ? ふたりは顔をみ合わせて、おめめだけでお話しました。あたしじゃない。あたしじゃない。
そのときまた、 ググ〜ウ。こんどは、もう少し遠くでなりました。ふたりは窓のそとをふり返りました。
おやまあ。おなかのなる音にきこえたのは、一匹のアオガエルの呼ぶ声だったのです。コンコン、こんどはからだごとぶつけて、窓をたたいています。
雨は、いつしかすっかり小降りになっていました。しとしと、やわらかいささやき声で地面をひたしています。
「おいらはいいんだ。でもこのひとが、かわりに窓をたたいてくれっていうもんだからさ。なにか用事があるみたいですよ。」
アオガエルの子どもは、身ぶり手ぶりで、いっしょけんめい、窓のむこうでわめいています。となりの虫を、指さしながら。
「このひと?」 カノンが首をのばしてガラスのむこうをのぞいてみますと、出窓のさんに、この前のクモの坊やがたたずんでいます。
「それじゃ、おいらはこれで!」 アオガエルは、役目がすむなり、そそくさとお庭をとびはね去っていきました。うれしそうに雨にぬれながら、ピョコン、ピョコン。水たまりに次つぎできる、おおきい輪っかや、ちいさい輪っかを飛びこえて。
その後すがたを、クモは手をふりながら見送ります。
「まって、クモさん。いま開けてあげる。」
カノンとフーガが、あわてて籐カゴから跳ね起きると、カブリオルも、すかさず椅子から立ちあがり、かわりに窓をあけてくれました。
「いらっしゃいませ。」
「おじゃまします! よっこらしょ。」
クモのぼうやは、カブリオルにていねいにあいさつすると、よちよち、さんをよじのぼり、出窓のまんなかにおいてある、カノンとフーガのいる籐カゴの脇にちょこんとすわりました。ちょうどま後ろにたてかけてある、赤ん坊を抱いた、うつくしい女のひとの肖像画のふちに、よりかかりながら。肖像画の女のひとのまわりには、白い翼をつけた天使たちが舞っています。……
「ねえ、あれどうなった?翼のプレゼントの、すすみ具合。」フーガがはしゃいでたずねました。
「あれですか。――まぁまぁといったところですね…。ぼくのぶんはさっきもう、この家の下にあるクモの巣工場の、〈かかり〉に渡してきたのだけれど。きっともうじき、できあがりますよ。」
クモは、ゆっくりと首をふって言いました。クモのからだは、そんなにぬれてはいませんでした。
カブリオルが、籐カゴのさしむかいに、ピーナッツのちいさいかけらをひとつ、おきました。
「おきゃくさま、はいどうぞ!」
「やあ、これはどうも。」クモはひくひく、えしゃくしながら、ピーナッツのゆり椅子にこしかけました。
「クモさん、こんなおやつはいかが?」 カブリオルが、こんどはビスケットのあまりをくだいて、クモに差しだしました。
「やあ、ありがとう。でもぼくはおなかがいっぱいなんです。雨の日は、小ムシがおもしろいようにわき出てくるもんですから、たべものにはことかかないんですよ。」
そうクモが言いおわるかおわらないうちに、フーガが横からカリカリ、やりはじめました。クモはかまわず、話をつづけました。後足を二本組んで、ピーナッツのゆり椅子をこぎながら。
「ひょっとすると今夜あたり、ぼくらは天使に、プレゼントできるかもしれないな…。」
「今夜ですって?」カノンがさけびました。
「ハーックシュ!」フーガがいきなり、おひげをふるわせ、くしゃみしました。おひげのさきには、ビスケットのかけらがついています。
「まぁすてきだこと。このぶんだと、そのうちきっとすぐに雨もやむわ。そんな日にふさわしく、今夜はお星さまがいっぱい出るといいわね。」
カブリオルも、はじめて聞く話でしたが、さいしょから知っていたような顔をして、ビスケットをむしゃむしゃかじりながら話にくわわりました。
「まぁ、そうねがいたいですね。」 クモは、ゆり椅子に片ひじついて言いながら、なんだかいつもよりちょっととくいそうに、肩をすくませました。

じっさい、雨音はもうやんでいました。…
みんなは、なにげなく窓の外をながめはじめました。

そのときです。なにやら青白い、ほのかな光の玉がひとつ、ふらふらと迷い子のながれ星のように、雨あがりの夕空に、そっと落ちてきたのは。
「まあ。ホタルだわ?」 カブリオルが手をたたいて言いました。今年はじめて見るホタル。カノンとフーガは、生まれてはじめてです。
「ニャャャャン?」ふたりはとってもふしぎそうに、おひげをふるわせ鳴いています。
「デンポー!」 ホタルは言って、ひらっと舞ってゆらめくと、いつもよりもつよく、出窓のガラスに光をともしました。
「ごくろうさま。あなたも、どう? あがっていかない?」 カブリオルはそう言って窓をあけてやると、コップの花瓶を、そくざに出窓に置きました。コップには、オダマキの花が一輪、さしてあります。かわいらしいその花びらは、ちょうど夜のちいさい妖精のための、ランプの傘にうってつけのかたちに、はずかしそうにうつむいています。夕暮れ色の、赤味をおびたむらさきと、黄色い線の入った、スタンドランプです。
「やあどうも。それじゃ、えんりょなく……。」ホタルはうれしそうに、おしりのあかりをふくらませながら、カブリオルのそっと開けた、出窓のさんをのぼって、入ってきました。
「やぁ、やっと夜空の雲がはれてきましたね。」
ホタルはいいながら、よちよちしたあしどりで、オダマキの花びらのなかへ、ようよう入りこみました。
こうしてホタルがひと息つきますと、オダマキの花びらには、生き返ったようにやさしいランプの火が点るのでした。
カブリオルはいつも、夏になると、夕方の郵便屋さんを、こうして迎えるのが好きでした。それもちょうど、お空に一番星があらわれるころ。

「そうそう。一番星が、ついさっき夜空にまたたきはじめましたよ」
ホタルはひと息つきながら、花ランプのなかからそっと言いました。
「まぁ、そんな頃になるのね…。さてと、ところで、今夜はどんなおたより?」
カブリオルは、ランプの花びらにほんのり映る、ホタルの影にたずねました。

カノンとフーガはめずらしそうに、おしりのあかりをつけたり消したりする、この黒い虫を、傘からのぞきこんではみつめています。いまにも、ちょいちょい手をだしてひっかきたくなるのを、ふたりとも必死になって、こらえています。カブリオルのだいじなお友達ですもの。
「今夜はですね。ですから、とっておきのですよ。」
ホタルは、傘のなかから、じつにうきうきした声をあげました。ランプのあかりも、たちまちいきおいをましました。
「ねえきみ、ひょっとしてそれは、あのことかい? つまりその、もしかしてお空にかんけいあることとか。翼にかんけいあることとか……。」
クモの坊やが、もじもじしながら、よこからこうたずねました。
「お空! 翼!」 カノンとフーガも、口をそろえてさけびます。
「そうですね。たしかにかんけいありますよ。では、さっそくお読みしましょう。」
ホタルの郵便屋さんは、そう言うと、ちいさな穴のぷちぷちあいた、葉っぱのお便りを、花びらの傘のなかにひろげました。
「読み上げます。 ザブトンノ雲ノ天使、キットコンヤ天使ノツバサヲ受ケトリニ来タル。チッポルノ丘ノ上空ナリ。翼ヲモテ、ミナアツマレ。羽根ヲモツモノタチ、天使ノツバサヲカカゲ、丘ノマ上ニトドイタ天ノ十字ヲメザシ飛ビタテ。集合場所・カデシサンノ庭。以上、星ノ精ヨリ。」

「すごいなあ。」 みんなはこぞって拍手しました。
クモの坊やは、わめきました。
「なんてぐうぜんだ! ぼくはじつに、これとおなじことを、この家の子ねこたちに、言いにきたのだけど、しかしそれにしても、集合場所がここの庭だなんて。」
たいそうこうふんしたようすで言いながら、クモはピーナッツの揺り椅子から身をのけぞらすと、こんどはわざと息をひそめて、こう話をつづけました。
「それはそうと、差出人をきいたかい? なんたって、星の精からだぜ。ほんとうかな!だれかが星の精を〈名乗った〉んじゃないのか。でなけりゃそりゃあもう、天使からじきじきにたのまれたのにちがいないけれど…。」
「ほんとだといいわ…。」 カノンがうなづきながら、ひとりごとのように言いました。

よいの一番星は、ひときわあかるさをまして来たようにみえます。

「ともかく、すてきなことにはちがいないわ。ここが集合場所になるなんて…」
カブリオルがビスケットをほおばりながら言いました。 それをきいたホタルがそっと、花びらのすきまからはい出して、ランプの傘のてっぺんによじのぼりながら、ていねいにこたえました。
「この家の庭が、このあたりの生きものたちにとってかっこうの集合場所になるのは、なにも今にはじまったことではありません。チッポルの丘と同様にね。そんなわけでわたしも、今夜ここへお届けするのにも、ちっとも疑問に思いませんでしたよ。それから、もうひとつには、このお部屋のちょうどま下が、つまり、えんのしたですが、そこが今回の天使への贈りものをしあげるのにおおきなコウケンをされた、クモさんたちの織物工場になっているからではないでしょうか。」
「そいつはぼくも、思ったよ!」 クモの坊やも、すかさずピーナッツの揺り椅子からはねおきるなり、そう言いました。
「そうよ、そうよ。いろいろいろいろ、ろろろ……。とにかくきっと、みんなかげながら、うちにはお世話になってるからだよ。なにかとさ!」
フーガが、おひげのつけねをクシャクシャにしながら、さけびました。さけぶうち、自分でもこうふんしてきたフーガは、お鼻までフンフン鳴らしていばりました。そしてとうとう、おおきなくしゃみをまたひとつ、しました。
「そうそう、ありがたいこってさ!」 クモも小首をふりながら、肩をそびやかして話を合わせました。
「おまけに、やわらかくて、ゆうしゅうなその胸のお毛々まで、拝借させていただきまして。」
「ハイシャックってなあに?」 フーガがお顔をなめる手をとめて、目をぱちくりさせながら聞きました。
「どんなしゃっくり?」
「使わせてもらったってことよ。」 カブリオルが、フーガの耳をつまみながら、先生口調で教えました。
「でも、それでこんなすばらしい知らせをもらって、見物できるなんて、すてきなことだわ!」
カノンは、そう言っておもわずシッポをぴくぴくっと、ふるわせました。まるで電気がはしったみたいに。

「だけど、見物とはいっても、ぼくら、いっしょに天までのぼっていかれぬものたちは、いったいどこまではっきりと、そのケッテイテキ瞬間を、この目でみられるかどうかは、疑問ですね…。」
クモがもっともらしくつぶやきました。二本の前足で、うで組みしながら。
「ケッテキシュンカンって?」 フーガが首をかしげました。「天使がくしゃみするところ?」
「天使に、あの翼がわたされる、瞬間ってことよ。」
カブリオルが、フーガのおひげをツンツンひっぱって言いました。

「ほんとに、おくりものは天使にとどくのかしら?」カノンがふいに、言いました。
「そのとき天使は、姿をあらわすのかしら? 今夜こそだれかが、見とどけるかもしれないわ。もちろん、だれにも見えないってこともあるかもしれないけれど…。」
ひとことずつ、かみしめるように、カノンはこうつぶやきました。
「まぁ、なにしろこれまで、一度だって天使の姿を見たものはないのだからね。おくりとどけにいく連中じしんがだよ。」
クモも、こっくりうなづきながら、あいづちをうちました。
「ましてや、ぼくらなんかは、なおさらさ。ついこの間の糸玉にしろ、自分たちで作っておきながら、いざ天使にわたるところを見られないんだ。まして天使の姿なんか。わかるのはただ、それらしい、なにかの信号みたいなものさ。ありがとうって、きらめく光とか、風にそよぐ、うれしそうなうた声とかいったね……。まあ、それで充分なのかもしれないけれど。それはうつくしい合図には、ちがいないのだからね。ともかく……。」
と、クモは足を組みなおして言いました。
「今夜ぼくは、それがみたいよ。どうせなら!」
「そうね! 天使はお礼に、お空になにをくれるかしらん?」 カブリオルも、片手でカノンのながいシッポをつまみながら、ビスケットをむしゃむしゃかんで、言いました。
「それにしても、きょうのお空の天使は、めずらしく夜空に、あらわれるのね?」
ふとカノンが、耳のうしろをくりくりなでていた、かぎの手をとめて、問いかけました。
「こんなことは、はじめてさ! ぼくの知るかぎり。」クモの坊やは、前足をたたいてさけびました。
「とくべつの、とくべつの日!」フーガがわめきました。
「なにしろ、昼間はずっと、どしゃぶりだったもの! あれじゃいつもの時間には、会いたくたって会えなかったわ。それにしても、……どうして今日ぢゅうなのかしら。」
またふと、カノンは考えこみました。が、 「きっと、天使もよっぽど待ちどおしかったのね。」そう言って、ひらりとシッポをもちゃげました。
「ひょっとすると、今夜はとびきりすごい星空になるのかもしれないわ。だってほら!」 カブリオルが、げんこつで机をたたきました。
「あれほど雨が降ったあと、いまはこんなに風が舞って、ガタゴト、窓をたたきはじめているもの。きっと重たくてぶあつい灰色の雲を、いまどんどん吹き飛ばしてくれているんだわ。」

「さてさて。それじゃあ、わたしはこれで…。そろそろ帰らなくっちゃ。みなさんも、これにそなえて、夕べの食事はお早めにとっといてくださいね。わたしも風がやむまで、とりあえず家へもどりますが、天の十字星が丘のま上にとどくまでには、みんなをあつめて、もいちどここへやってきますから。」
ホタルはそう言い残すと、少しの間すごしていた黄色いお花のてっぺんからポトリ、と机におちました。いえ、おりました。 おだまきランプは消えました。そのかわり、ホタルは自分のおしりのあかりをつけたり消したり、こまめに合図をおくりながら、吹きすさぶ風のなかへ、ふらふら飛びたっていきました。みなも窓ごしに見おくりました。

草つゆも、もうだいぶかわきかけています。

「ばいば〜い!」 ひとしきりさけんでから、フーガはふと振り向くと、カブリオルにこうたずねました。
「ねえね、ホタルさんちってどこ?」
「あの樅の木のうしろよ。お水をはった、畑のなかだわ。みんなで光のおしゃべりするときは、いっせいに樅の木にとまるのよ。まるでクリスマスツリーみたいに、にぎやかなんだから!」カブリオルがにこにこ笑ってこたえました。
「まぁすごい。季節はずれのクリスマスツリー!」カノンも、はしゃいでそう言いました。
「ほんとうですね!やつらのツリーは、じっさいこのあたりの風物詩(ふうぶつし)ですよ。」クモもあいづちを打ちました。それからパンパン、と前あしをはたくと、言いました。
「――さて…と。それじゃぁぼくも、これでおいとまします。そろそろ夕飯の時間だもので。ちょうどおなかがへってきたし、それにこんやばかりは、早めにたべとかないと! そうそう。ぼく、ちょっくらみんなより先にここへ来て、織りあがったばかりの翼の完成品を、ぜひきみらに見せてあげますよ!」
じつに早口で、クモはまくしたてました。
カブリオルが、窓にほそいすき間をつくりました。
「わい。みせて! きっとみせて!」 カノンとフーガが歓声(かんせい)をあげます。

ヒュルルルル……。窓のすきまから、くるったように一じんの風が舞い立つと、お庭のさきに、ちいさなたつ巻をおこしました。ノバラの白いはなびらが、口笛ふきのじょうずな風の妖精をのせて、くるくる渦を巻きながら、空へのぼっていきました。

「それじゃほら! あたしたちも早いとこ、お食事すませないと。天の十字が丘のま上へ来るまえに。」
カブリオルがふたりの子ねこをせきたてました。
「またね、クモさん。」 カノンとフーガは手をふりながら、出窓をころがり下りていく、クモの坊やの後ろ姿を見送りますと、わあいわあい、飛びはねながら、キッチンへかけて行きました。
  ***

「ねえ、カブリオル! 天の十字ってどんな星?」
「カノンとフーガの大好きな、白鳥座じゃないの! もちろん。」スプーンでおなべをたたきながら、カブリオルがこたえました。
「ハクトージャ! デデブ!」 みんなの声が、廊下ぢゅうにひびきわたります。

ガタゴトゴト……。ほのぐらい夕やみ色にすっかりそまった家ぢゅうの窓ガラスが、風にゆすぶられ身ぶるいしながら、三人の影絵をとり囲んで、ちらちらと映し出していました。テーブルの黄色いあかりの灯る下に、みんなの影が、湯気をかこんであつまるころには、夜のとばりはもうすっかり落ちていました…。
そして満天の星空がひろがっていました。

  ***

「ほらみて。ここんとこ、とびきり光ってる!」
「そこはね、シジュウカラたちのくれた羽根がつまってるんだ。水色がかった銀の糸みたいで、すてきだろ?」
ほうぼうから集まってきた小鳥たちが、くちぐちにさけんでいました。お庭にもう集まってきては、口ぐちにそう言い合っているのでした。
「ところで、ここの金色のまじった白は?」
「どいつらのだろう?」
と、そこへいつの間に、綿毛をもった草花たちも、みんなこぞってじぶんの羽根のつめ込んである場所をさしては、えっへん、おっほん、いばりはじめました。
「そいつはただ、キセキレイが、足のつけねの白い羽毛をくれたなかに、すぐとなりの黄色い毛まで入れちまったんだろ。でも、なかなかのアクセントさ。」

「白っていっても、いろんな光のがあるのね。」
カノンもフーガも、カブリオルも、みんなできたてほやほやの、天使におくる翼の織物を、わきでながめながら、葉陰でささやきました。

おおぜいのホタルたちが、目印に点してくれた、樅の木のライトをめざして、野や森ぢゅうの羽根をもつ仲間たちが、もうずいぶんそろってきました。

カデシさんの家のお庭のまん中には、暗闇にともるかすかな炎のように、青白い光を放っている天使の翼が、チッポルの村のおおぜいの仲間たちに、ぐるり、まわりを取り囲まれています。

「もうそろそろね?」
ワタスゲの精が、わた雪みたいなベレー帽をちょこんとのせた頭をもたげて、そっとささやきかけました。
「そうだわ。合図をかけましょう。わたしたちが先頭を行って、みちびきましょうね。ホタルたちにも、手伝ってもらうわ。」
タンポポの精も言いました。

ちかくのしげみで、一羽のトラツグミが、フィー、フュー。よわよわしげな笛を吹きました。

みんなは、丘のほうを振りかえり、それからにわかに列を組みはじめました。

ホタルたちが、樅の木を飛び立って、ほのかに宙に浮きあがりました。そして、丘へとつづく小道づたいに、草のしげみや道の両がわのトネリコ並木に、つぎつぎと飛び移っては、小鳥たちの行く手に明かりを照らしていきました。 あるものたちは、地面に近づいて、カノンとフーガの足もとをそっと照らしてくれました。まだすこし、草むらにはつゆがのこっていて、足をぬらしましたけれど、気にしないことにしていました。
クモの坊やは、カノンの長いシッポのさきにつかまって、ゆらゆら揺れて進んでいます。ちょっとあぶなかしいけれど、フーガのよりはずっとらくだし、目がまわりません。
カブリオルは、暗闇に咲くユウスゲの花を一輪、つみとると、そのラッパみたいにつき出した、目にもあざやかな黄色い花がさのオシベの杖に、ホタルを呼んで五匹もつかまらせました。こうして、ばかに明るい懐中電灯ができました。
カブリオルはいさましく片手をふって歩きながら、もう片方の手にはユウスゲの懐中電灯をさげその光を道にあてて行く手をしめしてやりました。
列のいっとう後ろのほうから、小鳥たちとおしゃべりしながらチョコチョコ先を歩いている、カノンとフーガのしっぽが、ユウスゲのライトのなかをゆらゆらゆらり、カチャンコカチャンコ、いそがしく上下してみえます。カデシさんも、星座表をもって、そのあとにつづきます。
ホタルたちは、ゆ〜らゆら、踊る光で宙を舞い、子ねこたちの目のまえを、浮いたり沈んだりしながらまわっています。そのあい間を、いくつもの流れ星が、またたく間に通りぬけていきます。そんなふうに、あちこちに光がうごめくので、カノンとフーガは目がまわりそう。お空にかがやく星たちと、迷子の星のようなホタルたちのあかりの区別も、ままなりません。
カデシさんは、歩きながら、ときおりみんなに星座の説明をしてくれます。ユウスゲのライトをお空にかざしては、ひとつひとつ、めだつ星座にスポットを当てて、うみへびだの、カラスだの、おおぐま、こぐま、いろんな動物たちを黄色い光線で、宙に描いてくれました。
でもカノンとフーガには、ほこりのようにうじゃうじゃと、いろんなお星さまがあちこちで息をしているので、なにがなんだかよくわかりません。星座表で見るよりずっと、たくさんの星がこんばんはをして、まばたきしながらカノンとフーガをみつめています。カデシさんが線でむすんだ星座と星座の間からも、ちいさな星たちがたくさん顔を出してきて、ちかちか手をふっています。おまけにホタルたちまで、めちゃくちゃに空を飛びかって、邪魔をします。ふたりはすっかり頭がこんぐらかりました。

「ねえね、あすこに長いながい、雲が泳いでるよ!」 フーガが目をこすりこすり、わめきました。
「ほんと! 風さん、あんなに吹いても、お空の雲をすっかり追いはらえなかったのね。」 カノンも、高いお空のまん中をつらぬいて通っている、もやもやしたうすい帯をシッポでさすと、ちょっぴり惜しそうにそうさけびました。
「ばかだなあ。きみたち! あれが天の川じゃないか!」 クモのぼうやがけらけらわらっていいました。
「あの帯は、雲じゃないの。星でできてるんだぜ。」
小鳥たちも、チクチクピー。けたたましくさえずり合うと、みんなでどっとわらいました。
「天使はあの、ミルクの帯にのって来るのよ。」 タンポポの精がささやきました。「お星さまのぎっしりつまった、ミルクの帯に。」

そうこうするうち、チッポルの丘のまえに、みんなはたどりついていました――。

原っぱのま上には、ヘビつかいが、たったいま一匹のおおきなヘビをつかんで、天たかくかかげたところのように、みえました。と、そのあとを追うように、ゆうゆうと羽根をひろげた白鳥が一羽、あおい夜空にあらわれました。小さなたて琴が、そばでうつくしい音をつまびく中、天にながれるミルクの帯のまん中を、丘の上空めがけて飛んでくるのが見えます。

「白鳥さんだ!」 「天の十字だ!」

みんなは口ぐちにさけびます。

白鳥は、やがて天の川のほぼまん中までやってくると、二三度おおきく羽ばたいて、ゆるやかに舞い降りました。

「白鳥さんの降りたそばでポロンポロン鳴ってる、あのちっちゃなたて琴は、あたしたちのつくった琴よ。いつかの冬の日、あたしたちがつまびいて、天使にあげた琴なのだわきっと!」
ヒガラたちが、かぼそい声でたからかに、そうさえずりました。

「そうそう…あの中には、機織りの娘さんがひとり、かくれていて、天の川のむこうの恋人ともうじき会うことになっているんだよ。白鳥さんのくちばしをはさんだ、向こうがわの星の、男の子にね。」
カデシさんが言いました。
とふいに、クウクワッツ……白鳥がひと声あげました。それと同時におおきな翼を天の川いっぱいにひろげたのです。
――と、それきり白鳥は、翼をとじようともせず、ちょうどミルクの帯のまん中に天の十字をえがいたまま、じっとたたずんでしまいました。――
みんなは白鳥と、その翼の橋の両側でまたたく、ふたつのお星さまをじっと見つめました。

と、その時です。白鳥が、ぐっと首だけそらしたと思うと、ちょうどまっすぐに落ちてきた、一粒の流れ星のコンペイトウを、いまにもくわえようとしたではありませんか…。

けれども、コンペイトウは、白鳥のオレンジ色と水色にまたたくくちばしを、あっという間にすりぬけて、お空のむこうへすっとかくれてしまいました――。

「ああー。――――」いっせいに、みんなのため息がもれました。
「残念、もうすこしだったのにね。」カノンもがっかりして、つぶやきました。
「みどり色した、おいしそうなコンペイトウだった!」フーガもペロリと舌をだしました。
「でも、ああした流れ星のどれかにのって、天使の合図がやってくるんだとしたら、やたらにたべられちゃ、まずいのさ!」
クモのぼうやが、知ったかぶりして言いました。いつもするように、くいと、肩をすくませて…。

と、その瞬間のことでした…。一つの矢が、丘のちょうどま上あたりの、どこかの星座で放たれました。――――おおきなおおきな、流れ星です。

流れ星の矢は、たいそうながい尾をひきながら、白鳥の右の翼をすりぬけ、アンドロメダの大星雲めざして、まっすぐに飛んでいきました。
そうして大星雲の中心に、矢の先がみごとにささったそのとたん、いくつもの兄弟にわかれた流れ星たちが、大星雲の玉手箱から打ちあがった花火のように、こぞってつぎつぎ、飛びだしてきました。

「あっ! 流星群だ。」 カブリオルが夜空を指さしました。

と、その時。――このさけび声をきっかけに、羽根をもつ地上の仲間たちが、たちまち空へ舞い上がったのです……。みんなして、クモの職人たちの織りあげた、真珠色の光をはなつ、うつくしい天使の翼の織物を、くちばしでそっとくわえながら、元気よく羽根をはためかせ、夜空にむかって舞い立ちました。

キョキョキョキョキョ……

林のむこうで、なにかせきたてるように、ヨタカが鳴いて、みんなに声援をおくります。

みんなは、いよいよいきおいをますと、ぐんぐん空を昇っていきます。 やがて、天使の翼は、まるでひとりでに夜空にはためくように、ふうわり、ふうわり、風にたわんで浮かんでいます。そしてゆっくりとはばたきながら、天の川めざして昇っていくのでした。

丘のふもとで、これを見あげるカノンとフーガは、もう声もため息もでませんでした。そう、息もつかず、ただじっと、首が痛くなるほどいつまでも、この光景を見まもっています。……

キョキョキョキョキョ……

みんなの影が遠のいたぶん、ヨタカのするどい連続音だけが、やけにあたりに響きわたって聞こえます。ほかには、もうなにも、聞こえてはきませんでした。
そんな時間が、しばらくの間つづきました。

「いま、とどいたのかしら…」カブリオルが、そっと口をひらきました。
「かさなったようにみえるね。」カデシさんも、声をひそめて言いました。

白鳥のひろげた翼をつないでいる、五つの星の十字架めがけて、みんなのとどける天使の翼の織物は、もやもやとゆらめきながら、かすかににじんだ白いえのぐの川のなかを、のぼっていくと、やがてさいごにひとつ、ゆるやかにはためいたその瞬間、一羽のみごとな白鳥に、とうとうぴったりと重なり合ったのです。

「ニャオ〜ン!」 カノンはふと、けものの遠ぼえのような声をあげました。ふだんとはちがう、ふりしぼるような声です。
と、つぎの瞬間、それはそれはものすごいいきおいで、たちまち丘をかけのぼっていきました。そのまま息もつかず、カノンは丘のうえにそそりたつ、一本のポプラの木を、いっきにかけ上がって行ったのです。
フーガも、これを見てからだぢゅうとりはだをたてると、カノンを追いかけ、シマシマもようの背中をまんまるにして、全速力で丘をかけあがっていきました。もちろんフーガにとっての、全速力でしたけれど。
そして、カノンを呼びながら、やっぱりいっきに、……のつもりでしたけれど、ときどきずるずる、ずり落ちながら、ようやくカノンのいる梢に、たどりつきました。

ふたりの子ねこは、ポプラのてっぺんで、なかよく背中をならべながら、まだまだ遠い、お星さまの円天井をあおいで、白鳥の十字とひとつになった、天使の翼を見まもっています。
白鳥の星座をおりなす星たちが、かわるがわるウィンクをしては、地上に信号をおくっています。とくにおおきな、白鳥のしっぽは、ひときわ元気にまたたいています。

「デデブ、デデブ!」 フーガはそればかり言いました。ほかの星の名前は、ちょっとむずかしかったのです。
カノンは、アルビレオという、白鳥のくちばしのお星さまが気に入りました。オレンジとソーダ色の双子のお星さまが。こまかくまばたきしながら、ありがとうって、言っています。
ふたりはシッポをくりくりさせて、よろこびました。
と、そのうち、白い翼がまたひとつ、きらりとおおきくはためいたと思うと、おやおや?まるで風船でもしぼむように、くしゅくしゅとちぢみはじめたではありませんか。

気のせいかな?って、ふたりは思いました。でも、それはたしかにすこしずつ、ちぢまって、やがてやぶれたクモの巣みたいに、たよりない渦をまきながら、夜空をただよいはじめました。
そうして、いつしか白鳥の、右の翼のほうへ寄りあつまると、なにやらタバコのけむりのような、ちいさい星のかたまりになってしまいました。

白鳥の十字のわきばらの、もやもやした星のあつまりは、ちょうど「?」の文字そっくりに、いまにも消え入りそうになりながら、天にながれるミルクの川のなかに、ふわふわ浮かんでゆれています。

「あれが、白鳥座の、網の星雲だよ。」 カデシさんが、カブリオルに教えました。
たったいま、出来たばかりに思えたのに、もともとあそこにあっただなんて。カブリオルは、ちっとも気づきませんでした。

もしかすると、天使の糸玉って、あんなふうなのかなぁ。ポプラのうえでは、カノンとフーガがやっぱり「?」のかたちをしたおなじ網の星かげをみつめながら、そう思っていました。

と、おや?――――糸玉みたいな、もやもやしたその網の星雲から、ツゥーとかぼそい一本の糸が、またたく間にほどけてきました。
ほどけた糸は、ちょうど天からおりるつり糸のように、丘のうえのポプラめがけて、まっすぐに降りてきたのです。

それは、クモの糸でした。糸は、カノンとフーガの目のまえの、ポプラの葉さきにくっついて、よい足がかりをつけました。と、まもなく一匹のクモが、それをつたってみるみる空から降りてきたではありませんか。

「やあ!」 クモは言いました。

「クモさんだ! おかえりなさい。」 ふたりの子ねこは、シッポをふって迎えました。

「みんなといっしょにお空へいってたの! ちっともしらなかったわ。」 カノンが言いました。
「どうした? ぶじ、わたせた?」 フーガが、耳をぴんぴんはりつめて、さっそくクモにたずねました。

「う〜ん…。――――まぁ、たぶんね。」 クモはそう、こたえました。

「たぶん?」「また、たぶん?」
カノンとフーガが、ちょっとがっかりした声で、聞きかえしました。
「そうさ。これだけは、だれにもわからないもの。どうしたってあいまいなんだ。でも、ちょっとは手ごたえのある信号も、あったんだ。ありがとう、っていってた…と、思う。みんな、そう感じたって。きみたちも、下で見ていたろ?」
「みんなの翼が、白鳥さんの羽根にとどいたと思ったら、白鳥さんのシッポとくちばしがきらきらして、そしたらきゅうに、翼の織物は、みるみるちぢこまっちゃったわ。」
カノンが、見たとおりをクモに話してきかせました。
「そおそ。それであっという間に、糸玉みたいにかたまっちゃったよ。そしたらじき、あんたがするする降りてきたの!」
フーガもそういって、はしゃぎまわりました。
「あっはは。でも、地上からは、ぴったりかさなってみえただろ? 天使の翼と、白鳥とがさ。」
クモは、わらって聞きました。
「見えた、見えた。」 ふたりがうなずいてこたえました。

「ぼくらが白鳥の、星の十字に、翼の織物をなげかけたとき、白鳥が首をこっくりしてウィンクした気がしたんだ。となりの琴座で、琴の音もポロンポロン、はじけたよ。きっとお礼のうたさ。それからまもなく、ぼくらのおくりものは消えたんだ……。そこらぢゅうでまたたく、星のなかへね。ちょうど白鳥の羽根のわきに、ほら、見えるだろ?ふわふわと、けむりみたいな渦をまいてる、綿毛のすじがさ? あのすじ雲のあつまりの中へ、翼の織物は、ふいにほどけて消えてった。それはもう、あっという間に! 吸い込まれるようにして。」
クモのぼうやは言いながら、白鳥座のわきの、けぶたい雲を指さしました。
「それはそれ、星雲よ。白鳥座の、網状星雲!」
丘のふもとで、カブリオルがいばってさけんでいます。
「さあ、あんたたち。もういいかげんに、降りていらっしゃい!」
「ニャオ〜ン!」
カノンとフーガは、ふたりそろってお返事すると、いっきにポプラをかけ下りました。
クモのぼうやも、あわててカノンのシッポにしがみつき、いっしょに梢を下りてきました。

こうしてみんなが、丘のふもとにそろってならんだその瞬間、キラ、キラ、キラ……。あちこちで、ロウソクの火がまたたいたと思うと、あたりがきゅうにあかるくなりました。
ゆっくりと空を舞い降りてくる、ロウソクのあかりたちは、お星さまの分身のように、ゆらゆらとゆらめきながら、みんなにあいさつしています。
そう、ホタルたちです。ホタルたちが、帰って来たのです。……

と、その後を追って、ふわふわふわり。こんどは綿毛の精たちが、つぎからつぎと夜空の闇を舞い降りてきました。白いパラソルをくるくる、右に左に回しながら。
ピチュピチュピー、チュクチュク……。

さいごに、さかんにおしゃべりをかわしながら、羽虫や小鳥たちの群れが、丘をめがけて降りてきました。

「みんな、お帰り!」
「お帰りなさい! ごくろうさま。」
カノンもフーガも、カブリオルも、カデシさんも、クモのぼうやも、せいいっぱい拍手しながらみんなを迎えました。

「ああもう、すっかりくたびれた!」シメが、泣きだしそうな声でいいました。
「わたしたちも。あんなに息が苦しいなんて。」ヤマガラの夫婦も、肩で息をしながらいいました。
「おまけにおくりものが、とどいたのか、とどかないのかもよくわからなかった」アオジがためいきをつきました。
「ほんとに。こんな思いまでして、お空にとどけものするなんて…」ゼイゼイせきこむように、ウソも言いました。
「たしかにくるしい。きみらはこんどは休むがいいよ。無理をしちゃいけないからね」イカルがそっとウソの背中をたたきました。

「ううむ…。んん、でも…やっぱり、行ってよかったかもしれないよ。――――なにしろ、とってもきれいだった。たしかにやりがいは、あったかもしれない」イカルが、ゆっくりした口調で、いいました。
「そうだわね。そうかもしれないわね…。とってもくたびれるけれど、ちょっと感動もしたし。なんだか一瞬、お空が急にあかるくなったもの。あれは忘れられないわ」 シメも、ヤマガラたちも、あいづちをうちました。

いつのまに、林のむこうから、ヨタカのけたたましい鳴き声が、キョキョキョキョ……休みなくこだまして、みんなをねぎらいはじめました。まるで拍手みたいに聞こえます……。


帰り道、カノンとフーガは、先頭にたって歩きながら、なごりおしげに何度も夜空を見上げました。
また、流れ星がいま、白鳥座から矢のように放たれました。そして南の空の山脈の、とんがり帽子のむこうがわに、ゆっくりと沈みかけている、さそりのシッポのまっ赤なお星さまを、ちょっぴりかすって逃げていきました。カノンちゃんよりもっと長い、あおじろい尾を、お空にすっとひきながら。

「天使ったら、今夜もはっきり、だれにもわかるほんとの姿をみせてはくれなかったね」
エナガのむれのひとりが、早口でそう言いました。
「ほんとほんと! なんだかお礼のメロディと、あいさつみたいな合図だけは、してくれてたみたいな気がするけどさ。どして姿をみせてくれないんだろ? あたしたちが贈ったあの翼をつけたところをちょっとでいいから見せてくれたらよかったのに。」
別のエナガがもっと早口で、ざんねんそうにさえずっています。


「ねえカデシさん。どしていつもあたしたち、翼をつけた天使の姿をみられないの?」
カノンが、そっとカデシさんにたずねました。
「そうだねぇ……。」カデシさんは、あごひげをさすりながら、しばらく空を見あげて考えていました。
「それはやっぱり、みんなが考える、翼をつけた天使が、天使のほんとの姿じゃないからだろうねぇ…。」
カデシさんは、肩をすぼめてこたえました。いつかの夜も、話したように。

「ふうん…。」カノンはちいさくお鼻をならしてうつむきました。

「だが、みんなは今夜、こうしてたしかに、天使に会えたじゃないか。」カデシさんは、元気づけるように、こういいました。

「たしかに?」フーガがぴょんぴょん飛びはねながら、たずねました。
「会えた?」カノンももう一度、聞きかえしました。

「そうさ。」カデシさんは、そううなづきました。
「みんなは、見えない形で会っていたんだよ」

「会ってたのに、見えなかった!」フーガがぴょこぴょこ、跳びはねながらききました。
「そう。降りてきていたから。みんなのなかにね。きみたちにも。そしてもちろん、お空にとどけにいったなかまたちひとりひとりのなかにもね。」
カノンとフーガは、カデシさんを見上げました。

「今夜はたしかにすてきだった。でも、今夜にかぎらなくとも、みんなはしじゅう、天使に会っているはずだし、こうして、天使とひとつになっていることだって、いっぱいあるはずだ。…おそらくそうと気づかないうちにね。」
「会ってくれてるんだ。翼なんか、わたさなくても?」とフーガ。
「きっと、そうだと思うね。降りてきてくれた。ただしみんなが思っているような翼を持った天使の姿としてでなく、だれかのまぶたの裏や、心のなかにだ。だれかの姿や…地上のなにかの形をかりてね。じっさいきょうの夜空は、いつもよりどきどきして、それにもっとずっと、きれいだったろう?」
パイプをぷかぷか ふかしながら、夜道のなかでカデシさんがそうつぶやきました。……


| Rei八ヶ岳高原 | 16:28 | comments(0) | trackbacks(0) | | - | - |
地上の好きな天使 第一章第3話-2
第一章

第3話-2 子ねこのカノンとフーガ、天使のつり糸と翼の秘密を知る 後編


その後、数日して…。子ねこたちが出窓から外をのぞいていますと、ツゥーーー、かぼそい糸にぶらさがるようにして、クモの坊やがつたい降りてきました。
「クモさん!」フーガがさけびました。おや、みると、その足さきにはまた、ガガイモの葉がくっついています。が、きょうはツバメじゃなく、クモが自分じしんで持ってきたのですけれど。
「どれどれ、取ってあげる」
カノンは言いながら、窓のすきまに頭を入れると、いそいで開けました。そして、クモ糸がにくきゅうにからまないよう気をつけながら、ツメでそぉっとガガイモの葉先をつかみかけました。そして、きれいに編んだクモの巣がこわれないよう気をつけながら引っ張って、ようやく葉っぱをお口にくわえました。
「取れた!」フーガが言いながら、カノンが床にそっと落とした葉っぱをつかまえました。
クモは、かるく会釈をしました。そしてもうこれで今日の用事はすんだというように、そそくさと身をひるがえすと、さっきの糸をたたみ込みながら、またツゥーーと空へ昇っていきました。
「クモさん行っちゃった。いそいでるみたいだったね。ねぇ、その葉っぱみせて」フーガがさっそくカノンをせかしました。
「なんだか伝言板みたいだったわね。」カノンが笑いました。けれどもそれは、じっさい伝言でありました。カノンは読みあげました。
「えぇと、こうよ。……ボクタチ、テンシニ コンドハチャントシタオクリモノ スルコトニナッタ。アタラシイ、テンシノツバサ。デハマタ」
「おくりものだって!」フーガが叫びました。「天使におくりもの。」
「今度はちゃんとした、ですって」カノンも首をかしげて言いました。「この間、あたらしい糸玉をおくったばかりなのに…」
「あたち、ちゃんときいてくる!」フーガはいうなり、開いた窓のすきまから、いちもくさんに庭へ飛び出しました。
「待って、あたしも行く」カノンも庭へ降りていきました。

  ***

クモの坊やはどこへ行ったのでしょう?このまえ出会ったバラのアーチのそばで、ふたりの子ねこはしばらくたたずんでいました。
しばらくすると、ゆさゆさするコブシの木陰から、お空の色やすみれ色に光る一本のかぼそい糸が、かすかに風にたわみながら、ゆっくりと降りてきました。
「やぁきみたち!もうここへ来ていたのかい」クモの坊やがあいさつしました。
「だってすぐにかえっちゃうんだもん」フーガが口をとがらかせました。
「仕方がないよ。ぼくはいま、さっそくシュギョウチュウだもの。いろいろ忙しいんだ。」クモの坊やがしかつめらしい顔でいいました。
「何のシュギョウ?」カノンがたずねます。
「さっき葉っぱの伝言したとおりさ。ぼくらこの辺りの地上のなかまは、結局あのあと、お空の天使のために翼を織ってあげようってことになったんだ! それは、植物や鳥たちや、白いけものたちの羽根や羽毛でつくりあげるんだけれど、その下地(したじ)にぼくらクモの作った、ちょっと手の込んだ巣網を使うんだぜ。」
「すごい!」フーガが拍手しました。
「ほんとに手作りの、プレゼントなのね」カノンがうっとりとした口調でいいました。
「そうだね。ほんとうにこのあたりの生きものたちは、みんな、お空の天使にいつか姿をあらわしてもらおうとおもっていて、それじゃ手づくりの翼でも贈ってみよう、ってことになったってわけなのさ。」
「だけど、このまえ手作りの糸玉をプレゼントしたばかりなのに」カノンがちょっと不思議そうに言いました。
「天使はあれ、受けとってくれたんでしょ?」とフーガ。
「まぁね…たぶん。でもそれはじつをいうと、よくわからないんだ…」クモの坊やはちょっとうつむいて言いました。「あの日空高くのぼっていってくれた鳥たちや羽根を持つ仲間たちに聞いても、とどいたような気もするけど、よくわからないって言ってる。」
「まぁ」カノンがそっと相づちを打ちました。「そういえば、たんぽぽの精さんも、そんな風だったわ。しっかり見とどけたものはいない、って。」
「そうなんだ…だからこそ、こんどはちゃんと、たしかにとどくように、ってみんな思ってる…ってこともあるのさ。ただ、こうは言っていたよ。先頭を行くヒガラのむれが、もうこれ以上高くは行けないよ、くるしいよ、ってさえずりだした。とそのとき一陣の風が吹いて、そのひょうしに糸玉がみるみるほぐれはじめたんだって。そいつはうっすらとたなびいて、か細い線を何本もひきながら、空中を泳いでいくと、やがて長いながいすじ雲に、変わっていったんだって。空飛ぶ五線譜のようなやつに。」
「そう!」とカノンは言って、もしカブリオルがこの話を聞いていたら、それはきっと自分が作った音楽をのせた五線譜にちがいないわ、っていばるだろうな、と思いました。
「じゃそれが、天使の受けとりの合図なの?」フーガがしつもんしました。
「と、思ってるってことさ…。じっさいそうなのかは、わからないけれど。なにしろ天使の姿を、だれも見てはいないんだからね。」

  ***

「ところで、こんどの翼のプレゼントでは、もうさいしょから、ぼくたちクモのちからだけではむりで、みんなのたすけをかりなけりゃならないんだ。翼の網のなかに、いろんな羽毛だの羽骨だの、わた毛をいれるからね。でもみんなとっても協力的で、自分の羽根も織り込んでくれって、言ってきてくれる。それくらい、みんなひとめ天使の降りてくるのをみたいんだ。ほんとの姿をあらわしてほしいって、おもっているんだよ。」
「あたしたちの毛も、つかっていいよ!」
フーガがうつくしい白い胸の毛に手をあてて、元気よく言いました。クモの子はわらいました。
「だけど…ぼくは、ほんというと翼のプレゼントには、正直いって、あんまり気がすすまないんだ。」
「どうして?」
「うん‥。そぅ、うまく言えないけど、なんだか…。ときどきぼく、思うのさ。天使は、ほんとに翼なんかもらって、よろこぶのかなって。翼なんかつけて、ほんとに降りてきてくれるかなぁって。」
カノンとフーガは、目を見合わせました。
「天使ってほんとに、翼をつけて降りてくるものかなぁ?…。」
クモさんたら、カデシさんとおんなじこと言ってる、とフーガはちょっと思いました。
「ねえきみたち。どう思う? 天使って、地上に降りるとき、そんなりっぱな、目立つかっこうで、じっさいやってくるものかな。」
カノンはだまって、そういって首をかしげているクモの子をみつめていました。フーガは、ふうん、ふうん、と首をかしげながら、こう言いました。
「あのね、ええとね。うちのショサイってとこに、そんなのがあるよ。壁にかかってるの。天使っていう子が、空中に浮かんでて、頭のうえにわっかをつけて、背中から白いツバサがでているの。ふるいふるい絵なんだって、カブリオルがいってたよ。」
「そう。昔から、天使には白い翼が背中についているって、人間たちはみんな物語のなかで言ってきたし、絵にもそう描いてきたんだ。」
クモの子はしかつめらしい顔をしてこたえました。
「だけどさ。あれは、人間たちが想像した、天使の姿なんだぜ。ぼくらはそんなふうに人間たちが、あんまり長いあいだいっしょけんめいに言うもんだから、すっかりそういうものだと思わされてきちまったけれど。だけどじつはほんものの天使が、ほんとにあのままの姿をしているかどうか、きっとまだだれもショウメイできてないにちがいないんだ。ね!きみたちはさ、ほんとうにあんなしっかりときまった、目にみえる姿で、天使があらわれると、思うかい?」
カノンもフーガも、だまってじっとクモの子をみつめるだけでした。が、しばらくしてカノンが、ふと、もの思うような口調でつぶやきました。
「たしかに、もっとこっそりと、静かに降りてくるものかもわからないわね。もし天使がほんとに、地上に降りてくるんだとしたら、それはきっとだれにもわからないように、こっそりと。」
「そうなのさ。ぼくもそう思うよ。ほとんど気のせいみたいに思えるくらい、ひそっと、やってくるにちがいないって。まあ、それでもぼくは、みんなといっしょに、天使のために翼を編もうって案には、やっぱり参加しようと思うし、どうせ編むならすてきなのを編んで、お空にとどけたいって思っているけれどね。たしかに、天使が人間たちのいうとおり、あんな白いすてきな翼をつけていたら、それはたしかにうつくしいにはちがいないものね……。だからぼく、けしてがっかりしないよう、心の準備はしておくけれど、そのうえで、やっぱりできるかぎりのことはするつもりさ。せっかくのみんなの夢だもの。」
「そう…。やっぱり、そんなにしてまで、みんな天使の姿が見てみたいのね。わたし、みんなが天使に翼をつけた姿で出てきてほしいって思う気持、なんだかわかるわ。」 カノンがしみじみ、そう言いました。

  ***

夜になると、カノンとフーガはカデシさんに、昼間クモの坊やと話した天使への翼のプレゼントのことを、そっと打ちあけました。

「ええまぁそうなの。…それでみんなは、もうじき天使に、あるプレゼントをして、それを身につけて地上にすがたをあらわしてもらおうとしてるわ? そのプレゼントにはね、クモはもちろんだけど、小鳥たちや、たんぽぽやとんぼたちもみんなキョウリョクするのよ。みんなでキョウリョクして、つくりあげるの! あっ、そうそう。それにカデシさん、キョウリョクするのは、あたしたちも、なのよ!」

「ほう! カノンとフーガもかい。プレゼントのための、協力ねぇ。いったいどんな協力だい?」
「それはもちろん、天使にあげるプレゼントの、なかみのための、キョウリョクだよ! あたしたち、もうクモにお毛毛をあずけてきたもの。」
フーガはカデシさんにだっこされながら、そう、じまんげに言いました。

「へえ!でいったい、なかみというのは何だい?つまりなにを天使に、プレゼントするんだね?」

「翼だよ! 天使の翼。」フーガは元気にさけぶなり、カデシさんの肩から飛びおりて、身ぶり手ぶりでわめきたてました。

「お星さまのデデブの、ハクトージャみたいな、こぉんなの。」フーガは、おもいきり両手をひろげてカデシさんにしめしました。
「ほほう! デネブ。白鳥座。」カデシさんはちょっとおかしそうにお口をゆがませました。
「そ! きょうからもう、つくりはじめるんだって。クモさんって、とっても編みもの、じょうずなんだから。」フーガはこうふんでいっぱいになりました。
カノンもつづけます。
「それで、その翼を編むのは、もちろんクモたちなんだけど、クモの糸だけでは、つくれないの。そこにいろんな小鳥たちの羽毛や、羽根の骨や、トンボなんかの羽根もいれるわ。たんぽぽのわた毛だってよ。透きとおってるか、白いふわふわした毛なら、だれのでもつめて、編み込むのですって。そのなかに、あたしたちの、このへんのやわらかいところの毛もいれるのよ。それであたしたちもう、昼間にクモさんに自分たちのこの胸の毛を、すこしだけ、あずけてきたの。きっともう、ほかにも、この辺りのなかまの白い毛や羽根が、うちのえんのしたにいろいろあつまってきてるにちがいないわ。」

カノンがそう言って、胸のたいそうやわらかい毛を、すこしだけあぐあぐ、かじってみせました。ナデシコ色のリボンのすずも、ちりちり鳴りました。カデシさんは目をほそめました。
「それはすばらしいねえ。だがいったい、なんでまた翼なんかあげるんだい? 天使の坊やが、おくれよって、言ったのかい?」

「ちがうわ。だって、だぁれもまだ、天使とお話なんかしたことないんですもの。見たことさえ、ないんだわ。ただ地上のみんなが、かってにそれをあげてみたらどうかって、おもってるだけだわ?」
カノンがすこし、口ごもりました。
「そう、だれも、じかに天使とお話したこともなければ、そのすがたも、じかにみたことはないのよ。だからこそ、みんなはあんな、翼のおくりものなんかを、思いついたんだと思うわ。翼のおくりものをすれば、……」
「おくりものをすれば?」
「もしかしたら、天使がそれをつけて、降りてきてくれる。きっと雲のうえではそうしているはずの、ほんとのすがたのまま、地上にあらわれてくれるかもしれないって、そう思ったんだわ。」
カノンはそう言いおわると、カデシさんのお顔をちらりとのぞきました。
「なるほどねえ。……雲のうえの、ほんとうのすがた、か。」
カデシさんは、考えぶかげにあごひげをこすりながら、静かに言葉をつづけました。
「そうすれば、光の網や丘の帯や、つり糸のことも天使からじかに聞きだせるし、地上のものたちにはたいていみえない、天使の、翼をつけた姿を、はっきりと見られるかしれないと、そう思って、そのプレゼントをあげることにした、っていうわけかな?」

「たぶん、そうだと思うわ…。」
「そうか……。ともかくみんな、それほどにまで、天使と出会ってみたいということなんだね?」
カデシさんは、おちついた声でひとつひとつほりおこすように、ききました。カノンもフーガも、こっくりうなずきました。

「それはすてきなことだね。すこしでもじかに、地上のものたちが、お空のむこうのものと、むすびつきたいと思うのはね。すてきなことだし、もっともなことだ。それにまた、ふだん見えにくい相手を、できるだけはっきりした〈かたち〉で、みてみたいと思うのもね。ごく自然な気持だとおもうよ…。(わたしだって、教えてくれる、あの光じしんのほんとうの〈色〉を見つけようとしたのだったからね…。)
だがさて、みんなが出会おうとしてる、天使のほんとのすがたっていうのは、どうなんだろうね?……それが本当に、天使のほんとの姿なんだろうかね……?」

カデシさんはまたすこし、考えぶかげに、半分ひとりごとのような口調になって言いました。
「みんなが降りてきてほしいとおもっている、この目ではっきり見たいと思っている、天使のすがたっていうのは、やっぱりその、“翼をつけた天使の”、姿なのかい。」
「そりゃあそうだよ!」
フーガがすかさず、ひと声さけびました。

「そうかい……。それはやっぱり、たとえばむかしからよく絵にかかれてきたような、頭には光の輪っかに、白い翼、というふうな、あれかい?」

カデシさんは、もういちど念をおすように、お部屋の壁にかかっている、セピア色の古い絵を指さしながら、たずねました。

「うんうん。そう思ってるとおもうわ。」カノンがうなずきました。
「思ってる、思ってる。」フーガもはしゃいで言いました。「だから、翼をあげたんだよ。」

「ふむ。そうだとしたら、天使の坊やはもう、地上に降りるのが、なかなかむづかしくなってしまうかもしれないなあ……。」
カノンは、おどろいた顔でカデシさんを見あげました。
「どういうこと?」
カデシさんは、パイプをくゆらしはじめました。なにかぼんやり考えごとをするときの、いつものくせで。

「きっといまごろ、こまったなあって、雲のうえで、頭をぼりぼりかいているかもしれないよ。ふふふ。」
カデシさんはそう言うと、天井にむかってけむりをぷっぷかぷっぷかふきました。
それから、ふとカノンとフーガのほうに向きなおると、じっくりふたりをみつめながら、なにかいままで秘密にしていたお話をはじめて聞かせるみたいなしんみりした口調で、こう語りはじめました。

「ねえ、カノンとフーガや。このえかきのカデシさんも、ほんとはときどき想うんだ。さっきもちょっと言ったように、目に見えない天使のことを……。とくに雲のうえの世界にいる、天使。つまり天のくにの天使のことなら、その「すがた」を自由に想像したってかまわないだろう? だってそれはもともと、人間がかってに想像する世界だからさ。たぶんあの虹色によく光る雲にでものって、頭に輪っかをいただいて、白い翼をつけたかっこうで、ゆうゆうと地上をみおろしてるんだろうな、とか、丘のうえの教会の塔のてっぺんでも光ると、ああいま、いたずらしたそうな目でわらっているのかな。なんていうふうにね。
でもそんな姿をした天使は、つまりわたし、えかきのカデシさんが思う天使だ。好きな姿かたちをあたえたり、名前をつけるのも勝手なんだ。だけれど、ときどきこうも思うんだよ。かってに空想できる天使は、やっぱりお空のうえの天使。まだ天のくににいるままの天使だ。そいつは、なるほど天使らしい天使だ。けれど、じつはほんとの天使じゃないって…。ほんとの天使っていうのは、じつのところ、〈地上に降りてきてはたらく天使〉だってね。つまり、地上のだれかに舞い降りて、そのだれかの形をとる天使、あるいはそのはんたいに、そのだれかの目のうらで、まわりの風景や、とりまく世界を見つめている、天使のほうなんだ、って。まあそのふたつは、同じひとつのことなのだけどもね。
ようするに、こういうことさ……。天使はなにものかの形をとったとき、そのつど、ほんとの姿になるんだ。それまでの天使は、だれかが想像しないかぎり、ただの透きとおった、宙ぶらりんの、名なしのごんべえなんだ。へたをすると、お空の、遠いかなたへ追いやられちまうのが、おちなんだ。……
ねえ、こうは考えられないかい? 透きとおった、目にみえない天使は、むしろ透きとおって、これといった姿かたちがないからこそ、自由に地上のいろんなものになれるんだ。いろんなひとや土地のもとに、舞い降りられるんだって。それに天使じしん、もともと透きとおってきまった形がないからこそ、いろんなものに生まれ変わりたくってたまらないんだ。って……。それが、天使のほんとのすがただって、そう考えるわけには、いかないものかね?
お空のうえのことは、もちろん、わたしにもわからないが、――ひょっとすれば、お空にいるってことさえ、ほんとうかどうかわからないんだからね。わたしたちがそう、想像してるだけで……。――だから、そっちの世界のほうはともかく、すくなくとも地上にいるときには、これといった姿かたちのないまま、いろんな姿かたちをとる、ってのが、天使の、ごくそのままのすごしかただとは、いえないものかね?」

カデシさんは、もういちど、天井にむかってけむりをぷっぷかふきました。けむりは輪っかを描きながらのぼっていくと、ランプのしたでもくもくあつまって、ふんわりしたちいさな雲をつくりました。


カノンは目をまるくしたまま、何もこたえませんでした。ただぼんやりと、昼間クモの坊やがふと浮かべた、気のりしない顔を、まぶたのうらに想いうかべていました。そういえば、カデシさんとよく似たことをぼやいていたな、そしてたんぽぽの精も‥‥。

「天使には、自分のすがたかたちがないからこそ、自由に、いろんなもののなかに入りこめるし、いろんな形やけしきをかりてあらわれることができるのじゃないかな。だとしたら、みんな、天使が目のまえに姿をあらわしてほしいと、思うものたちは、むしろ天使がいつ、どんなすがたで、どこにあらわれてもいいように、どうぞ地上にいらっしゃい、って思っているほうが、いいんじゃないかな?……もしも天使ができるだけいろんなものに、いろんな場所に生まれかわってきたい、と思っているとすれば、……いやそれどころか、いろんなところに、同時に降りることだってじっさいできるかもしれないんだとすれば、なおさらだ。わたしたちは、いつどこで、どんなものの姿かたちを通して、天使に出会っているか知れやしない! だとしたら、なんてすばらしいことだろう。」

カノンは、それを聞くと、カデシさんのほっぺたに、ゴロゴロのどを押しつけて甘えました。カデシさんは、カノンを抱きあげました。

「そう。たとえばもし、ああ、ここに天使が降りてきた、ここで呼んでる、あそこで踊っておしゃべりしてるって、そう思った子がいるとしたら、天使はそのとき、その子が見たり聞いたりしてるもののなかばかりでなく、その子じしんのなかにも、もうちゃんと入りこんでいる、っていうふうに…。そんなふうに天使は、地上のみんなのなかに、いろいろ生まれかわることができるもの、なのかもしれないんだよ。だったらば、わたしたちはいつもたのしみに天使の降りてくるのを待って、いつ、だれの姿をかりてきてもかまわない、いつでも天使とお話できる、こころの用意をしてあげていさえすれば、もう天使はよろこんでくれるにちがいないのじゃないかな? ね、そうはおもわないかい?」


フーガはカデシさんのひざの上で、クウクウいねむりをしていました。

| Rei八ヶ岳高原 | 16:24 | comments(0) | trackbacks(0) | | - | - |
地上の好きな天使 第一章第3話-1
第一章

第3話-1 子ねこのカノンとフーガ、天使のつり糸と翼の秘密を知る 前編

 さて、それから一年の半分ほどたった、ある夏のはじめのことでした。
雨あがりの空に、朝はやくから虹がかかりました。子ねこたちを起こすよう、虹にせかされた眠りの精は、まだねごとを言っているカノンとフーガの耳もとで、こんなふしをささやきました。


 カノンとフーガは なかよしこよし
 きくばりカノンに ずっこけフーガ
 クモの編み物 ビーズがゆれる
 気になるな
 タンポポおでかけ わた毛のパラソル
 気になるな
 おさんぽ大好き 行こう 行こう
 おはなし大好き また会いましょう


 ここはまた、雲のうえ。天使のパドは、すずしげな風に吹かれて、ひろいお空をながされています。きょうのパドの雲のざぶとんは、尾びれのついた、おさかなです。明け方まで雨を降らせていたなごりで、ちょっとだけ、おなかの底がまだくろずんでいます。やんわりと細い、モヘヤ毛糸のひだが七本、虹色にかがやいて、雲のおしりからひらひら泳いでついてきます。

 パドはさっき、ムラル山脈のすそに、虹をかけてきました。 空たかく、いきおいよくのびる虹を。そして、あんまり気分がいいものだから、七色の光線のなごりを、雲のおしりにつけてきた、というわけなのです。

 きょうのパドはそんなわけで、たいそうごきげんです。

「やあ、今朝はすっかりいい天気。なんて気持がいいんだろ。ぼくの丘も、元気かな? そろそろエメラルド色にかがやいて、草のおひげもすこしづつのびて、風にそよぎはじめているのかな。みてみようっと!」
 パドはまた、いつものように望遠鏡をポケットからとりだすと、大好きなチッポルの丘にむけました。
「フンフン、じつにごきげんそう。」

 つぎに、たんぽぽの小道を、じぐざぐつたってのぼります。
「フンフン、じつにごきげんそう。」
 つぎに、いよいよお気に入りの場所、えかきのカデシさんの家のようすをうかがいます。
「フンフン、じつに……おや?」
 パドはおもわず望遠鏡をはずしました。
「子ねこがいない。」
 パドはまばたきをひとつ、してみました。
「やっぱりいない。子ねこがいない。いつもはこの時間に、本がどっさりある部屋の窓から、こっちをながめているんだけどな!」
 そう言って、パドはすこし望遠鏡を部屋の奥へむけました。
「やあ! カデシさんがいたいた。娘さんとお話してるぞ。……娘さんは、けらけらわらってる。」

 すると、庭さきへはり出したベランダを、一匹の子ねこのかげが、さっととおりました。いっきに庭におりていきます。
「やあ! いたいた。おっと、もうひとりの子ねこもいた。こんどはふたりならんで、庭でだれかと話してるぞ……。あいつはクモかなぁ?ちょっと降りて見てみたいな。どらどら。ちょっといたづらしてみようっと。」

 パドは、いそいでつり糸をたぐると、ぱっとカデシさんのお庭に放りました。つり糸の先は、お庭にかかるバラのアーチのすそにとどいて、からみつきました。そこには、ちょうどレースグモの巣が、たいそうきちょうめんに張りめぐらしてありました。
 パドは、巣をこわさないよう気をつけながら、網の中心から、ツウと一本の透きとおった糸をたらしました。……と、ふいに、なにかふしぎな光のようなものがまたたいて、ま下にいたクモのなかへと、これをつたって降りていきました。


         * * *

 さて、その少しまえ。こちらはカデシさんのおうちの中。

 ナデシコ色のリボンをつけた茶トラのカノンと、ヒマワリ色のリボンをつけた三毛ねこフーガは、けさ、たいそうにぎやかな〈なりものいり〉のおもてのさわぎに、目をさましました。
 こんな朝はやくから、いったい何のおまつりでしょう? そう思って耳をすますと、あけがたまでの雨なごりで、天井のうえやら軒さきのほうぼうで、雨だれこぞうが元気に小太鼓をたたいては、きそい合っているのでした。

「ピチャピチャポッタン、ポッタン、トン。どうだい、なかなかしゃれたリズムでしょ?」
「トゥルルルルル‥、トットト、トットトツトトン、ツトトン、トントントン‥。どうだ、おいらの早打ち、なかなかのもんだろ」
「トッテン、トン、トッテン、トン。トツ、トツ、トツ、トツ‥‥。ゆっくりだって、はっきりした音を出すほうが、えらいんだい!」
 なんて、口ぐちに言いながらね。

 さて、カノンとフーガはいつものように、目を覚ますとまず、のびをして、あくびをして、そろってベッドをおりました。それからふたりは、かぎのおててでお顔をあらい、舌でからだをなめ合います。それがすむと、ふたりはのどをごろごろ鳴らしながら、カデシさんのいるとなりの部屋へかけて行くのです。ちいさい鈴をチリチリ、いわせながら。
「グルワ〜ン」
「ナア〜ン?」
 扉のすきまを頭でおして、入ります。

「おや、おはよう。おちびたち。よく晴れたねえ!」
 えかきのカデシさんは、カノンとフーガをいっぺんにだっこすると、おひざにのせて言いました。
 雨だれこぞうのほうは、あいかわらずポッタン、ピッチャン、やっています。
「うるさいなぁ。いつまでつづけるつもりだろ?」
 フーガは床におりるなり、飛行機みたいに耳のつばさをすっかりねかせて言いました。
「ほんと! なんかますます、そうぞうしくなってきちゃったみたい。」
 カノンも、自分のシッポにあごをのせて、たいくつそうに言いました。

「たしかに、元気がいいようだ。はてさて、けさもなにか気持のいい音楽でもながそうと思うんだが、こう、坊やたちのいきおいがいいと、どうしようか、なやんでしまうね。……なにか坊やたちのおじゃまにならないようなものは、ないかねぇ。」
 カデシさんはすこし困ったようすで、カノンとフーガにきいてみました。ふたりとも、うらめしそうに首をかしげます。

「これがちょうどいいわ。」
 その時、カデシさんの娘、カブリオルが、メトロノームを持って、やってきました。メトロノームは、カチ、コチ、カチ、コチ。礼儀ただしくきおつけをして、時計のようにきちょうめんに、澄みきった、朝の空気をきざんでいます。
 メトロノームの振り子を見あげながら、カノンとフーガはもう、おしりがうずうずしてきました。
「おっとと、いやぁよ! たのむからこの針には、じゃれないでね! おチビたち。」
 カブリオルはふたりの子ねこに言いきかせました。
 それから、勢いよく窓を開けると、こんどは屋根のほうをのぞき込んで、軒さきをつぎからつぎとすべり降りる、雨だれの生徒たちにむかって、こうどなりました。
「ね、あんたたち! これに合わせなさい」
カブリオルは、メトロノームを空にかざしながら、いばって言うなり、あっ!……と叫びました。
「まあ――虹じゃないの! なんてきれい。」
 床をごろごろころがっていた、カノンとフーガも、びっくりして出窓にかけ上がりました。 
「気がついたかい?」
 カデシさんは目をほそめてわらいながら、
「音楽のほうは、もうすこしの間、こいつに耳をかしておくとしよう。」
 などといって、新聞を読みはじめました。

 西の空に、七色の光の帯がおおきな弧をえがいてのぼっています。それはほとんどまっすぐに、空のてっぺんへとむかうように、出窓のわくからはみだしそうな高みにまでのぼっていって、きゅうにふっと、お空に消えています。
 カノンとフーガも、こんなおおきな虹は、生まれてはじめてでした。いつか一年の半分ほどまえに、小鳥たちの演奏会をききながら、チッポルの丘のふもとであおいだ空に、おひさまにかかった虹の輪の赤んぼうをみたのが、まぶたのうらにふとよみがえりました。が、ほんものの、おとなの虹はまだみたことがなかったのです。
「とってもきれい。」
 フーガがはしゃいで言いました。カノンはだまって、ものおもいにふけったような目をして遠くを見ています。

 小川の岸辺のトネリコの木立が、くすぐったそうに風にふるえる、葉っぱたちをあやすように、さやさや、ささやきかけながら、梢のゆりかごを揺らしています。トネリコたちのからだは、ステンドグラスの色とりどりの光を、からだにちらちら受けていました。そうして、虹の精のばらまいた七色のビーズ玉の小人たちが、メリーゴーランドの魔法をかけられたように、その光のうえをすこしもじっとせずに追いかけっこして回るので、トネリコの生まれたばかりの葉っぱたちは、くすぐったくてしかたなくって、ほんとにゆかいそうに、はしゃぎ声をあげています。

「おやおや?」
 オレンジ色した屋根のおうちのなかで、カデシさんはまた、ふと耳をすましながら、天井を指さしてこんなことを言いました。
「雨だれの坊やたち、ずいぶんと落ちつきが出てきたようじゃないか。このリズムはなかなかいいぞ! それに、音程(おんてい)だってけっこうしっかりしてる。」
「まあ、ほんとだわ!」
カブリオルはたいへんご機嫌そうにそう言うと、もうメトロノームを止めました。そうしてまた、じっくりと耳をすましますと……
「トンッッッ、トンッッッ」
「ピットン、パッコン、ピットン、パッコン」
 そんな4分の4拍子のリズムのうえに、たちまち音符の列になりそうな、ととのった音の連続が、あっちからも、こっちからも、落ちてきては、たがいにけんかをしないハーモニーをつくりはじめています。
 傘たてがわりのビールだるに落ちていたしずくも、ブリキの板や、ペンキの缶をたたいていたしずくも、雨もりよけのコップのなかに落ちていたのも、庭の鉄箒(じゃらん)の歯をズィンズィン、鉄琴(てっきん)がわりに鳴らしていたのも、もうみんな、いつしか自分勝手はやめて、きそいあわず、十二階だての音の階段のなかから、あるひとつの階を、ひとりでに選んで、メトロノームにさそわれたひとつのテンポのうえにのり、そのなかで自由に自分のメロディをつくりだしたようです。そうして、みんなで追いかけっこをし合いながらも、おたがいのふしもきき合って、あらそいにならない響きの手をむすびながら、進んでいくのでした。
 それはもう、ひとつの音楽でした。

「わぁおもしろい。これ、書きとめようっと!」
 カブリオルは、いそいで五線紙をひろげると、《虹のうた》と題をつけ、雨だれたちの打つ音とリズムを音符にしはじめました。

「ほう、まるでチェンバロの曲のようだね‥‥。おじいさんの時計のように、ずっとずっとむかしから、ひとりでに刻みつづけていく時間の音楽みたいだ。」
 音楽の大好きな、えかきのカデシさんは、こう言いながら、ひとつの古い曲を棚から取りだしました。

「そのまま、この音楽へうつっていこう。」
 カデシさんは、チェンバロのしずかな曲をかけはじめました。
「しってる、これ、エナガたちがひいた楽器だね?」
 フーガが耳をぴんとたてて言いました。

「ほう! フーガはチェンバロを知ってるのかい。」
 カデシさんはおどろいてみせました。

「うん。いつかふしぎな光の日があってね、ふしぎな光をだすふわふわの雲にのったお空の天使のために、小鳥たちが、いろんな楽器をつくって、あすこの丘にもってって、みんなで合奏したの。」
 フーガは、窓の外を指していいました。

 みどりふかい、チッポルのなだらかな丘。その上空をめざして、お空の天使の雲のざぶとんが、けさもふわふわ、お空をただよっています。
「そのときね、エナガたちの楽隊がひいたのが、これだったんだよ! ねぇ、カノンちゃん?」
「そう。あたしたち、エナガがチェンバロをつくる一部しじゅうを、みていたの。……そういえば、このどこかチクタクいうかんじ、あのときとそっくりだわ。」
 カノンもうっとりした顔をして言いました。
 お部屋に流れはじめた、そのチェンバロの音楽は、ふしぎとおもての雨だれたちの合奏と、なかよくしています。なんだかもとはひとつの音楽を、おたがい知っていたかのよう。


 さて、朝ごはんをすませたカノンとフーガが、またいつものように窓辺にすわって、いつのまに消えた虹のあとを、きらきら飛びかうミツバチや、輪になって踊るちょうちょたちのロンドを気にしながら、すっかり晴れあがったお外をまぶしそうにながめておりますと、カデシさんはさすがに、ちょっとかわいそうになって、言いました。

「そうだ。カノンや、フーガや。おまえたちもすこし大きくなったことだから、そろそろふたりでお外へ遊びに出てもいいことにしようね。だが、これだけは約束するんだ。あんまり長い時間、行かないこと。それから、あんまり遠くへは、行かないこと! そう…たとえば、あそこの丘ほどに、遠いところはね。」

 カノンとフーガは、カデシさんの絵の具だらけのズボンにからだをこすりつけると、のどをグルグルならしてお礼をしました。
「遠くへ行きたくなったときは、きっとこっちを呼ぶんだよ?」
 カデシさんは念をおしました。
 カブリオルが出窓をあけ放ちますと、ふたりはまるで足にばねでもつけたように、さっそくお庭にくりだしていきました。・・・


 カノンとフーガは、うれしくてうれしくてしかたありません。きょうからはこっそりと、だまってお部屋をぬけ出さなくてもいいんです。それにお散歩するにも、もうだあれもおともなしで、ふたりだけで胸をはってお外を歩けるのです。なんて晴ればれした気分でしょう! きょうのお天気みたい。
 でも、あんまり遠いところや、こわいところへは行けません。
 で、ふたりは相談して、お庭めぐりをすることにしました。館をかこむお庭は、まるで迷路のよう。まずは出窓の下から、出発します。
 ふたりはそろってかけ出しました。――

 ノンノンノン、……ご機嫌よく、ふたりがお散歩をはじめて、まもなくのこと。
玄関さきのノバラのアーチと、ニワトコのしげみの間をくぐるとき、カノンがシッポをもちあげて、きゅうに足をとめました。
 フーガもすぐに気がつきました。
「あれなあに? カノンちゃん。」
 カノンとフーガはじっと目をこらしました。

 ニワトコの枝さきと、イバラのアーチをつなぐように、それはそれはうつくしい、大きな光のレース編みがかかっています。いったいだれがほしたんでしょう? まだすこし、ぬれていますけれど。
 ふたりはよくよく近づいてみました。
「うちのガラステーブルにのっかってるのと、そっくりだ。」
 フーガがさけびました。
「だけど、あれよりかもっと、ずっと透きとおって、きらきらしているわ。ほらみて、あっちにもこっちにも、かざりがついているもの。」
 カノンが、ため息まじりにそう言いました。あちこちにビーズの玉が光っています。
「こっちのかざり、もうおっこちそう! あ〜ん。」
 フーガが口をあんぐりあけて、下でまちかまえます。
「あたし、このレース編みほしいな! つめにひっかけると、ガムみたいにぐちゃぐちゃになったり、のびたりしそうだもの。」
 カノンも、ながいシッポをふるわせながら、いまにも手をかけそうになった時です。

「こら、遊び道具じゃないんだぞ!」
 ふいに、むっとした声が空からツツゥーと、下りてきました。みると、網の中心からま下へおろした糸をつたって、一匹のレースグモの子が、いそいで地上に降りてきました。 サーカスのピエロみたいな、黄色と黒のくすんだシマの衣装を着ています。
「ごめんなさい。でもきらきらして、とっても気になるんですもの!」
 カノンがなだめ声で言いました。

 とその時です。クモの巣の網の中心から、ツウと一本の透きとおった光が降りてきました。……とふいに、みどりがかった青白い色の光の影のようなものがまたたいて、ま下にいたクモの坊やのなかへと、これをつたって降りていきました。
 ――――クモの坊やが、ふと笑いかけました。

 ざぁーーっと、いちじんの風が庭を吹きぬけていきます。アーチにからむ、ノバラの白い花びらから、ゆっくりと蔓べをつたって落ちてくるしずくの精が、風にたわんだレース編みのあちらこちらにひっかかっては、うつくしいビーズのかざりになってうちふるえました。そうして、草のにおいのするそよ風が、庭をわたってそよぐたび、それはそれはめまぐるしく、色とりどりに輝いていました。……そうそう。もしかするとさっきの虹が、ちいさい宝石になって、ここによみがえってきたのかも知れないな、そんなふうに、カノンとフーガには思えました。
 きらきら光を放つのは、しずくのビーズだけではありません。それをつなぐ糸じしんも、みえない光の階段を、あっというまにすべり降りるエスカレーターと、あっというまにかけ昇るエスタレーターの、行きかえりの合図のたび、何色ともいえない信号を、まばたきのように放っていくのです。

「きれいだろ?」
 クモの坊やは、ちょっととくいそうに言いました。
「うん、とても。」
 カノンがこっくり、うなづきました。
「うん、とても。」
 フーガがこっくりこっくり、うなづきました。
「何度も練習して、やっといちにんまえになったんだ。」
 そう言いながらも、おやおや?クモの坊やは、どうしたのでしょう、またふいに、いのちづなをつたってのぼっていくと、せっかく張ってある光の網を、なんとたたみはじめているではありませんか。
「もったいなぁい。どうしてたたむの?」
 フーガはおひげをピクピクさせて言いました。
「店はおしまい。おいらは朝、たたむのさ」
 クモは手品師のようにすっかり糸をどこかへかくしてしまいますと、
「もっとみたけりゃ、庭のあちこちを見みまわしてごらんよ? たたまないで、一日中張っておくなかまのも、たくさんあるんだぜ。ほら、あそこだって。」
 そう言って、お庭のほうぼうを指さしました。
「あれはハンモック。あんずの枝と枝のあいだに、ゆりかごみたいに揺れているだろ?
オウギグモの編んだのさ。それにほら、てっぺんだけ編んでない、バスケットみたいにぶらさがってる網があるだろ?」
 クモの坊やはシラカバの低い枝をさしました。
「あれはジョロウグモさんのだ。」
「あそこのは? ほらみて、フーガ。ななめの線だけ、太いバッテンに編んであるわ。それにいろんなかざりもついてる!」
 カノンが目をパチクリさせてたずねます。
「あいつはアクセサリー屋。コガネグモの店だ。ぼくのよりか、ずっと細くて、目が混んでいるでしょう?」
 フーガも短いシッポをトントンさせて、
「ねえねえ、あのねばねばしたのは?」
「ああ、草のうえに張ってある網かい? あれはねぇ、クサグモのなんだ。あいつらときたら、もう家中、めちゃくちゃさ!」
「そういえば、めちゃくちゃ知しってる! あれ、ものすごくしつこいやつ。あれがいっとうガムみたい。」
 フーガがこうふんしてさけびました。
「あたしもしってるわ。このまえ、お散歩につれてってもらったとき、あの網がベタベタ足にくっついて、とうぶん離れなかったの。‥‥ああ、それにしても」
 カノンがこころなしか首をかしげて呟きました。
「もったいなかった…。さっきたたんじゃった、きれいな編み物。もっと見ていたかったわ。」
「あたしも、さっきのやつほしい! さっきと同じの、ほしい!」 
 フーガがそう言うなり、となりの角のヴェランダへとんで行ったかとおもうと、たちまちカデシさんの望遠鏡のある、かんそく台から、まあるい紙をくわえてもどってきました。
「こういうの、ほしい。これつくってよ!」
 フーガは白い手で紙をたたいてみせました。お星さまとお星さまの間が、目もくらむような複雑(ふくざつ)な糸でむすんであって、ヘビつかいや、さそりや、つばさをつけたお馬のかたちにつながれています。
「フーガ。それ、編み物じゃないわよ。」
 カノンがおどろいて言いました。フーガは、星座表(せいざひょう)を、レース編みとまちがえていたのです。
「うぇい!」
 フーガはうなりました。
「ううん…。そいつはよわったな。」
 クモの坊やは、まじめな顔をしてつぶやきました。
「もし、それと似たのをつくってやるにしても、いまのぼくにはむずかしすぎるな。そんな手の込んだのをつくるには、これからもっともっとシュギョウをつまなきゃ。もっとも、天の川を編むには、ぼくよりコガネグモのほうがよっぽど帯をじょうずに編み込みそうだぜ。なにしろあいつらときたら、手の込んだことが好きだからね…。」

      * * *

 そうこうするうち、三人は、すっかり仲良しになりました。しばらく過ごしているうち、クモがこう言いました。

「ねぇ。…きみたちは、この辺りのようすをうかがっている天使のうわさを、きいたことあるかい?」
「天使ですって?」
 子ねこのふたりは息をのみました。
「天使、知ってる!」
 フーガが目をかがやかせてききました。
「天使って、もしかすると、ふしぎな光のでる日にふわふわの雲のざぶとんにのってくる子のこと?」
「やぁ! きみたち知ってたの?」
 クモはかえっておどろいたようすで、そうきき返しました。
「まぁ、そういうぼくにも、天使ってやつがいつもそうだかどうなんだか、じつはよくわからないけれど。この辺りの連中が言うには、きっとそういうことだと思うんだ…ふしぎな光の日にやってきて、ふわふわのざぶとんに乗っていて…。」
と、ややあいまいに、こたえました。

「わたしたちも、天使のほんとうの姿は、みたことないわ。でも、光のできごとはまえに一度みたわ。小鳥たちが、その日話していたの。」
 カノンが、ちょっとなつかしそうに、物語るような声で言いました。
「うんうん。たぶん、天使の姿そのものを、みたことがないのは、だれだっておなじさ。でも、きみたちにも、光のできごとは、みえたんだろ。すごいじゃないか。……へえ、だけどおどろいたな! きみたちには、それを話す小鳥たちのおしゃべりが、きこえたのかい?」
と、クモの坊や。
「そうよ、それであの日あたしたち、きょうがなにか特別の日なんだってこと、知らされたんだもの!」
「おしゃべりだけじゃないよ! あたしたち、そのあと小鳥たちの合奏だって、聞いちゃったもの! ねぇカノンちゃん。」
「そうなの。天使のしらべみたいな、小鳥たちの合奏だったわ?」
「そうかい!」クモはたいそう感心して言いました。
「そいつは、たしかに、あの日のことだ。光のできごとの日にちがいない…。ふうん、きみたちねこにも、小鳥たちのことばと音楽、わかるとはね…。」
 クモは、なかば自分をなっとくさせるように、うなずきながら言いました。
「それは、あたしたちが、特別なねこだからかもよ!」
 フーガがとくいそうに、胸をはりました。
「それより、あの日が、ほんとに特別の日だったのよ‥‥。きっと。」
 カノンが、茶トラの長いシッポをくゆらせてつぶやきました。
「だって、なにもかも、ふしぎだったの。小鳥たち声も、なんだかいつもとちがったことばで聞こえてきたの。音楽だってよ。」

 クモの坊やはふと、ふたりのねこが、きょう、たったいまも、いつもは聞こえないはずの声を聞いて、こうしていつもとちがうことばをしゃべっているのに、気づきますと、すっかりうれしくなってしまいました。
 きゅうにこころから、わらいがこみあげてきます。
このふたりには、もうなにもかも話せるようにおもえました。

 ふと、クモの坊やの顔から何かの光のしるしが、降りてきたと思うと、またあっという間に天に昇っていきました。クモの巣は、ついさっき、もうすっかりたたんでしまったのに、気のせいのようなみえない光が、あかね色や緑色にかがやいて、クモの坊やの顔を照らし、やにわに天にのぼっていったのです。――――


「ね。そういえば、あのざぶとんの雲にのってくるっていう、天使の秘密を、知っているかい? ぼくたちクモと、とっても関係のある秘密なんだぜ。」
 クモの坊やはほほえみながら、たずねました。
「秘密? 天使とクモと?」
 ふたりのねこは、おヒゲをふるわせ、目をまんまるにして身をのりだしました。
「なあになあに? それはなあに?」
「えっへん! それはね‥‥」
 クモはいばりながらも、きゅうにひそひそ声になって、言いました。
「お天気の日に、光の天使がおひさまから地上いっぱいにかけ下ろす、網を知ってるかい?それと、あそこのとんがった教会がたっている丘に、お昼になるとまっすぐに降りてくる光の帯のこと!」
 クモは、前あしで遠い丘のてっぺんを指差しながら、たずねました。
「知ってる、知ってる!」
 ふたりのねこはそろって、うなずきました。
「あたしたち、毎日あそこの窓から、みてるもん!」
 フーガがいばって、いつもおすわりする白い出窓を、指さしました。

 出窓からは、まだかすかに カデシさんのかけているチェンバロの音楽が聞こえます。 ときおり、カブリオルのきゃっきゃっ、いう声が、それにまじって響いてきます。

 カノンが、ひとつひとつ思いおこすように、話しはじめました。
「あのふしぎな光のできごとの日から、窓の外をながめるたび、なんだかいつもま昼になると、雲から光るほしものが、たれてくる気がするの。そのうち、教会の赤い帽子のてっぺんで、お星さまのような光がきらきらって、まばたきするわ。光の網も、よくみるのよ。ふかふかになった雲のざぶとんが、お空のまんなかまで来ると、いつもわたのすきまから、おひさまにかけた光の網を、この村いっぱいにかけおろしてるわ? あたし、あの網が、いつかの光のできごとがあった日に、それはそれはきれいな虹のリングを、おひさまにかけてあげてたことも、おぼえてるの!」
「そうか。みていてくれたんだ! やあ、じつはさ、その光の帯も網も、ぼくらとおなじ、このクモの糸でできているんだぜ。」
「ほんと?」
 フーガが、目をまんまるくしました。
「まあ!…じゃ、透きとおってみえるのは、そのせいなの?」
 カノンはさっきまでここに張ってあった、クモのレース編みのまぼろしを、たどるようにソラによみがえらせて、そうつぶやきました。
「どうしてわかった? 天使の帯と網が、クモの糸だって! どうやってたしかめた?」
 カノンもフーガも、こぞってたずねました。

「いやぁ、それがさ‥‥。」
 クモの坊やは、ぼりぼり頭をかきました。
「ほんとに、ほんとにクモの糸かってことは、じつをいうとだれも、まだたしかめられたことはないのさ。でも、きっとそうにちがいないって、みんなそう言っている! いや、言っている だけだけど…。でもまあ、そう言っている。クモばかりじゃなく、この辺のなかまは、みんなだよ。
 あのねえ、こういういい伝えがあるんだ。おじいさんの、おじいさんの、そのまたおじいさんの、……ともかくものすごく年とった、おじいさんのクモが、はじめてお空の天使に、クモの糸玉をプレゼントしたって話がね。」
クモの坊やは話の糸をつむぐように、こうものがたりました。

「天使はいまでも、そのクモの糸玉から糸をひいて、雲のうえから地上につり糸をたらして合図をおくったり、お空に雲のいたづらがきをして遊ぶんだって…。 だからぼくたちクモは、いまでもときどき糸玉を巻いては、小鳥たちに、かれらのかなでる音符の五線にして、空へながしてもらったり、ほかの羽根をもったいろんな生きものたちに、空に舞いあげて送ってもらうんだよ。だから、あそこの丘の帯にも光の網にも、きっと贈った糸玉のその糸を、天使はつかってくれているはずだって、そうみんなは思ってる。」

「ふうん…。」
カノンもフーガも、じっと聞き入っています。

       * * *
「ねえね。あの日から時どき思うのだけど、みんなはなぜ、天使って子が好きなの?」
 カノンがふいにたずねました。
「そうだよ。どうして、そんなにしてまで、天使って子をまねくの?」
 フーガもききました。
「ううん…。」
 クモの子は、そうきかれると、たいそうとまどったようすで、前あしを組みました。
「どういえばいいんだろう。そいつはむずかしい質問だ。」
 クモは、低い花壇(かだん)の端にちょこっと腰かけてから、しばらく考えはじめました。カノンとフーガも、ならんで腰かけました。
「でも、たとえばきみたちはあの小鳥たちの合奏のできごとのあった、ああいうふしぎな日には、なにか気持がよくならないかい?」
「よくなる、よくなる!」
 フーガが拍手しました。
「そうね! あの日はとくに、心がおどって、どきどきして。お空はさわやかだったし、音楽にもうっとりしたわ。ふだん聞こえないものが聞こえたし、見えないものが見えたわ。」
 カノンもうなずいて言いました。
「透きとおったいろんなものが、浮かんだり、ただよったりしたもの。」
「いろんな光の糸の色が、すこしづつ、うつりかわるのもみた!」
「そうなのさ…。とてもいい心地が、するだろう? そういう時、ぼくは思うんだ。もしかすると、お空の天使は、ぼくらとつながっているのかな、って。もしそうなら、ちょっとでいいから、会ってみたいなって。」
「あたしたちのしあわせな気持が、そのまんま天使の気持なのかもしれないわ?」
 カノンがおしりをツンとあげて、言いました。
「そう、ふたつがひとつ、ふたつでひとつ、っていうふうなね。」
 クモもうなずきました。

* * *

「そういえばきみらは、カデシさんちのねこなんだろう?」
 しばらくして、クモが言いました。
「カデシさんを知ってるの?」
 カノンがおどろいてききました。
「カデシさんて、あたしたちのごちゅじんだよ?」
 フーガも、そうさけびました。
「しってるさ。ぼく、よくカデシさんちにおじゃまするもの。とくにアトリエの、あの高い天井にはね! わかるかい? サーカスの練習にも、編みものの練習にも、ぼくらクモには、あそこがうってつけなのさ。おまけに、ぼくのお気に入りの絵に、いくつも会えるんだからね。おもわずあの中へ入っていきたくなりそうなやつにさ! そうそう。あのアトリエのなかにひとつ、光の帯が、雲の間から降りている、チッポルの丘の絵が、あるじゃないか! ほんものそっくりのさ。」
「え、ほんと?」
 ふたりが、目をくりくりさせて、ききかえしました。
「ほんとって、きみたち、自分の家の絵のことも、知らないのかい?」
 こんどはクモが、目をまんまるくしました。
「あのねえ、あたしたち、〈おいた〉ばっかりして、いろんなとこに穴あけて入るから、絵のなかだけはこまるよって。それであすこのお部屋だけ、まだ入れてもらえないの。」
 フーガがややしょんぼりした顔で、言いました。おヒゲをくんにゃりさげて。
 それを聞くと、クモの子はげらげらわらって、
「じゃぁがんばって、〈おいた〉をしないいい子にならなくっちゃね」
と告げてから、
「やぁいけない! こうしちゃいられなかったんだ。おしごと、おしごと。もう、あなぐらへもどらなくちゃ! へへ、きみたちの天井うらや、えんのしたが、ぼくらの作業場なんだぜ。じゃあまたね!」
 と、いそいだようすでクモは、前足を一本あげてあいさつすると、あわてて走って行きました。
「あの、あの! クモさん。ちょっとまった!」フーガがあわてて呼びとめました。
「ねえ、網を張るところは? いつ見せてくれるの?」
 クモの坊やは、手を振りながらいいました。
「それは、また会ったとき!」


         * * *

 さて、お庭にはあいかわらず心地よい風がそよいでいます。どこからか、あまずっぱい、いいにおいもしてきます。カノンとフーガが、ノバラのアーチをくぐりぬけ、そのいいにおいのほうへさそわれるように、お庭のすみのくらがりにむかって歩いていきますと、うすむらさきのリラの花が、まるでお城の塔のようにとがったからだを、枝のあちこちでゆらしながら、いいにおいを放っています。そのお城のまわりを守る、ねじくれたリボンのような葉っぱたちも、妖精のこもりうたを歌いながら、ちらちら日ざしをちりばめては、お庭の地面にハチの巣状の、おひさまのわれた鏡をうつしています。
 そのうち、日ざしはいよいよつよく照りつけてきました。おひさまの白黒映画が、いっそうくっきりと庭のスクリーンにうつしだされるので、カノンとフーガはちょっと目がくらくらしました。
 と、足もとを、まるでおまじないにかかったみたいにみちびかれて、アリたちが、ぞろぞろ群れをなして行進していくではありませんか。カノンとフーガはおもわず後を追いかけました。でもなんだかふらふらして、手をだそうとするすきに、行列はどんどん先へすすんでいきます。
 そのうちアリの軍隊は、魔法のくすりのたちこめる、リラの塔めがけて、一列になってよじのぼって行きました。お城に侵入しはじめた、まっ黒いよろいかぶとの騎士たち…。 カノンとフーガは背のびして、リラの木のすそによりかかりながら、ちいさい軍隊を見おくっていました。

 ちかくの森では、カッコウが、なんだかこわれた時計みたいに、いつまでたっても十時をすぎぬ、かわりばえのしない声で時を告げています。
 リラの天幕におおわれた、かげ絵のまわる遊園地のなかで、まぶたにちらちら葉かげを受けながら、ふたりの子ねこが何かを待っておりますと、おや。なんでしょう?
 木陰のとなりのひだまりから、なにやら白いふわふわしたものが、ひとつ、ふたつ、まるでちいさい気球のように、ゆっくりと空へ舞いあがっていくではありませんか。

 それは、たんぽぽの精でした。おひさまのぬくもりをぽかぽかとからだじゅうにあつめながら、ねむっていた若い種の精たちが黄色い花のベッドからひとり、ふたり、風の声に背中をおされて、ゆっくりと身をもたげたとおもうと、きゅうにいそいそとお出かけのしたくをはじめます。みんな、わた毛のパラソルを、白いプラネタリウムみたいな円い屋根からひとつずつぬき取っては、右に左に、くるくる回しながら、いまにも空へ飛びたっていこうとしています。
 カノンとフーガはいそいでひとりのたんぽぽの精のあとを追いかけて行きました。
「まってまって。よくみせてよ、その傘!」
「いったいなあに? おおさわぎをして?」
 たんぽぽの精は、せっかく舞い上がった白いパラソルを、わざわざつぼめて着地(ちゃくち)しました。
「ねえ、おねがい。それみせて。白くて、小鳥の毛みたいにふわふわしてすてき。」
 カノンがさけびました。
「あたしたちの胸の毛にもちょっと似てる! お耳の下のこの毛にも。ねえ、ちょっとだけ、それ、さわらせて!」
 フーガもおねがいしました。
「しかたがないわ…じゃあ、少しだけね。わたしたち、どちらかというといそいでいるから。そうはいっても、間に合うのかどうかも、何か起こるかどうかも、ほんとうはわからないのだけど」
「どこへおでかけ?」
 白いわた毛のプロペラに、息をふわりとかけながら、カノンがやさしくたずねました。
「お空のようすをうかがいに。わたしたちの、あたらしいねどこを、見つけに行きがてらね。」
「お空のようす?」
 カノンがきき返しました。
「ようすみて、どうするの?」
 フーガが首をかしげました。
「きょうが、ほんとうにふさわしいかどうか、たしかめるの。」
 たんぽぽの種の精が、あわいひとみを空にそらして言いました。
「ふさわしい、って、もしかして、あのふしぎな光のできごとの日?」
とカノン。
「そうなの…もっとも、そういう日に、天使がこの辺り一帯に降りるのか、私たちがのぼっていくのかは、ほんとのところ、よくわからないけれど。」
 たんぽぽの種の精はそうひとりごちてから、
「それはそうと、どうして知ってるの? あなたがた。ふしぎな光の日のこと…ねこのくせして。」
パラソルのわた毛をふくらましながら、そうたずねました。
「ねこのくせに?」
 カノンはすこし、むっとしました。
「あたしたち、特別のねこだから!」
 フーガのほうはとくいげに、たいそうはしゃいで言いいました。
「まあ。そう!」
 たんぽぽの精は、すましてこたえました。
「それじゃあ、もうちょっとくわしく、教えてあげるわ。そのかわり約束して? あなたがた、きっとわたしたちにじゃれてひっかいたり、わたしたちをふみつぶしたり、しないって。」
「しない、しない!」
 ふたりはちかいました。
「わたしたちをつついて、おなかのなかへとじこめたりしない?」
「絶対に、しないわ。」
 ふたりはそろって、大きくうなづきました。
「じゃ、いいわ。おしえてあげる、いろんなこと。」
 たんぽぽの精は、このあたりにむかしから住んでいる、いかにも妖精らしい口調で語りはじめました。

「わたしたちね、このあたりの空をつかさどる天使が、よく地上に降りたがっているらしいのを、知っているの。ちょっといたずら坊やの天使だそうなのだけれど。それで地上のみんなが、なぜかしら天使に降りてきてほしいと思う気持をつのらせて、しかも天使のほうでも降りたいな、この辺りで遊びたいなって思っていそうな、日をえらぶのよ。あるいはなにか天からの信号を、見たり聞いたりした地上のなかまが、多くいる日を、わたしたちが感じとってえらぶの。そう、その日のお天気や光の感じや、みんなの気分‥‥そういう思いのつのる瞬間なんかをね、見さだめなくてはならないの。それが役目なの。天使をまねくために。」
「それじゃ、いつかの小鳥たちの音楽会の日にも、あなたがたのような、妖精が、はたらいていたのね?」
「ええまあ……。それでじつをいえば、けさも、まずわたしたち妖精が、宙を舞い上がって、雲を降りる天使と、わたしたち地上のものたちがひとつになる瞬間の、なにか合図のこうかんをするのに、ふさわしい日になりそうかどうか、たしかめに行こうとしていたの。まあ、たしかめるっていっても、ちょっとあいまいものだけれど…。」
「ふうん」フーガが鼻をならしました。
「でもきっと、わたしたちの心が、空を飛び回ってるうちに、だれかに呼びかけたいような、ふしぎななにかに満たされて、しあわせでしかたなくなってきたら、それはその日にふさわしいんだ、って思うのよ。」
 たんぽぽの精は、自分をふるい立たせて言いました。

「ねえ。…もし、たとえひとりでも、天使の降りるのをそれほどねがわないなかまがいると、そんなとき、むりに天使をまねいてはいけないの?」
 カノンがそっと、たずねました。
「そう…ひとりでもいやいやなかまにされたって気持がまじっていれば、天使はきっと、降りてこられないと思うわ。」
 たんぽぽの精は、ふわふわの白いあたまを、ゆっくりゆらして言いました。
「もし、地上の仲間のうちの、あるだれかひとりの気持を、むりに、すべての仲間にしいるとすれば、その世界はたちまち、天使ではない、なにかべつの力のはたらきにおおわれて、こわれてしまう気がするの。」
 たんぽぽの精はしんみりした口調でうちあけました。
「地上のわたしたちが、ひとりでにお空のよびかけを感じて、天使のけはいををのぞんで、その気持が高まって、ひとりでにあつまって、踊る心や、歌う心で、光にむかい、空をみあげ、とき放たれた心でのぼっていくのでなければ、それにこたえて、天使はよろこんで降りてはきてくれないと思うの。降りられないのよ。」
「ひとつになれないのね」とカノン。
「そうね。……それでときおり、わたしたち妖精が、そんなふうに地上と天使が生まれかわってまたひとつにつながるための、ちょっとしたお手伝いをする、ってわけなの。お手伝いっていっても、それはわたしたち自身もしらないうちに、いつのまにかそうしているのだけれど。宙を舞ったり、ときには天から降りるつり糸なんかをつたいながら、遊んでいるうちに、なんだかふしぎとそうなるの。」
「ふうん。ひとつになるのって、ややっこしいんだね。」
 フーガが感心したように言いました。
「あら。でも、できてしまえば、すこしもむずかしくはないのよ。ひとつになる瞬間の、合図のこうかんときたら、それはもう、わくわくするわ!」
「それって、どんなふうなの?」
 カノンが息をのんで、たずねました。
「そう、なんともいえないもの! 光のような、音楽のようなもの。透きとおった信号のようなものかしら。…よくわからないわ。なにしろはっきりと、目にはみえないものですものね。みんなも、それぞれいろんなふうにいうの。いろんな受けとめかたが、ありそうな。わたしたちなかまは、それをときどき天使のつり糸って呼ぶけれど、ふつうにはわからないわ。」
「目にみえないもの。……それじゃ天使の姿と、おんなじかもね!」
 カノンが、さっきクモの坊やとした話――天使は何にでも似ている、透きとおったものっていうお話――を思い出して、言いました。すると種の精は、こっくりうなづいてこたえました。
「そう…。たとえばこうよ。……なにか通りすぎた、気配のようなもの。呼びとめられた気にさせる、ひらめきみたいだったていうものもいるわ。まばたきの瞬間に、ふっと宙返りしたと思うと、もう元にもどっているもの。なにかそこいらぢゅうを漂っているものだっていうものもいる。ここにいたと思うともうあちらに消えている、すこしもじっとしていないものだって、いうものもいるのよ。
 とにかく、わたしたち生きものにわかるのは、みんなでうつくしいしらべをかなであったり、ふりそそぐ光をあびた、ひろいひろい野原に抱かれながら、いっせいに空へ舞いあがっていくその瞬間には、わたしたちは光とひとつ、天使とひとつなんだって、そして地上と空とはそっくりひとつなんだって、そう思えるということだけなの。」


 ふと気づくと、たんぽぽの種の精はいつのまに姿を消していました。
 カノンとフーガはきょとんとしてあたりを見まわしました。が、だれもいません。ただ、さっき何人かの種の精が飛び去ったあとをそのままにのこして、ところどころあなのあいた、地球儀みたいなたんぽぽのおうちが、小道づたいに、数え切れないほどの白い点々をおきながら、ごつごつした八つの頭を天にもたげた兄弟竜のお山へと、じぐざぐつづいていくのが見えるだけでした。
 小道と、お山の交差点には、ちょうど黄色いちょうちょうたちが、こんにちは、さようなら、ダンスしながらわかれては、くるくるとらせんを描いて、お山のいただきよりも、もっと高くたかく、のぼっていきました。
 そうして、そのまたうえには、いつかとおなじ、わたあめの雲、そう、天使のざぶとんが、モヘヤ毛糸の尾をひきひき、おひさまめがけて流れていくのがみえました。……


「カッコウ、クヮ、クヮ、クヮ、クヮ‥ッコウ!」
とつぜん、こわれた時報のように、カッコウがしゃっくりしながら、ふたたび時を告げました。
 それからしばらく、あたりはしんと静まりかえりました。小川のせせらぎだけが、ひたひたラムネ色のこだまをうつしてささやいています。

 ひなたにいすぎて、またすこし、まぶたが痛くなったカノンとフーガは、地面にくっきりときざまれた、リラの回る木陰で、半時ほどゆっくり過ごしました。そのうちふたりは、こっくりこっくり、しはじめました…。

 しばらくすると、かたわらのツリガネソウが、まぶしそうにゆれながら、チリチリ話しかけました。と、
「カノンちゃん、フーガちゃん、もう十一時半ですよう!」
 カブリオルが玄関の鐘を鳴らしてふたりを呼びました。

 カノンとフーガは半分ねむたげの目をしたまま、ふたたびひだまりを通りぬけ、いそいでお部屋へもどっていきました。


  * * *


 夕ごはんのあと、子ねこのカノンとフーガは、きょう起こったできごと…というほどでもないできごと を、カデシさんにいっしょけんめい話してきかせました。
それから、きょう出会ってすぐになかよくなった、クモの坊やのことも、坊やとしたお話も、カデシさんに聞いてもらいました。

「それでね、クモさんったらこういうの。お空の天使が、お天気の日にはいつもおひさまにかぶせる光の網も、それからお昼になると丘にまっすぐたらす、光の帯も、それからそれから、雲のうえでその天使がいつも、地上へたらしていろんなものをツンツンつってる、つり糸も、みんな、ぼくらがつむいだクモの糸にちがいないんだぜ、って!」
カデシさんの腕にからだをこすりつけながら、カノンは言いました。
フーガもカデシさんの肩にちょこんとのったまま言いました。
「べつに、だれもちゃんとたしかめたわけじゃ、ないんだって。たしかめてないんだけどさ、きっとそうにちがいないって、思ってるんだよ。クモたちばっかりじゃなく、この辺のなかまはみんなそうだって。」

「ほう、クモの糸、ね……。それはおもしろい話だ。」
 カデシさんはおひげをいっぱいはやしたあごをさすりながら、ちょっと考えこんだようすでつぶやきました。

「天のつり糸。ふむ、そういわれてみれば、じつはわたしにも、おもいあたることが、なくもないよ。……」
「なくもない?」
「うん。――――いつのことだったか、丘のまわりの原っぱの風景を描いていたときのことだ。頭のうえの雲のあいだから、ふと差しこんでくる日射しが、画を描くのを手伝ってくれたように、おもえたことがあるんだよ。その光が照らし出す花や虫たちが、どんな色を置いたらいいのか教えてくれて、そのとおり筆をすすめると、カンバスのなかの風景が、生き返ったように輝いてきたんだ。」
「へぇ。どんな色を置いたの?」
 カノンがたずねました。
「見たままの色だよ」
 カデシさんはこたえました。
「なぁんだ!」
 とフーガ。
「はは。そうかいフーガ。でも、それがなかなかむずかしいことなんだよ。」
 そう、カデシさんは笑いながら言って、言葉をつづけました。
「で、ふとそのとき、こんなあたりまえでむずかしい、そっとしたことを教えてくれる光は“見えないんだろうか”と思って、そのあかるい日射しを見あげながら、ああ、ひょっとするとあの雲のうえには、天使でもいて、雲間から降りる光は、まるでその子がたらす、つり糸なんじゃないか。そうして、なにかちょっとしたいたずらをして、わたしにとてもよいヒントを、くれているんじゃないかって、思ったものだよ。その日いらい、ときどきわたしは、絵を描きながらその日射しのつり糸をたらす透き通った子のことを思うことがあるんだ。そうして、しばらくじいっとしていると、なにかいい考えが思い浮かんだり、風景が、ざわざわとなにかしきりにささやきかけるような気がするんだよ。そんなとき、ああ、あいつがまた地上に降りてきたのかもしれない。きっとそうだ、って思うことにしているのさ。わたしが描くイメージや、風景や、ものたちのなかにひそんで、おしゃべりしてる。わたしとお話しにきてくれた、ってね。」
「カデシさんが絵を描くときは、いつもいつも、その光が教えてくれるの?教えてくれた通りに描くの?」カノンがたずねました。
「いいや。……いつもそうとはかぎらない。もっと暗くてもやもやしたものに押し出されるようにして描くときだってあるさ。そういうときは、ああもうこんな世界からほんとうはのがれたい、外へ出たいなって、こころのどこかで思いながら描いたりするのだけれどね。」カデシさんは、ふっとひと呼吸してそうつぶやきました。
カノンはじっと、これに耳をかたむけながら、なにか大事なものを思いだすように話しているカデシさんのようすを、ひとみをいっぱいにひろげてうかがっていました。 フーガはというと、カデシさんの話をろくに考えずに、今日あった話をさきへすすめました。
「ともかくさ、そいでね、みんなやっぱりなんとかして、天使のつり糸が、ほんとにクモの糸かどうか、それをたしかめたいねって、この目で一度でいいからみてみたいねって、なにかとあつまっては、よくそう話してるんだって! それに、できれば天使のほんとのすがたもみてみたいって。ね、カノンちゃん。」
「ええ。そういってたわ」カノンはいいました。

「天使のほんとうのすがたを見てみる、か。……それはたいそうむずかしいかもしれないね。そう…たぶんそれは 天使と一緒にいること よりも、もっとむずかしいことかもしれないよ。」カデシさんがそうつぶやきました。
「え?」カノンがおどろいてカデシさんを見上げました。
「もともと天使はいっぱい姿を持っているもの、なのかもしれないんだからね。だって天使はいろいろな姿になれるもの、かもしれないだろう? 〈それ以外に〉、ほんとうの姿を持っていると、考えなければいけないのかな? きみたちはそう思うかい?」
 カノンは不思議そうに目をしばたたかせると、しばらくカデシさんを見つめていました。

 フーガはいつのまにかカデシさんのひざをはなれて、バネじかけみたいにピョンピョン跳びはねながら、部屋のすみへとバウンドしていく小さなボールを追いかけていきました。




| Rei八ヶ岳高原 | 18:04 | comments(0) | trackbacks(0) | | - | - |
クモの仕立て屋
雨あがりには この網も
いまにも こぼれ落ちそうな
ビーズの玉が あちこちに
きらめきゆれて おしゃべりします
風の吹く日は この網も
澄みわたる 天の吐息(といき)に なぶられて
たわむふねの帆 さながらに
あおい眠りに つくのです
月の夜には この網も
銀糸ののれん たゆたわせ
わたすげの穂を からませて
空へと昇ってゆくのです

うつくしい レース編み
わたしが 仕立ててあげましょう
さあさあ、クモの仕立て屋でござい。
なんでも注文 たまわります

           * * *

ある雨あがり。森のあちこちから、小鳥たちのきもちのよい声が、朝もやの中にひびいていました。
ズィンズィン、ズィン、小さなハープをつまびく音。シィー、キィー、とおくでぶらんこのきしむ音。いろんなさえずりがこだましては、ざわざわとこずえを通りすぎる風なかに消えていきました。
と思うと、けぶたい木もれ日が射(さ)すような、ほんのかすかなさえずりが、いつしかまた、どこからともなく聞こえてくるのでした。
そんなしっとりとしずかな、森の朝のことでした。

一羽のヒガラが、ツピンツピン…、いまにも消え入りそうな歌声でさえずりながら、木々のあいだを飛んでいました。シデやニレの木の、それはそれはうっそうとしげるなかを。
と、ちょうどそこだけ、まあるくくりぬかれた劇場(げきじょう)のように、ぽかんと空いた草っ原に出くわしました。
草っ原のまわりを、もも色をしたシモツケソウのシャンデリアが、ぐるり とりかこんでいました。
「わぁい。おひさまのスポットが当たってる。あかるくていい気持ち!」
ヒガラはそう言うと、ほんのちょっと、羽根を休めたくなりました。
そこで、まあるい劇場のまん中の、まあるい舞台(ぶたい)のすそに、まい降りることにしました。
と、ふと目の前を、きらきら、きらり。何かがゆらめいて、ヒガラにわらいかけました。ヒガラはおもわず、空中でブレーキをかけました。
おお、あぶない。…そうつぶやくと、ヒガラは停止飛行(ていしひこう)しながら、あたりを見わたしました。
と、なにやらたくさんのビーズ玉が、小人らのおどるダンスのようにうちふるえては、あちこちでかがやいています。
よくみると、透きとおったしまもようの傘(かさ)にもみえる、じつにおおきなレース編みが、行く手をはばんでいるのでした。
ふわふわしたそのレース編みは、たて糸とよこ糸のつなぎ目に、雨粒(あまつぶ)のビーズをおいて、ときおりたのしげに、キラキラと光らせています。
「やあ、びっくりした! もうすこしで、ひっかかるところだった」
あわてて羽根をたたみながら、もういちどじっくり、ヒガラがあたりを見わたしますと、まあるい舞台の幕(まく)さながらに、やんわりと透(す)けたその編みものは、エビヅルのつるべづたいに、そっとかかっておりました。
編みもののすそは、エビヅルの穂の鉤穴(かぎあな)に、ひとつひとつ、きちょうめんに通してありました。
レース編みのそこここに光る、ビーズの玉はどれも、ちいさな虹(にじ)の子を、やどしておりました。
虹の子たちは、ささやくようなそよ風に吹かれるたび、すばしこく色を変えながら、あちこちでうちふるえています。
「とってもきれい!」
ヒガラがそうさえずりますと、すぐさまたいそう気をよくした声が、どこからか聞こえてきました。

「クモの仕立て屋でござい。なんでも注文たまわります」

「こんにちは。この幕(まく)は仕立て屋さんの、のれんだったんですね。あなたはレース編みを、編むのですか?」
ヒガラこうがたずねますと、
「ハンモックでも、手さげ網(あみ)でも、なんでもござれ!」
調子のよい声がかえってきました。
「それじゃぼく、ビーズの玉をところどころにちりばめた、透きとおった冠(かんむり)がほしいな」
「冠ですって! それはめずらしいご注文ですこと」
おどろいた声がしたと思うと、エビヅルのれんの下の、うっそうとからまるツヅラフジのかきねの陰へと、ツウと一本のか細い糸が降りているのが見えました。その糸先から、仕立て屋さんが、ようやく姿をあらわしました。つむざおにしていたツヅラフジの葉棘(とげ)と葉棘の間に、ひょっこりと、ちいさな顔をのぞかせたのです。
「やあ」
ヒガラがわらっていいました。
「そうなんです。ずっとほしいと思ってました! 光の輪っかに、かぶせる冠――。森の出口の、あおいみずうみのほとりで、お空の光にかざしてみたいの。ぼくのかなでる、ちいさなちいさな銀の音をそえてね」
「まあ。それはすばらしいこと! それで、お仕立てはいつまでに?」
クモは、さっそくたずねました。
「じゃあ…あした!」
ヒガラはすぐさまこたえました。
「お時間は?」
「時間は、そうですねぇ…あさはやくに」
「ええと…明日の、朝はやく、と。まぁたいへんですこと」
クモの仕立て屋は、あたまをかきかき、ツヅラフジのまるい葉っぱでメモをとりました。
「しょうちしました。では、最後のしあげをほどこしおわりましたら、そこのまあるい庭先に咲いている、シャジンの花をゆらして、合図の鐘をならしますので、お品を引きとりにおいでください」
「わかりました。それじゃあよろしく」
そういって、ヒガラは蝶ネクタイをむすびなおすと、ツピンツピン、さえずりながら、朝もやのぬいわたる木立のかなたへと、すばしこく飛び去っていきました。

お客とわかれると、仕立て屋さんは、さっそく頭のなかに図柄(ずがら)をえがいて、いろいろと考えはじめました。そうしてなにやらひとりごちながら、仕事場にもどりますと、すぐに仕事にとりかかりました。
エビヅルのつるべの先から、ツウ…と降りて、下をとおる、ツヅラフジのつむに足場をひとつ、つくっては、たて糸を張り、めまぐるしくぐるぐる回っては、よこ糸を張り…。ところどころは、ひっぱったり、くるくるまるめたりなど、むずかしい編み方をしなければならない場所ももちろんありました。…けれどもたんねんに、それはそれは精を出して、息をもつかず、仕事しました。

じき、お昼になろうとしていました。クモは、わたあめのようにふわふわの冠をひとつ、やっとのことで編み上げますと、シャジンの花をツリンツリン鳴らしました。
しばらくすると、シデの木の梢のむこうから、ヒガラがむれをなして降りて来ました。
朝とはちがい、こんどは仲間をつれてやって来たのです。
「わぁきれい! ヤマアジサイの花を台に、つくってくれたんだ」
今朝やって来たヒガラが、さえずりました。
「なるほど。この冠のとがったてっぺんに、おおきなツユをひとつずつのせてくれたんですね」
別のヒガラも、たいそう感心したように、右に左に、首をかしげて言いました。
「ええ。でも風が吹くと乾いてしまいますから、お気をつけくださいね」
クモの仕立て屋が言いました。
「水晶(すいしょう)のようにかがやいてるね」
「ほんとうだ。あの虹の光をうけたら、どんなにきれいだろう」
他のヒガラもくちぐちにさけびました。
「ありがとう! クモの仕立て屋さん」
ヒガラたちはいっせいにお礼を言いました。
そうして、冠をこわさないよう、みんなでそっと飛び立つと、ツピンツピンツピン、お礼を言ってかえりました。



さて――。午後になると、ときおりふっと舞いあがるような、つよい風が吹きはじめました。

クモのレース編みにたわむれていたビーズたちも、みるみるうちにかわくと、数をへらしていきました。

レース編みは、風がふくたび、エビヅルのつるべの軒(のき)に巻きあがっては、はたはたとたわんで揺れています。意外(いがい)に丈夫な網の目が、たてによこに、トランポリンのネットよろしく、はずんでは しなっています。

てんとう虫が、ぶんぶん、ぶん。おおきなニレの木のウロのむこうから、森の中にぽっかり空いた、ひなたの広場へ、散歩にやって来ました。
ふいに、透きとおった、おおきなおおきなレース編みが、かれの行く手をはばみました。

「おっと、あぶない、あぶない! もうちょっとでひっかかるところだった」
てんとう虫はあわてて翅(はね)をひっこめると、どなりました。
「いったいだれさ? こんなはた迷惑のところに、べたべたした編み物を張っているのは?」
すると、どこからか声がしました。

「クモの仕立て屋でござい。なんでも注文たまわります」

「仕立て屋? なんだ、そうだったのか。…な、なに。仕立て屋だって! やあ、そいつはいいことを聞いた」
てんとう虫は、急に機嫌をなおすと、元気よく宙がえりしました。

「それじゃあ、ひとつ注文したいんだけど」
てんとう虫は、せっかちに言いました。
「あのさ、ぼくら仲間は、おおきな網がほしいの。みんなでお空にむかっておひさまの光をすくいとる、透きとおった光の網を」
「光の網…」
クモの仕立て屋がくりかえしました。
「そう。たまにふしぎな光が通るでしょう? 林のなかにぽっかりあいた、あのあおいみずうみに射し込むふしぎな光。ハンの木の柱のあいだから、あたりいちめんに投げかける光さ。あいつを、ぼくたちみんなでうまい具合にうけとめられる、じょうぶな網を、ひとつ編んでもらえないかな。使い古しじゃない、新品のやつ!」
てんとう虫は、たいそうはしゃいでおりました。
「しょうちしました。それで、お仕立てはいつまでに?」
「もちろん、そのすてきな光の通るときまでにさ!」 
てんとう虫は、いばってこたえました。
「ええと、…すてきな光の通るときまで…。それはいったい、いつごろでしょう?」
「そうですねえ…きっと、明日の朝はやくじゃないかな」
「明日の朝はやく…と」
クモの仕立て屋は、ツヅラフジのまるい葉っぱで、しっかりメモをとりました。
「できそうですか?」
「ええもちろん!」クモはしっかりとこたえました。
「では、最後のしあげをほどこしおわりましたら、あのまあるい庭先の、シャジンの花をゆらして、鐘をならしますので、その合図をきいたら、お品を引きとりにおいでくださいな!」
「よろしくおねがいします」
てんとう虫はよろこんで、またもや宙がえりすると、そそくさと帰っていきました。

クモの仕立て屋は、さっそく頭のなかで、つぎの図柄(ずがら)をえがいて、いろいろと考えはじめました。そうして、ほどなくつぎの仕事にとりかかりました。
ツウ…と降り、足場をつくってはたて糸を張り、めまぐるしくぐるぐる回ってはよこ糸を張り。底のほうはことに、ふだん自分のくせでは編まないような、じょうぶでむずかしい編み方をしなければならない場所もありました。…けれども息もつかずいっしょうけんめい仕事しました。
夕方になるころ、ようやくおおきなすくい網を編み上げますと、シャジンの花をツリンツリン、鳴らしました。
と、てんとう虫の坊やが、どこからともなく降りてきました。こんどは仲間をたくさん、連れています。
「もうできたの。わぁすごい!」
昼間のてんとう虫がさけびました。
「ほんとうだ。ところどころに、こまかいななめのししゅうがしてあって、きれいだね」「ししゅうのところは、ツリバナのちっちゃい花を、ひとつひとつ縫(ぬ)い込んであるよ」
「とっても気に入りました。どうもありがとう!」
昼間のてんとう虫が先頭にたって言いますと、ほかのてんとう虫たちも、くるんくるん、宙返りしながら、みんなしてはしゃいではお礼を言いました。
そうして全員で、おおきな網をいっしょうけんめいもちあげると、ブブ〜ン、といっせいにアクセルをふんで、飛んでいきました。



夜になりました。
「さて。店じまい」
こう言ってクモの仕立て屋は、パンパンと前あしをたたくと、軒にたらしたレース編みの下半分を巻きあげ、それはそれはてぎわよくのれんをたたみました。
月の光がこうこうと、まあるい庭を照らしつけています。
そのスポットライトのなかを、ふうわり、ふわり。わたすげの精たちが、夜風にのって舞い降りてきました。沼(ぬま)のほとりの、白いまほう使いの箒(ほうき)みたいなおうちから旅だって、森まで遊びに来たのです。
「まあ。ここはなんて明るいんでしょう!」
「ほんとうに。くらい森のなか、ここにだけ、まるで目にみえない明かりとり窓がついているみたい」
などとくちぐちにおしゃべりしています。
と、そのうちひとりが言いました。
「あれはなに?」
わたすげの精たちは、それからみんなで、半月みたいに巻きあがった、クモの編み物をみおろすと、すぐさまそこへ降りていき、あちこち、思い思いの場所にとまりました。
「こんなところに、いいハンモックがあるわ」
ひとりが頭をもたせかけました。
「ちがうわ。これはショールよ」
べつのひとりがいいました。
わたすげの精たちは宙を舞いながら、そんなふうにくちぐちにおしゃべりしては、白いスカートをゆらして、ダンスしました。
羽根でできたかぼそい純白のスカートは、舞いあがったり降りたりしては、青銀色の月のあかるみに、ぼんやりと浮かびあがりました。
そのようすを見ていたクモの仕立て屋は、やぶのかげから思わずうっとりと見入っておりましたが、すぐに言いました。

「クモの仕立て屋でござい。何でも注文たまわります」

「まあ、こんばんは」
わたすげの精のひとりが、あいさつをしました。
仕立て屋は言いました。
「わたくしの店先ののれんに、あなたがたのうつくしい綿毛のかざりをほどこしてくださり、ありがとうございます。うつくしい作品になりますわ」
「ええ。よい休憩所にもなりますわ。じつに気に入りました」
別のわたすげの精が、ほほえみながら言いました。
「いっそこれをそのまま、いただきたいほどですわ。でも、せっかくですから、どうせなら、もすこしアレンジをしてくださるかしら。こうしたショールのようなのではなく、もっと、そう…つばさのような形に?」
「もちろん、できますとも!」
クモの仕立て屋はむねをはってこたえました。
「つばさにするには、そうですね…もうちょっとかたちをずらして、ただほんのすこし斜めにわたる細工を、いくつかほどこすだけで、すみますわ。プレゼントですか」
「ええ。とはいっても、はっきりとした相手にではないのですけれど」
すこし太ったわたすげの精が、肩をそびやかして言いました。
「まえまえから思っていたのですけれど…ぜひほしいんですの。あおいみずうみのほとりで、おひさまの光にあてがうとうつくしくかがやく、わたしたちの綿毛でできた、天のつばさのようなのを!」
「まあ。ペガサスのようなものですわね。…それで、お仕立てはいつまでに?」
「そう…はっきりとはわかりませんが、おそらく明日の朝ですわ」
「あ、明日の朝ですって! またしても。まぁたいへん。今日はなんていそがしい日ですこと!」
メモをとるのも忘れて、仕立て屋さんはさけびました。
「またしても、ですって。――というと、ほかにもいろいろ、ありましたのね」
「いったいどんな注文ですの?」
わたすげの精たちは、くちぐちにたずねました。

「ええと…。朝のうちには、あおいみずうみのほとりでおひさまの光にかぶせる冠。午後には、あおいみずうみのほとりでおひさまの光をうけとめる網。そうして夜には、いまのご注文(ちゅうもん)。あおいみずうみのほとりでおひさまの光にあてがう、あなたがたの綿毛のつばさです」
仕立て屋さんは、ちょっとじまんげに言いました。
「まぁ! なんておいそがしいこと」
わたすげの精たちは、月あかりのもとでいっせいに笑い声をあげました。
「それに、みんな考えることとては、いっしょですわ?」
「それほどみんなが、あおいみずうみのほとりで、すてきな朝の光の来るのを待ちわびていたんですのね」
「きっと、クモさんの糸が、朝の光をきれいに透かして、かがやくことうけあいなのを、みなが知っているというわけね」
クモの仕立て屋は、それを聞くと、なんだかうれしくって仕方ありませんでした。そうしてすこしうきうきしながら、言いました。
「では、ざいりょうになるわたくしどもの綿毛を、わたしていきますわ。ちょっとおまちくださいな」
わたすげの精たちはいうと、空中に舞いあがり、みんなしていっせいにこしをふりふり、ダンスしはじめました。すると、みなのまっ白い体から、月の光にかがやく綿毛が、ふわりふわり、おびただしく地面に落ちてきました。いちばんふとったわたすげの精からは、とくにはげしく舞い落ちてきました。
「まあなんてすばらしい。さあさあ、もうこのくらいあれば十分ですわ。」仕立て屋はそうさけぶと、みなのダンスをとめました。
わたすげの精たちはつぎつぎと地面に降りてきました。みな、さっきよりだいぶやせています。
仕立て屋さんは、こういいました。
「では、最後のしあげをほどこしおわりましたら、シャジンの花の鐘を鳴らして合図をしますので、お品を引きとりにおいでください」
「わかりました。おねがいしますわ。ありがとう仕立て屋さん」
わたすげの精たちは、ふたたび空中に舞い上がり、みんなしてひとつにあつまると、まほうの箒(ほうき)みたいな白い綿毛のスカートを、みんなでふわふわゆらしながら、東の夜空へと消えていきました。


「さて、と…」クモの仕立て屋はみなを見送ると、ひとりごちました。―
「このさいごのご注文は、店さきにわたしてある、クモ糸ののれんと同じ型紙(かたがみ)に、すこし手をくわえてつばさをかたどるおしごとだわ」
そう言って、クモの仕立て屋は、さっそく足もとのつるべをつたいのぼりました。そうして、やがてツツウ…とエビヅルの空中ブランコからまっすぐにおりると、こんどはすこしはなれたツヅラフジのロープへとななめに降りて、葉棘(とげ)のつむざおにあたらしい足場をつくりました。
それから、軸糸(じくいと)をめぐらし、弧(こ)を描いてはほんのすこし、ななめにずらし、また弧を描いてはななめにずらしていきました。
みるみるうちに、やわらかい曲線をえがく、透きとおったつばさが、できあがっていきます。
つばさの先のほうには、ちょっと手の込んだ細工を、クモはほどこしました。よけいな糸をつまみあわせて、しだいに細くしていくのでした。
そうしてすっかり糸をつむぎおわりますと、クモの仕立て屋さんは、こんどはこのクモ糸のつばさの上に、わたすげの精たちののこしていった、うつくしいかぼそい綿毛を、ひとつひとつていねいに置いていきました。そうして綿毛の先を、こっそりとクモ糸のあちこちに編み込んでいくのです。この庭にふうわりと腰をおろしていたかのじょたちの、うつくしい光景を思い浮かべては、クモの仕立て屋はほほえんでいました。
はてさて。けっきょく今度も、仕立て屋さんは息もつかずいっしょうけんめい、仕事しました。
そうしてよなべして、この日に受けたさいごの注文も、とうとう無事におわらせたのでした。
ふぅ…汗をぬぐいながら、クモはまた、シャジンの鐘をツリンツリンならしました。
しばらくすると、わたすげの精たちが、ふうわりふわり、あかつきを背に、まるい広場に舞い降りてきました。
「ごくろうさま。まあなんと、すばらしいわ!」
「ほんとうに、ペガサスのようだわね」
「でもやっぱり、ここちよいハンモックのようですわ。ここでずっと、眠りにつきたいくらい」
わたすげたちは、くちぐちにさけんではお礼を言って、クモの仕立て屋をねぎらってくれました。
そうして、みんなして集まると、まっ白な箒(ほうき)にのって、夜明けまぢかいうっすらとした月明かりの中、うきうきと舞い立っていきました。

* * *

あけがたのこと。
林のなかにぽっかりあいた、真空の鏡(かがみ)のようなあおい湖のほとり。
ヒガラの群れ、てんとう虫たち、そしてわたすげの精らが、めいめいの贈り物をもって、岸辺にあつまっていました。それは、ツヅラフジの茎とつるべの、たてよこななめに、ごちゃごちゃとおいしげる、やぶのマストの辺りでした。
みなはくちぐちに、自分たちの編み物を、じまんしあっていました。

あおい空には、うっすらと白い絵の具のにじんだような膜が、かかっています。

おひさまはまだ、すっかり姿をあらわしてはいません。
うすらいだ膜のむこうに、透けはじめたおひさまが、ついに湖のま上にさしかかった、その時です…。

ツピンツピン、チチ…
かぼそい銀いろのさえずりが、森にこだましますと、この瞬間を待ち受けていたヒガラの群れが、空をめざして飛びたちました。レース編みは、みずうみの真上の宙をただよいはじめました。

と、ふいに膜のはれ間から、色とりどりの小さな虹の水玉がはじけ、雨露(あまつゆ)となってまっさおなみずうみに落ちてきました。と、お空のてっぺんには、天の輪っかがぽっかりと浮かびあがりました。
そう、ヒガラたちがかかげた、クモ糸の冠のむこうがわにです…。
それはまあ、何という夢のような光景でしょう。
ヒガラたちが舞いつつあおぐ、クモ糸の冠を、透きとおった王様よろしく、頭上にいただいてほほえんでいる、こうごうしい天の輪っかは、ちょうどこの森の反対がわ、あおいみずうみの向こう岸にそびえたつ、こわれかかった寺院(じいん)の塔(とう)のとんがり屋根に、いまはぴったりかぶさって、やわらかに光かがやいているのでした。
「ほぉー…」
森のあちこちから、おもわず木もれ日のようなため息がもれました。
と、もうまたたく間に、こんどは膜の裂(さ)け目から、てんとう虫たちのかかげる、透きとおった光の網が、ぱっと放たれたではありませんか。
光の網は、それはそれはまぶしげに、空いっぱいにひろがったと思うと、たちまち七色の光のかげを、うっとりと静まりかえった湖の鏡のあちらこちらに、反射させはじめたのです。
きらきらと輝きながらも、光の網は、あおくけぶる辺り一帯をそっと包んで、夢のようにたわむれはじめました。スローモーションでひろがる日射しの噴水(ふんすい)さながらに…。
そうして、あおい日射しの噴水は、湖のなかにゆっくり、ゆっくりと、吸い込まれていきました。――――

それから、どれくらい時間がたったでしょう? 
森のみんなが、しばらくの間うっとりとしておりますと、天の輪っかにくるまれたふしぎな光のおひさまは、いつしか、あおい劇場をささえる左右の円柱(えんちゅう)よろしくそそりたつ、ハンの木の合間にやってきました。
おひさまは、花火のようにチラチラと、ハンの木の円柱の間をぬいはじめました。
そうして、木立にかざした、わたすげの精たちのたなびかせる、天のつばさのスクリーンに、すこしずつ、すこしずつ、近づいていきました。

みなは、息をのんでそれをじっと見守りました。――――

今、おひさまは、いつしか天のつばさのスクリーンの、ちょうど真ん中に届こうとしていました…。
みなの心は高なりました…。
とその時、ヒガラたちの冠(かんむり)をそのてっぺんにいただいて、おひさまはこれまでにないほど、それはそれはキラキラと、かがやきはじめたのでした。

「やあ。おひさまが笑ってる」
「よろこんでくれているんだね」
「あれは天からの贈(おく)り物だ」
みなはくちぐちに言いました。

その間にも、その冠をかぶったおひさまをくるむ、天の輪っかを降りてくる、長いながい光芒(こうぼう)の下には、てんとう虫たちの投げかけた光の網が、じっくりとまちかまえておりました。
おひさまは、青白い光をやんわりとたゆたわせながら、純白のあわのような光の網のなかに、虹の七色をゆっくりと波打たせました。
それはまるで、船の帆のようにぱたぱたと風をはらみながら、もやの中にゆらめき立ちました。
帆のむこうのおひさまは、ふるえる光の影を、あおいみずうみの鏡舞台(かがみぶたい)に、きらきらと映しだしていました…。

この光景を目にした森の住人たちは、ふたたび思わずどよめきました。そして、それはもううれしそうに、たがいにダンスし合ってよろこびました。

みんなが天の光にかざした森のおくりものは、こうしてお空のほんのつかの間の、透きとおった出来事になったのでした。――――

まるい広場のおまつりのあと、森ぢゅうにひとしきり、ほそい雨がふりそそぎました。


     * * *

その、翌朝のこと。
あおいみずうみのほとりをつたう森の小径(こみち)を、ひとりのおじいさんとぼうやが、通りかかりました。
この森のまえを通るたび、おじいさんはいつも、ぼうやに言うのでした。五十年前、この森は大火事にあったのだよ。よくもまぁ、こうもうっそうと草木の生い茂る森に、生まれ変わったものじゃ、と。
おじいさんは今朝も、ここを通ると、ふと立ち止まり、ひとりごちました。
「どうやって、火はおさまったの?」
ぼうやがききました。
「とつぜん、空にふしぎな膜がかかって、雨が降ってきたのじゃよ…それから大雨になってのう。あのあおい湖があふれんばかりに、降ったものだった。――今思うと、あの雨は、きっと救いの雨だったのじゃろう」
ふたりは、あたりを見まわしました。

「おじいさん、みてみて。あれはなに?」
ぼうやはいいながら、森の入口のやぶを指さして、おじいさんのそでをひっぱりました。
「どれじゃな? ああ、あのハンノキの木立のむこうか」
おじいさんが言いました。
それはツヅラフジのつるべで、たいそうごちゃごちゃとからみ合った、やぶでした。
手前には、ねこじゃらしの穂が風にそっとなびいては、こんにちは、とおじぎをしています。
そのむこうから、ももいろをしたシモツケソウのシャンデリアが、いらっしゃいませ、ゆらゆらゆれては、あいさつしていました。
あおいみずうみをはさんだ、やぶの向こう岸には、古びた寺院の塔のとんがり屋根が、雨あがりの朝日をあびて、しずかにたたずんでいました。

「はて、あのやぶにかかる、もやもやとしたふしぎなものは、なんじゃろうの」
おじいさんは、長いひげのはえたあごをさすりながら、言いました。
「ほんと。まるで、むかしむかしのお船の帆みたいに、風にたわんでるよ!」
ぼうやも言いました。
「おおそうじゃ。ひからびた帆かけ船のようじゃ。いやはや。あれはきっと、クモの巣だ。朝露にぬれて、それはそれはきれいじゃのう」
「虹のビーズだ。ほら、ひかっているよ! あっちでもこっちでも」
ふたりはおもわず、そのクモの巣の舞台装置(ぶたいそうち)にそっと近づいていきました。
ツヅラフジのやぶは、なるほど遠いむかしの物語にとじこめられた、ひしゃげたマストのようでした。
「クモの網の帆のうえを、ちいさい虹の玉が、糸をつたって遊んでるね」
「光の精がいそがしそうに行き交(か)っておるのう」
「なんだか、おまつりのあとみたいだね」
ぼうやがわらって言いました。
「きっと森の生きものたちがあつまってクモの糸で遊んだあと、片づけていくのを忘れたんじゃろう」

それからおじいさんとぼうやは家に帰りましたが、ぼうやはあのこわれた船の帆みたいなもやもやのことが、忘れられませんでした。
薪(まき)わりを手伝っている間も、お昼ごはんを食べている間も、あのうつくしい無数のビーズをたたえて、きらきらきらきら光っていた、クモ糸のレース編みのことが、頭からはなれなかったのです。
ぼうやは思い切って、おじいさんにおねだりしました。
「ねぇ、おじいさん。けさみたようなふしぎな、ほそいほそい糸で編んだ船の帆を、つくってよ。おねがいだから。ね、いつものようにじょうずに!」
いつものように、じょうずに、ですって?――
ええ、じつは、おじいさんは、飴細工(あめざいく)の職人だったのです。
よくねりこんだ飴を、空中ですぅーい、とのばし、じつにいろいろな形を、みるみるうちにつくっては、おじいさんはいつも、ぼうやにみせてくれるのでした。うさぎや、カラスや、キリンや、それはそれはいろいろな動物たち。それにお花やお人形も。
「ううむ。だが、あんなこまかくてかぼそい糸で編んだ船の帆をつくるのは、このわしとても、それはたいそう、むずかしいことじゃ」
おじいさんはそう言いながらも、もうかおをほころばしています。
ぼうやに何度もせがまれては、どうにも仕方ありません。
松葉杖(まつばづえ)につかまりながらも、よっこらしょと椅子から立ち上がりました。
そうして、テーブルの上の棚(たな)から、飴のどっさり入った壺(つぼ)をおろすと、中にきねをいれ、ゆっくりとまわしはじめました。
おじいさんは、たいそう時間をかけて飴をねると、二本の棒(ぼう)をつっこんで、ふいともちあげました。
そうして、そのまま棒のさきを、空中にときはなちました。

ひゅるるるる……
飴はほそいほそい糸をひきながら、まるでまほう使いのような、おじいさんの棒さばきで、こわれかかった船の帆を、いっきに宙になぞりました。
と、けさ見たのとそっくりな、ふしぎな黄金のレース編みを、またたく間に仕立ててしまいました。
「わぁすごいや。目がまわる!」
ぼうやがさけびました。
「きれいだよ! けさ見たのは銀の糸みたいだけど、これは金の糸だね、おじいさん」
「虹の光のビーズ玉こそないが、こうしてみると、これもなかなかきれいじゃのう。われながらなかなかの出来ばえじゃ」
おじいさんもにこにこしていいました。
「おじいさん。これ、森のあそこへ見せに行こうよ!」
ぼうやは言うと、またおじいさんの袖(そで)をひっぱってせがみました。

夕方になるとふたりは、あのうつくしいクモの巣のたわむ、森へと出かけました。そして森の小径をとおり、けさと同じハンの木劇場(げきじょう)の入口の前に立ちました。

おや?と、ぼうやは首をかしげました。
「ビーズ玉がどこかへ行っちゃった」
「ほぉ…そういえば、そうじゃのう」
おじいさんも、そっとつぶやきました。
「あそこだったよね。レース編み――もやもやは、たしかにかかっているけれど、朝みたいにキラキラかがやいてないよ、おじいさん」
「そうじゃな…。おそらくあれは朝露が、あちこちにやどっていたんだろう。いまはすっかり風に吹かれて、かわいて消えてしまったのじゃな」
おじいさんが腕組みして言いました。
「これじゃあ、ただのこわれたみじめな船の帆だ」
ぼうやはがっかりしました。
「いやいや、そんなことはないぞ。多少しぼんでしおれてはみえるが、今みてもなかなかの力作じゃ」
おじいさんは、あごひげをこすりながら、ぼうやに言って聞かせました。
「いったい、こんなていねいな編み仕事をしたクモの仕立て屋は、どこに住んでおるかのう」
おじいさんがそう言って、目を細めながら感心しておりますと、やぶの少し先から、ツリンツリンツリン、ささやかなベルの音がきこえました。
風になびいたシャジンの花が、小首をふって、鐘を鳴らしたのです。鐘の音は、こちらへおいで、こちらへおいで、とささやいていました。

「おじいさん。ほら、あそこだ!」
ぼうやはさけぶと、おじいさんの袖(そで)を引っ張って、小さな靴であわてて森の奥へと駆けて行きました。
おじいさんも、松葉杖(まつばづえ)をつきながら、よちよちした足どりで、坊やにつられてかけて行きました。
みると、森の中にとつぜんぽっかりと空いた草地の広場の奥に、「クモの仕立て屋」と、エビヅルのつるべの文字をはわせたクモの巣ののれんが、ツヅラフジのやぶの手前にかかっていました。

「おじいさん、ここだね」
ぼうやがはしゃいで言いました。
「おおここじゃ、ここじゃ。ちょっとおじゃましてみようかの」
おじいさんも言いました。
ふたりがそっとのれんをくぐりますと、

「いらっしゃい。クモの仕立て屋でござい。なんでも注文たまわります」
元気な声がかえってきました。

「けさがた、森の入口でたいそううつくしい船の帆を見かけたんじゃが、あれを編んだのは、おまえさんかね?」
おじいさんがたずねました。
クモは、つむざおの向こうから、ひょっこり顔を出すと、あわててこたえました。
「ああ。ええまあ…。――といってもあれは、こんな夕方にでもなりますと、まるで嵐に合ったあとの船みたいな〈ざんがい〉に、なってしまいましたでしょうけれど。――それでもあれは、なんとか私がひと晩かけて、いっしょうけんめいにおつくりしたものでございます」
クモの仕立て屋は、はずかしそうにうちあけました。
「じつは昨日、たくさんの注文がありまして…なにしろ天の冠(かんむり)に天の翼(つばさ)、そして光の網(あみ)のご注文を、一気に引き受けて、みながそれを持ちよってあそこのやぶに集まりましたの。それが、時のたつにつれて、きっとみんなひとつに合わさってしまったのですよ」
クモはそう言いおえると、ちょっともじもじしました。
それを聞いておじいさんは、思わず目をほそめました。
「そうでしたか…。いやじつは、わしもあのうつくしい、かしいだ帆掛け船をまねて、ひとつ飴細工(あめざいく)をつくったのじゃがな。もしよろしければ、あなたにプレゼントしましょう。あなたのよりはずっと小さいが…」
おじいさんはそう言いながら、まがった腰のうしろにかくしていた、うつくしい飴細工を、そっとクモの前にかざしました。
それを見ると、クモの仕立て屋は、たいそうおどろいて言いました。
「まぁなんてうつくしいこと! 私の仕立てものは銀の糸だけれど、これは黄金の糸のようですわね」
そうして、クリーム色した穂のたちならぶ、ツヅラフジのカウンターからはい出すと、おじいさんの方へおずおずと近寄って、よくよく見入りました。
「かぼそい一本一本をみるとちがいがわかりませんが、すこしはなれてみますと、かすかに黄金色(こがねいろ)に、かがやいておりますわ…。なんとうつくしい金の糸でしょう」
「いやいや。わしのはほんの一瞬、飴(あめ)を宙(ちゅう)に放りなげて、くるくるくるっとまわしてつくるもので、おまえさんのようにこつこつと時間をかけてしあげる、こうした手の込んだもののようには、いかないのじゃが」
おじいさんが、しらが頭をかいて言いました。
「そのかわりに、ほんの一瞬でしかつくれない、うつくしさがありますわ!」
クモはたいそう感激(かんげき)したようすでした。
「これを私にくださいますの」
「よかったら、おもてののれんの脇にでも添(そ)えてくだされ」
「まあうれしい。ではさっそく、店の看板(かんばん)にさせていただきますわ。すみませんが、のれんの横のすこし高いところに、そのうつくしい金色の飴細工をかけてくださいませんか?」クモはいいました。
それで、おじいさんとぼうやはさっそく店先に出ると、帆かけ船の紋章(もんしょう)のような飴細工を、クモの網(あみ)のれんの小脇(こわき)に飛び出していたエビヅルのつるべを切ってやり、そのヒモを、飴細工の穴にそっと通してやりますと、エビヅルの鉤(かぎ)のひとつに、みごとにひっかかりました。
レース編みののれんが風にたわむと、帆かけ船の飴細工も、いっしょになって揺れながら、それはそれはきらきらかがやいて、なんとうつくしかったことでしょう。
庭のシャジンも、うれしそうにツリンツリン、かぼそい首を振りながら、ふたたび鐘を鳴らしました。
と、どうでしょう。
チュピチュピチュピ、ジョリジョリジョリ、ヒー・ホー・キー。
どこからともなく、小鳥たちの声がきこえたとおもうと、それはもう森のあちこちから、おしゃべりさんたちが降りてきました。
ヒガラやコガラ、シジュウカラはもちろん、ルリビタキやクロツグミまでもが、森の奥からやってきました。
小鳥たちはもちろん、リス、うさぎ、かやねずみたちも、やぶのむこうからかけて来ました。そしてくちぐちに、はじめて見る金の紋章を、ほめたたえました。
てんとう虫たちは、コガネ虫までひきつれて、どこからともなく集まってきては、うれしそうにブンブン、あたりを飛び交いました。
いろんな羽根をしたチョウチョウもやってきて、マリオネットのみえない糸でつられるように、ひらひら飛び交い、おどりはじめました。
夕方の光を浴びながら、わたすげの精たちも、ブナのこずえの向こうから、ふうわりと舞い降りてきました。そして、あわ雪のダンスよろしく、たのしげに腰を振りながら、あたりをただよいはじめました。

こうして、みんなしてクモの仕立て屋の、店のまわりをとりまきながら、うれしそうにおどり、うたいました。

それは日暮れの、もうひとつのささやかな、森のおまつりとなったのでした。

| Rei八ヶ岳高原 | 13:43 | comments(0) | trackbacks(0) | | - | - |
子猫とたんぽぽ
黄色い羽根の 天のつかいが 舞い降りて
魔法の杖を ちょん、とふれると
まあるいお屋根がはじけとび
まっ白い パラソルさした 妖精たちが
ひとり、またひとり
種をたずさえ 旅立っていく
天のつかいの おつげにしたがい
風にのって とべよ! かの地へ
見知らぬ地へ…


「あ。黄色いチョウチョさん、またおつかいにきた!」
子猫のメヌはそうさけぶなり、いそいでかけ寄っていきました。メヌエットはお散歩が大好きで、チョウチョが大好き。みつけるとすぐに追いかけていくのです。

「あぁ。チョウチョさんたら、こわしちゃった。しろいボールのお屋根を! わあい、あたし見てよっと。綿毛のお屋根にあなが空いて、たんぽぽの精たちが 出てくるところ…」

「おねぼうさんたちを、起こして、旅立たせるのが、天のつかいの、わたしの役目なのです」 
ふと、声がしました。それはチョウチョでした。黄色いチョウチョはそう言いながら、おひげの杖でちょこんと、たんぽぽの綿毛のお屋根をつついて、なにやら合図しました。すると、あわく白んだドームのお屋根が、ほんのすこしこわれました。

ドームのなかではたんぽぽの妖精たちが、なかでうとうと眠りこけていました。茶色いちいさな種を、ひとつずつ、足にむすびつけたまま。そして、そんなたがいの足を、ドームの芯で組み寄せて、眠りについていたのです。が、チョウチョのつかいの合図にうながされて、ひとりひとり、ゆっくりとのびをして、ようやく起きあがりました。

「ああ、いい気持ちでしたこと!」
「もう旅に出なくてはならないのね、わたしたち」

たんぽぽの精たちは口々にそうつぶやきながら、ふわふわの綿毛のパラソルを、そっとふるわせ、風を待ちました。そしてここちよい風をつかまえると、たちまちふわりと身をあずけ、しろいパラソルをくるくるまわしながら、外の世界へ飛びだすのでした。

さて、子猫のメヌは、たんぽぽの精が風にのって飛び立つ瞬間を、じっと待ち受けていました。おひげをぴくぴく、ふるわせながら。息をひそめ、今か今かと…。
と、綿毛のパラソルがあつまってできた、すきまだらけの天球の屋根が、もこもこっ、と動いたと思うと、そのすきまのひとつがわれて、眠そうなたんぽぽの精がひとり、あくびしながらふうわりと背のびをし、身をもたげました。―――― と、ふいにそよ風が吹いて、またたくまに彼女をさらっていきました。

「ああ、まってよ。まってよ!」
メヌはあわててたんぽぽのあとを追いかけました。 
「どなたか、声をかけまして?」 
たんぽぽの綿毛の精は、おちついたようすで、しばらく行ったところでパラソルをすぼめると、ようよう降り立ち、しずかにうしろを振り向きました。
「まあ。こねこちゃん! おおきなお口をあけて…。わたしを食べる気?」 
たんぽぽの精は、すこしおどろいてみせると、こうたしなめるように、またすこし身がまえるように、言いました。
「そうじゃない。いっしょに行きたいだけ」 
メヌは長いしっぽをくねらせ、こたえました。たしかにあのふわふわの部分をみると、おもわずおしりをふりふり、飛びかかりたくなりましたが、じっとこらえて、なんだかあとを追ってみたくなったのです。

「ねえ、どこいくの?」
「知らないわ…」 たんぽぽの精は、しろいパラソルをゆっくりまわしながら、すましていいました。

「知らないところへ、いくの?」
「というより、自分のいく場所を、知らないのだわ」

「ついてって、いい?」 メヌは首をかしげて聞きました。
「どこへいくかもわからないのに? とんでもない場所かもしれないのよ」
「でも、ついていかれるだけ、ついていく」
「そう。どうぞご自由に…」
たんぽぽは、そっけなく応えたと思うと、もうそよぐ風に乗ってふんわりと宙に舞いあがりました。
「あたしも、舞いあがる、舞いあがる!」
メヌはさけびながら、どうしてあんなに軽がると風に乗ることができるのか、ふしぎに思いました。 
「どうやったら、舞いあがれる?」 

「そうねぇ・・。」たんぽぽの精は、しばらく考えて、
「ふわふわしたものの力を借りて、体をもちあげてみては?そして風をつかまえること」 そうこたえました。
「そっか。じゃ、そういうの持ってくる。待ってて!」 メヌはそういうと、いちもくさんにお家へもどっていきました。

たんぽぽの精は首を振って、やれやれ…仕方なさそうに綿毛のパラソルをすぼめると、クローバーの茂みに身をよせながら、子猫の返るのを待ちました。 
メヌはじきに戻って来ました。おかしなものを持って。―― みると、それは耳かきでした。棒の先には、たんぽぽの綿毛によく似た、しろくてまるい、ふわふわの風船がついています。

「あなたときたら…」 たんぽぽの精は、かすかに首をふりながら、あきれ顔でつぶやきました。 
「そんな小さいものが、あんたの重いからだをもちあげることができて? あなたのほうが、その白いお羽根より、よっぽど重いのじゃない?」 
「そうだなぁ…。」 
いいながらもメヌは、あきらめ切れずに、耳かきをしっぽの先で持ち上げながら、ピョンピョン飛び跳ねていきました。そして振り返ってさけびました。
「じゃ、それよりもっと大きなものを、持ってくるまで待っててね」
「しかたがないわね…」 肩をすくめて、たんぽぽの精は、いいました。メヌはいちもくさんに飛んでいきました。そしてまもなく戻って来ました。
こんどは、すきとおったビニール傘を、しっぽの先にまきつけながら、くるくる回してきたのです。
「コレ、まわるのよ。あんたのとおんなじ! 風だってはらむんだから!」
「そう。飛んでみたら? どこまで持ちあがるか…」 
たんぽぽの精が、くすくす笑ってけしかけました。メヌはけげんな顔をしながらも、長いしっぽの先に傘の柄をからませ、なんどもなんども地面をけって、飛びあがってはみましたけれど、ほんのかすかに持ち上がるだけで、すぐに着地してしまうのでした。メヌは、なんだかがっかりしました。

「ねぇ?思うのだけど、わたしについてくるのに、わたしとおなじように、浮かびあがらなければならないかしら…?」 
たんぽぽの精は、なだめるようなやさしい声で、こうつぶやきました。
「ふわふわのパラソルで風にのって行くことが、そんなにだいじ?」 
「ううん…。そうか、まねっこしなくてもいいのかな?」 
「こねこちゃん ―― そんなふうに自分も浮かびながら、私のあとをついてきて、ぬるぬるした沼地に降りたり、深い湖の上をさまよったり、とげだらけのイバラのトンネルをぬって走ったり、どこかのエントツのなかに落ちて、そのままひからびてしまったりしてもいいの?」
「え…?」 
メヌは、そのひとことに、あっけにとられて、だまってしまいました。
「風にのって、浮かんでいくのは、たしかにたのしいけれど、自分で着地するところを選べないのよ。さっきもいったけれど…それでもいいの?もちろん、悪いところにばかり行くわけではないけれど。でも運がよくなければ、わたしたち綿毛の精は、自分の運命(さだめ)をあきらめなければならないのよ」

……メヌはしばらくして、ようやく口を開きました。
「それじゃあたし、ただついて行くことにする! それでもし、あんたがへんなとこに落ちたら、あんたを助けてあげる。ほかの場所へうつしてあげるわ。だからいっしょに連れてってよ…。あたし、ふわふわ浮かんで風にのって、気持ちよさそうにどこでも自由に飛んでいけるのを、うらやましがっていたけど、ほんというとよく考えてなかった。あんたたちが自分の場所を、自分で決められないってこと。あたしなんか、お家でお昼寝するときも、お日さまの光の移ってくほうへ、あたしもいっしょに移っていって、気ままに居場所を変えるけど、あんたたちときたら、そうはいかないのね…」

「そうねぇ」 たんぽぽの精も、お空をみあげて言いました。
「もしむきを変えられるとしても、まあ、たまたまその時風が吹いて、私の体が運よくまた宙を舞ったときだけね…。それももし、風が止んで、もうくたびれたら、それでおしまい!…でも、あなたがいっしょに来てくれたら、すこしは心強いわ? もし私が悲しい場所に舞い降りたら、そっと運んでどこかへ移してちょうだいな」
「うん、きっと」 
メヌは元気にうなずきました。しっぽをピン、と持ち上げて。
「あたし、もうふわふわ、浮かばなくたっていいや…。とにかくあんたのあとをついていく!」

こうして子猫とたんぽぽの綿毛の精は、ふうわりふわり、たったかたったか、風の向くまま、風景のなかを進んでいきました。野原をかけまわり、土手をのぼり、こどもたちの野球場をこえ、川べりへ降りていきました。
やにわに風が吹きあがり、たんぽぽの精の背中をふっとさらっていきました。たんぽぽの綿毛のからだは、宙に舞い、川の方へとどんどん落ちていきます。
「あぁーっ。ちょっと待ってよ。どこへいくの」メヌはさけびました。そしてあわてて後ろ足のばねをいっぱいに使って飛び上がると、前足でひっしにたんぽぽの綿毛をつかみました。降りたところをたしかめると、メヌのからだはぎりぎりで岸辺のはしに着地していました。
「あぁあぶなかった」メヌはほっとしました。
「ありがとう、たすかったわ。川の中に落ちたら、花を咲かせられなかったものね」たんぽぽはほっとしてお礼をいいました。

さてそれからふたりは、風にまかせて土手をまたのぼり、下の畑へぐんぐん降りて、田畑のさかいのちいさな川を、ぶじに飛び越え、なんだかさっぷうけいな広場に出ました。
いったいここは、何なのでしょう?広場はあたり一面、金属をもやすような、おかしなにおいがたちこめていて、向こうには青白いけむりをもやもやはきだす煙突の姿がありました。あれた広場のまんなかには、空き缶がうず高くつまれていました。
ザザザー…またしても風が吹いて、たんぽぽの綿毛の背中をいきなりさらっていきました。そしてきゅうにやんだとおもうと、まあなんとしたことでしょう。空き缶のお山のてっぺんへ、たんぽぽをおきざりにしていったのです。
「ああもぅ、だめだよ。そんなところ」メヌはあわてて追いかけると、がちゃがちゃ空き缶の山をかけのぼり、ときどきずり落ちそうになりながら、ようようてっぺんへたどりつきました。そうして、つぎの風が吹いてたんぽぽをさらっていく前に、あわててたんぽぽの綿毛をぱくりと口にくわえました。
そしてタッタカタッタカ、空き缶の山をけとばしながらいっきにかけおりると、広場の奥の砂場へととっしんしていきました。そして、砂場のまん中までくると、ぺっと綿毛をはき出しました。
「しばらくここで、からだをかわかしてね」メヌがいいました。
「ありがとう、はこんでくれて。あんなさびついた缶のお山へ落ちても、かわいいお花を咲かせてあげられなかったわ」
たんぽぽの精がまたお礼をいいました。
「ほんとに、どこへ落ちていくかわからないよね」メヌは砂の上でほっと一息つきながら、ひたいのあせをぬぐいました。
「ところで、ここはどこかしら…」たんぽぽの精が、せなかに日を浴びながら、すこしねむたげにいいました。
「さっきより、へんなにおいはしないね。ここがお砂場だから、もしかして公園じゃない?」
ふと向こうを見ると、だれもいないブランコが、かすかにゆれています。だれかが降りたばかりのようです。
「あれ。あそこにゾウさんのすべり台がある!」メヌがさけびました。メヌの大好きなものです。さけびおわるかおわらぬうち、メヌはわき目もふらず、一気にかけ出しました。たんぽぽの綿毛も、あわててメヌのしっぽにつかまりました。
メヌがすべり台をかけ上がると、たんぽぽの綿毛はメヌのしっぽにもぐりこみ、一緒にあがりました。そしてメヌがすべり降りるときには、なんとかうまいぐあいに風にのり、しっぽをはなれ、ふんわり浮かんで追いかけました。メヌは何べんとなくそれをくり返しました。
たんぽぽのほうは、そのたびに、メヌのいきおいに舞いあげられ、いつしか はぁはぁ息を切らしていました。
「あぁつかれた。あなたといると、はらはらするわ…ときどきおしつぶされそうになるし。もう…くたびれたわ」たんぽぽの精はうちしおれていいました。


やがてふたりは公園をはなれ、畑をぬけて、うすぐらい森のなかへ入っていきました。あたりが暗くなってくると、さすがにこころぼそくなり、なんだかどっとつかれてきました。
うっそうとした茂みのなかに、かしいだ、みすぼらしい一軒のコテージが、忘れ去られたように立っていました。そのうす暗い、じめじめした軒下に、たんぽぽの綿毛の精がふらりと舞い落ちた時、メヌの心はかすかにわななきました。うらみちのほうから一匹のおおきな猟犬が、はげしく吠えたてるのが聞こえてきました。犬の声はそれからもうずっととまりません。じぶんの声が木立へとこだまするのがきこえると、そのひびきにさそわれて、いっそうはげしく吠えつづけます。
メヌは耳をおおいたくなりましたけれど、たんぽぽはもう、暗くしめったその日陰に、じっとうずくまったままになりました。すっかりつかれはてているのです。
メヌは泣きたくなりました。無茶をいってついて来たのを、こうかいしました。が、ふと思い立つと、勇気をふるって、吠えたてる犬のほうをいっしょうけんめい、にらみつけながら、ぐったりしたたんぽぽの綿毛を両手ですくって、自分のお口に入れました。
「もしもできるなら、生まれたところへかえりたいわ…」メヌのお口の中で、たんぽぽの精がそっとつぶやく声が、きこえたような気がします。
「はらっぱへ行こう」
メヌはおヒゲをピンピンにはりつめながら、全速力で森をぬけ、田んぼをぬけ、公園をぬけ、土手を横切って、やがてなつかしい原っぱにたどりつきました―――― はじめにふたりでおしゃべりをかわした、あのあかるい原っぱに。 

草たちが、ざわざわなみのようにゆらめいています。草のなみは、おひさまの光を体いっぱいに浴びて、においたつような目に見えない湯気をゆっくりとたちのぼらせては、たんぽぽのじゅうたんであしもとをすっかり黄色くそめながら、とおくまでつづいていました。

メヌは、そのなかでもいっとうまぶしい黄色い光のまんなかに、小さな小さなあなをほると、綿毛の精をそっとうずめて、かえりました。

| Rei八ヶ岳高原 | 11:55 | comments(0) | trackbacks(0) | | - | - |
地上の好きな天使 第一章第2話
第一章

第2話 子ねこのカノンとフーガ、はじめて天使をまねく丘のしらべをきく


 さて、ここはふたたび、えかきのカデシさんの家のなか。
眠りの精が、まだうたたねの目を覚まさない、子ねこのカノンとフーガの耳もとで、またこんなふしをささやいていきました。


 カノンとフーガは なかよしこよし
 おちゃめなカノンに ものまねフーガ
 ひよどり巡査の でしゃばり号令
 気になるな
 お庭にあつまれ ヒガラの楽隊 
 気になるな

 おひさま大好き あたろ、あたろ
 おはなし大好き また話してよ

***

「ピーッ、ピイッ! ピーヨ、イーヨィ」
 ふいに、けたたましい笛の音がしました。

 いねむりしていた二匹の子ねこ、カノンとフーガの姉妹は、おかげですっかり目を覚ましてしまいました。
「いったいなにごと? ヒヨドリのおまわりさんかしら?」
 カノンは出窓に鼻をくっつけると、ガラスごしにお庭のようすをじっとうかがいました。
 フーガも、まるでバネじかけの、びっくり箱のおもちゃみたいに、おおきな回転椅子から飛びあがると、あわてて出窓に着地して、カノンのとなりにすわりました。
 あらあら、カノンったら、ピクピクおひげをふるわせて、何か言いはじめましたよ。
「ニャヤヤヤヤヤヤン、ヤン」
 たいそう短く切って、いまいましげに。するとフーガまで、カノンよりもっと高い声で、
「ニャヤヤヤン、ヤヤヤヤヤン、ヤン」
 やっぱりたいそういまいましげに、鼻ぢゅうしわだらけにしながら言いました。

 それからはもう、姉妹でおひげをピクピクさせて、ニャヤヤン、ヤンの二重唱です。

 あんまりさわぎがそうぞうしいので、カデシの娘さんが、とうとうベッドから起きてきました。
「どうしたの? カノンとフーガ。何かいた?」
 娘さんのカブリオルは、眠い目をこすりこすり、子ネコたちにたずねました。

「ああ、…… あそこか。なぁんだ、いつものヒヨドリのおじさんじゃない!」
 カブリオルは、ちいさい双眼鏡で庭をのぞきこむなり、ちょっとがっかりしたようにそう言いました。

 モモの木のくねった枝の交番に、ヒヨドリのおまわりさんは、とまっています。まんまるい目をむいておつむのしらがをおったてながら、地面にむかってしきりに合図をしているのでした。

「よう、止まれえ! そこの楽隊ったら! えっへん。本日は歩行者天国ではないぞよ。
キュイーョ、イーョ!」

 おまわりさんは、またひとつ、するどい警笛をならすと、そうがなりたてました。

 すると、ツピン、ツピン、ツピン‥‥透きとおった日ざしの糸をつまびくような、かすかなコーラスがこうこたえました。

「だって、おまわりさん。しかたがないよ。」
「そうさしかたがないよ。」 

 みると、ちいさな小鳥たちが、豆つぶほどの銀のたて琴を手に手に、列をなしてならんでいるではありませんか。

 それは、ヒガラの楽隊でありました。みな白い二本線のはいった灰色のセーラー服のそでさきにねこじゃらしのばちをかかげて、いっせいに、はるか南の地平線を指しました。

「おまわりさん。ほら、あそこをみてよ!」

 青いお空をつき抜けて、とんがり帽子の山脈が、ながながとまぶしい雪のショールをはおって、そびえたっています。そのすそのに広がる、かすみがかった町のうえと、赤いお屋根の教会の丘との間を、いま、ポツンとひとつ、かわいらしいモヘヤ毛糸のお帽子みたいなわた雲が、漂っています。それは、すこしずつ、すこしずつ、光りをましながら、心地よさそうに風にふかれて、お空のまん中へむかっているのでした。

「あの雲をみて、おじさんなにか感じない?」 

 カノンとフーガは、これを聞くと、ふいになくのをやめて、おもわず身をのりだしました。ヒヨドリのおまわりさんも、とぼけたまんまるの目をいちだんとむいて、光のわた雲に見入りました。

 カノンとフーガにとっては、なんとなく気になって、出窓にすわっては見あげている、あのいつもの見なれた、おいしそうなわたがしの雲でした。

 でも、そういわれれば、いつにもまして、きょうはいちだんとまばゆい、真珠色の光をはなってみえます。

 おまけにその雲間からは、たったいま ところどころ透きとおったひとすじの矢が、天からすべり落ちる虹の精にみちびかれて、すっと射しこんできたではありませんか。
 そのはなつ音が、あちこちにこだまするように…。

 楽隊の先頭に立つヒガラの隊長が、白く光るつやつやした頬をふくらまして、念をおすようにヒヨドリにむかってたずねました。
「あれをみて、きょうがどんなにわくわくする日かってこと、わからない?」
「なに? わくわくするとな。」
 ヒヨドリのおまわりさんは、見ひらいた目をいっそう皿のようにむきだして、首をかしげました

「わくわくする日だって……」
 窓辺のカノンとフーガも、おもわず顔を見合わせると、そのたいそう意味ありげの言葉を、くり返しました。

 雲のうえで、天使のほうでもやっぱりこんなことを言っていたのを、みなさんはおぼえているかしら?


「それにぼくたち、時間がないんだ。」
 ヒガラの隊長のすぐとなりにいた、坊やもすぐさま、そうさけびました。 

 ヒガラの楽隊たちは、めいめいクモの糸でできたたて琴のいとを、ツピンツピン、翼のさきではじいては、くちぐちにつぶやくようなかぼそい声で、なにかうったえています。 ヒガラたちのながい列にそって、琴の、無数のいとのつらなりが、カーテンのようにつづいています。そのいとの一本一本を、光のエレベーターがすばしこく上下にすべっているのがみえます。ときには青く、ときには赤味がかった金色に輝きながら、風にたわんでは消えていく、おねがいごとを、空にうたっているのです。


「ふむ。時間がないとな。つまりはあのわた雲が、どこかへ飛んで行っちまわんうちに、なにかしなければならんのだな?」
 両手を後ろに組んだまま、ヒヨドリはかしこまったせきばらいをひとつ、してみせました。ヒガラたちはみな、ちからづよくこっくりをしました。

「おじさん、ぼくたちおもうの。きょうはきっと、〈なにかありそう〉なんだ。……そう、こんな天気の日にはね。そのときぼくらは、うたをかなでるのさ。〈そうしたい〉んだ! …… あのわた雲が、ちょうど丘のま上にくるのを待って、―― それはちょうどま昼で、お空のまん中なのだけどそのときを待って、―― いっせいに、ぼくたちはじめなくっちゃならないのさ。」
「丘のまわりで合奏を!」
「合奏を!」
 そう、みんなは口ぐちに言いました。

ヒヨドリのおまわりさんは それをきくと、きゅうに交通整理なんてどうでもよくなりました。
「よろしい。それでは行っておいで。ただし川のむこうにカラスの軍団がたむろしているから、気をつけるように。キイ、イーオィ!」
「わかったよ。ありがとう、おまわりさん。」
 ヒガラの楽隊はまた、めいめいねこじゃらしのばちをかかげて、いっせいにヒヨドリにあいさつしました。
 それから隊長が、そのばちをたて琴にあてて、ポロロロン…、お空にのぼっていく合図の音を出しました。楽隊たちも、いっせいにポロロロン…。ねこじゃらしのばちがふれるたび、こんどはソーダ水ほどにほんのり青みがかった、銀色の注射液をツウ、とお空にむかってすべらせながら、琴のすだれは、いま、ふうわりと風をはらんで舞いあがりました。

 ツピン、ツピン…ヒガラの楽隊は二列になって、宙を舞っていきます。すすき野原の波しぶきのむこう、ぽっかりと、まるで金の島のごとく浮かんでいる、チッポルの丘をめざして、そのむらがるかげは消えていきます。すすきの装飾音符の波がしらたちは、こがね色の手をざわざわ振って見おくっています。

 ヒヨドリのおまわりさんも、ごくろうさんを言うように、こっくり、何度もうなづきながら、これを見おくりました。
 もちろん、カノンとフーガも、じっとだまってこれを見おくりました。もう、ニャヤヤンのコーラスなんかすっかり忘れて、うっとりと、なごりおしそうに。

 ジュリ、ジュリ、ジュリ‥‥。
おや? 窓辺まぢかで、まただれかがおしゃべりしているみたい。……と、すぐ目のまえにまではりだした、はだかんぼうのコブシの枝の一つ一つに、ろうそくの炎のような白いあかりが、ちらちらともってみえました。
白いともしびたちは、あちこち飛びうつりながら、しきりに何か相談ごとをしています。 カノンとフーガがよくよく目をこらしますと、それらのともしびたちが、ねずみ色のながい尾を、時計みたいにチクタク、振っているのがみえました。

 それは、エナガの群れでした。みんな、まるでゼンマイじかけのおもちゃみたいに、枝から枝にぶるさがっては、休みなくからだを振っています。そのうち、群れのなかでも特別すばしこくて器用そうな二羽のエナガが飛びだすと、みんなをうながすように、さっそく仕事をはじめました。

 二羽は左右にわかれ、遠い枝と枝とにはなれてとまったとおもうと、風になびくクモの糸を、どこからかたぐりよせては、じょうずによっています。ちょうど鉄棒するように、たがいに反対むきに枝さきをくるくる回るたび、糸はよじれていきました。

 のこりのものたちも、元気に枝を跳ねわたると、みな手ぎわよく仕事にとりかかりました。コブシの幹にとりつけてあった、あわいもみの木色をしたふかふかのこぶを、みんなでゴトゴト、くちばしでうごかしはじめたのです。

 それは、たまごのかたちをした、エナガの巣でした。このあわいかたまりのなかいっぱいにつめ込んだ、おふとんの羽根を、みんなしてつつき合っては、ひっぱりだしているのです。
 カノンとフーガは、ふしぎそうに顔を見あわせました。だってなんだかもったいないのですもの。

「ピーヨ、イョ!」
とそこへ、あのけたたましい警笛をふいて、ヒヨドリのおまわりさんがやってきました。
「なにをしとおる! きみたち。」
 ヒヨドリは木の手まえまでくると、空中の一点に停まったまま、翼だけはためかせて、エナガを呼びとめました。

「いったいそれを、どうするつもりかね?」
「ぼくたちの巣なんだから、どうしようとかってさ!」
「いま、いそいでるの。ぼくたち!」

 エナガたちは、ジョイジョイ、ジュリジュリリ‥‥口ぐちにくちばしの中でぶつぶつ文句を言っています。が、仕事の手はすこしも休めません。
「なに。いそいでおるとな?」
 ヒヨドリのおまわりさんが首をかしげてたずねますと、ひとり気のいいエナガが、きょろんとひとつ、まばたきをして、肩をすくめながら、みんなのかわりにこたえました。
「チェンバロをつくってかなでるのさ。天使の子にきかせるために。」
「天使だって?チェンバロだって?」
 のどになにかつまったようなかなきり声で、ヒヨドリのおまわりさんはきき返しました。
「そう、チェンバロだよ。ピアノの、むかしのすがたをしたやつさ!」
「きょうは何かがおこりそうなんだ。おじさんだって、あのお空の光りかたをみて、なにか感じるでしょう?」
 となりにいた、エナガの坊やも言いました。

 ヒヨドリは、それをきいて、ふたたびあっけにとられたようすです。カノンとフーガも、またふたりして顔をみ合わせました。

 そのうち、あらあら? エナガたちは、とうとうすっかり巣の中身をくりぬいて、しきつめてあった羽根を全部、ひっぱり出してしまいましたよ。と、そこへのっぽの一羽がやってきて、土の上へその羽根を順ぐり一列にならべると、ツンツンつついて、あっというまにわた毛を抜きとってしまいました。ふわふわの羽根はすっかりはだかんぼうの骨になり、ずらりとならんで光っています

「よし、たしかに八十八、あるぞ。」
 隊長がくちばしで骨の数を確認しました。
「こっちもすっかり用意はいいぞ。」
 クモのより糸のほうも、できあがったようです。

「ほう! こいつがその、チャンバラとかいう楽器かね?」
 ヒヨドリが、さかんにまばたきをしてききました。

 エナガたちは、より糸で、くるくると、それはじょうずに羽骨のくしを巻きつけていきます。
「これは、中の仕掛けさ。とっておきのね! こいつをつかってチェンバロのいとをかきならすんだ。」
「チェンバロのいとには、すすきの穂をつかうんだ。これからそれも八十八、あつめて、骨のくしにぴったりかみ合わせるのさ。おじさん、おねがいだからもうそこどいてよ!」

 エナガたちはいそいでいます。ヒヨドリのおまわりさんは、風船でもしぼむように、すごすごモモの木の交番にひきかえすと、いつものように背中で手を組みながら、こちらのようすをうかがっています。
 エナガたちは、いちもくさんに飛びたつと、トネリコの小川のふちのすすき野原へむかいました。からからに枯れたすすきの穂が、金の冠もおもたげに、いっせいに風になびいては、おいでおいでをしています。エナガの群れはまっすぐにすすきの波間におちてゆき、すっかりすがたを消してしまいました。……


 あたりは静まりかえっています。ただすすきの手だけが、くるくるうず巻く指さきを、天にむかってさしのべながら、からだぢゅうの糸をほどいていくような、そんな手まねきのしぐさのまま、かみさまに時間を止められてしまった、というふうに、青いあおい空をみあげては、さらさらとすれ合ってたわんでいました。ときおりすすきの茎たちが、ふいの風にあおられるたび、こがね色にまばたきしながら、天のすべりだいを降りてくる、あんず色や、すみれ色した虹の精に、透きとおった背中をかしていました。


 やがて、ほら…。エナガたちはうずまきのなかからひとつ、ふたつ、顔を出しはじめましたよ。そのうち、さっと群れを組んではばたきながら、空の一点めざしてのぼっていきます。すすきの穂も一列にならびます。
穂の列は、右から左へじゅんぐりに、せいたかのっぽになっていき、うつくしい三角形を宙に描いています。のこりの数羽が、そのうえから、象牙のくしの歯のように、ずらりと光る羽骨のしかけをくわえながら、ぴったりとかさなりました。さいごの一羽が、白いバレリーナそっくりに、空の舞台をくるくる回転しながら、クモのより糸を、そのかさなりにみるみるうちに巻きつけていったのです。

「ほう!‥‥」
 遠くで首をながくして、このようすをじっと見つめていた、カノンもフーガも、ヒヨドリのおまわりさんも、みんなもう、ただためいきをつくばかりでした。

「これから森で、この楽器の入れものに、ちょうどいい巣箱を見つけに行くよ! よかったらききにきてね。ぼくらの演奏!」
遠くから、エナガの坊やが早口で空に向かってさえずりました。いったいだれにさけんでいるのでしょう?

 そうして、みんなが宙を舞うたび、チェンバロのじゅうたんは空をはうように、ときにはミルク色に、ときには金色に輝きながら、何ともいえないかろやかな音をはじいているのがわかります。

 シャロン、シャロン、ツピン。
 小鳥たちの三角のうねりは、すすき野原の海を飛び越え、舟の帆みたいにはためきながら、南に浮かぶ金の島、チッポルの丘をめざしてみえなくなりました。
お空の上にはいつのまに、たったいま消えたばかりの、三角のうねりとそっくりの、長いすじ雲がたなびいています。ちょうど天使が、かぎ針でお空をひっかいたあとみたいな、かすかな糸を高くひきながら。

 ヒヨドリのおまわりさんは、モモの木交番にこしかけたまま、ぼんやりとお空を見上げています カノンとフーガも、まあるい背中をもちあげて、ほっとひとつ、ため息をつくと、あとはもう、ただ夢みるようにぼんやりと、やっぱりお空をながめているのでした。

 さて…。そのあと、お空の横断歩道は、しだいに忙しさをましてきましたよ。おまわりさんは、ぼやぼやしている場合ではありません。ほら! もうやってきました。

「ギィーーチ、ギチ、ギチ、ギチ‥‥」
 もうれつな歯ぎしりをまくしたてて、いまいましげな一羽の鳥かげが、すうっとすすきの波間におちて行きました。さっきエナガたちがしたように。でも、もっとずっと、せっかちに。 
 やがて姿をあらわしたとき、くわえていたのは、細長いすすきの葉っぱでした。なんでも、ほどけたリボンのように、くるくるクレープを巻いています。よくみるとその曲線は、なんと4分の4拍子をかたどっているではありませんか。

 ζδξλκγλ

 拍子記号をくわえているのは、指揮者のモズ先生でした。
「かんじんのわしを、おいていくとは! なんてやつらだ。だいたい何分の何拍子か、わかっとるのかね? まったく!」
 そう、ギチギチ、文句を言っているんです。

 モズ先生は、さも不機嫌そうに、チャッ、チャッ、って舌打ちしながらも、拍子の花文字をおっことさぬよう、空たかくかかげると、長い燕尾服の尾をふりふり、拍子をとって、小鳥たちの楽隊のあとを追いかけていきました。

「先生! 待ってくださあい、ギィーッ。」
 きしんだ木のドアをこじ開けるような、おかしな声をあげながら、あわててこれを追いかけるのは、キツツキのコゲラでした。きっと丘の原っぱで、楽隊のかなでる合奏に合わせ、すみっこの高い木の幹にとまって拍子とりをするよう、モズ先生に命令されたにきまっています。
「ギィ、ギギギギギィ‥‥‥」
むりやり木ねじを回すみたいな連続音をだしながら、白と黒、まだらの羽根をぱたぱたさせて、コゲラの弟子は飛んでいきました。


「おっほん。」
 ヒヨドリのおまわりさんは、苦手なモズ先生と、気の毒なコゲラの弟子を見おくりますと、右をみて、左をみて、かしこまったせきばらいをひとつすると、またいつものように背中で手を組み、お空の視察をはじめました。


      * * *

 さて、ここは高いたか〜い雲のうえ。

 丘のま上で、つり糸をピクピクふるわせながら、天使のパドは、さっきからしきりにはしゃいでいます。
 なぜって、けさはいったいどうしたことでしょう? 小鳥たちが、ふしぎとざわめきだって、合図をかわしあいながら、めいめい、すてきな音色をした、手づくりの楽器をたずさえては、なにやら相談ごとをしているのですもの。それもときおり、パドののっている、このざぶとんの雲のほうを、見あげたり、指さしたりしながら!

 そして、そのたびパドのつり糸は、ピクピク、ツンツン、ふるえるのです。うれしさにこ踊りする、パドのこころそのもののように。

 どうやら小鳥たちは、今日のこのご機嫌なパドの気配を、ちゃんと感じとっているようです。
 そうしてパドのつり糸も、そしてもちろんパド自身も、小鳥たちの空をみあげる、なんともいえないときめきの気持を、からだじゅうに感じとっているのです…。

「うれしいなあ。お空と地上の間は、やっぱりこうでなくっちゃね。」
 天使のパドは、足をぱたぱたさせて、そう言いました。それからまゆ毛をぴくりともたげると、つり糸がピクピク、いっそうはげしくふるえはじめました。そうして、やがてゆっくりと、大きならせんをひとりでに描きはじめたではありませんか…。
 ぐる〜ん、ぐるん。それはもう、宙いっぱいにひろがるよう。

 らせんはちょうど、チッポルの丘を中心に、ゆうだいな弧を描きながら、森の木立や、小川のふちや、それにカデシさんのお家の庭の植木のまわりまで、すっかり巻きこむように、回りはじめました。すると、それぞれの場所でいそがしく動きまわっていた小鳥たちが、パドののった雲のほうを向いて、ちいさな翼をいっそううちふるわせて、なにかおしゃべりしたとおもうと、やがてつぎつぎと飛びたちはじめました。

 まるで、つり糸にみちびかれるように、あっちからもこっちからも、小鳥たちの群れは浮かび上がると、丘のうえ、パドのつり糸が描いているらせんの軸をめざして集まってきます。

 それとともに、あたりにちらばっていた雲までもが、らせんを描いてまわるパドのつり糸にひき込まれるように、すこしずつ、すこしずつ、近づきはじめました。そう、もうじきおひさまとひとつに重なろうとしている、このざぶとんの雲に向かって、です。

 ヒツジ雲、かぎ針のひっかいたすじ雲、巻き雲たちが、だんだんとお空のまんなかへ集まっています。うっすらとミルク色した膜(まく)を、おひさまとパドの雲のまわりに、かけはじめました。

 でも、それにもまして、小鳥たちは、なにか約束の時間にでもあわせるかのように、たいそうせきこんだようすで、近づいてきます。ふしぎな力にますますすいよせられて、集まってくるようにみえます。
 そうなのです、小鳥たちはまぎれもなく、丘をめがけて飛んでくるのです。パドの大好きな、チッポルの丘へ。この雲のま下へ…。

「そうさ! 小鳥たちのこころは、ぼくのこころ。ぼくのこころは、小鳥たちのこころ。手にとるように、ぼくにはわかるよ。うきうきわくわく、もうどきどきさ!」
 天使のパドは、そう言ってはしゃぎました。

 ひさしぶりに、天使のこころが、地上にとどいた気がします。お空の上と下とが、ぴったりとひとつにつながりはじめた気がします。いっぱいにあふれる青い光が、お空の上の気持を下に、お空の下の気持を上に、じかに伝えてくれている。なんだかそういう気がします。

 パドは、知らぬ間にらせんにつり糸をふりまわしていたその手をとめぬよう、気をつけながら、つりざおをしっかり持ちなおすと、くるりん、くるりん。こんどは丘のちょうどま上で、空中旋回させました。それも、すこしずつ、すこしずつ、つり糸を空のほうへと引き上げるように。かわいらしいふしのついた、口笛をひゅう、とならしながら。

 その瞬間、おひさまがきらりと輝いて、パドの雲ととうとうひとつに重なりあおうとしていました。そうして、ちょうどおひさまの姿を映しだす、白いスクリーンとなりながら、ざぶとんの雲はうっすらと淡くにじんだ、七色の光の環を、おひさまのまわりにかけはじめたのです。そう、虹のあかんぼうの誕生です。

「さあ、いくぞ!」

 天使のパドは、これを合図にさけびました。そして、おひさまめがけて光の網をとき放ち、地上いっぱいにかけおろしたのです。トゥララ、トゥララ……。おとくいの鼻歌をうたいながら。
 天の光の網は、噴水みたいに丘をめがけてふりそそぐと、かがやく虹の糸となって、原っぱいっぱいにひろがり落ちていきました。
と、いつしかそのなかの数本の糸が、きれいな列をなしながら、やんわりと宙を舞いはじめようとしていました…。

 森のほうへと、日ざしにすけるふしぎなこだまが流れています。

 と、もうつぎの瞬間、パドはつり糸をつたってすべり降りはじめていたのです!。ぐる〜んぐるん、空いっぱいにらせんを描き、地上へ、地上へと……

* * *

 そのころ、窓辺のカノンとフーガは、ちょうどいま、お仕事を終えたばかりのカデシさんに、朝ごはんをもらって一息ついたところです。時計は十一時をまわっていました。

 あんまりいっしょけんめいお外をみていたものですから、カノンもフーガも、食事のことなどすっかりわすれていました。めずらしいこともあるものです。
 窓辺をはなれ、お台所へ行くと、コンビーフに、とりのささみをぺろりとたいらげたあと、ふたたび窓辺にもどりながら、カノンとフーガはこんなことを話し合っていました。

「ねえ、あたちたち、小鳥たちがこんなおしゃべりをいつもしてたこと、ちいっとも知らなかったね!」
「ほんとね、フーガ。でもあれは、いつもなのかしら。そうじゃないと思うわ。いつもとちがう言葉をしゃべってるように、聞こえたわ。いつも聞こえない音まで聞こえたし。いつも見えない光も、見えた気がした。小鳥たちの言うように、やっぱりきょうは、きっとなにか特別な日なんだわ?」

 さて、ようやく一息ついたカノンとフーガの出窓劇場へ、お次に登場してきたのは、カワラヒワの一家でした。

「チュイン、チュイン、チュビーー」 

 そでの黄色いカフスをきらりとおしゃれにひらめかせ、ひとりひとりまた何やら、かわった楽器を肩にかけ、お庭の舞台へあらわれました。どうやらこんどは木琴のようです。上下二列にパルプの円筒がならんでいる、アシナガバチの古い巣は、ドングリの実のばちでたたく木琴にはうってつけでした。みな、手に手にドングリのばちを二本づつ、かかげていますが、ひとりちいさな坊やだけは、一本だけしか持っていません。

「ぼくも、ぼくも‥‥。」
 ちいさなヒワは、べそをかきながら、おかあさんの後をくっついています。
どうやらなくしてしまったようですね。きっとあたらしいばちを、お庭にさがしに降りたのでしょう。
「コロロ、コロロ。キリ、コロロ。」

 木琴は、ちょうどカワラヒワが夏のあいだに鳴きかわす、ころがるようなうつくしい声とそっくりの、まろやかな音色でひびきます。

「ピーヨイョ、イョ! あんたがたも、なにかね? 本日がなにかこう、特別の日という、予感ですかね?」

すこしもったいをつけて、ヒヨドリのおまわりさんは呼びとめました。
「ええ、きっとまぁ、そんなところですわ」
カワラヒワのおくさんが、うなづきます。 

「わたくしたち、なにかどうしようもなく、さそわれる気がして。何かに呼びかけたくなるんですの。こんなお天気の日には。」

「だっておじさん!」と、こんどはカワラヒワの兄さんもいいました。 
「あんなにかわいらしい七色を映した雲が、いつもよりずっとご機嫌そうに、ああして浮かんでいるんだもの。なんだか、虹の子でもかくしたみたいな、特別な光をばらまいて、ぽっかりとさ!」

「なるほど。‥‥そう言われれば、そうですな?」

 ヒヨドリは、針山みたいなしらがあたまをこつこつふって、うなづきました。

 カノンとフーガも、窓辺の席でこっくり、こっくり、うなづきました。

「あの雲ときたら、まるで光の天使のための、ふかふかのざぶとんみたいですわ。」
おくさんはうっとりといいました。

「えっへん。それによおく、ごらんなさい。おまわりさんよ! ほら、あちらを。」
でっぷりと太ったカワラヒワが、いげんたっぷりに、こんどはすこし西の空たかく、指さしました。それはさっきのエナガの群れが消えたあと、お空にうっすら尾をひいていた、かぎ針でひっかいたようなあのすじ雲でした。

 でもいつのまに、さっきよりずっとふかふかしてふとってみえます。

「あれらはまるで、われわれの合奏をまねいているようではありませんかな? どうです、あれを見て、どう思いますね?」

 カワラヒワのだんなは、黒いパイプをぷかぷかふかしながら、ヒヨドリにたずねました。
「ふむ、はて。なんだか魚の骨にみえますな!」

 ヒヨドリは、とぼけた目をしろくろさせて、すっとんきょうな返事をかえしています。カノンとフーガは、くすくすわらいました。

「ほう!あなたには、あれが魚の骨にみえますかな。」

 カワラヒワのだんなは、パイプをいっそうはげしくぷかぷかしながら、たいそうおどろいたようすで、そう言いました。が、そう言われれば、たしかに箒ではいたようなすじのなごりのまん中をよこぎるように、うっすらと、一本の線路がつらぬいてみえます。ヒヨドリには、それが魚の背骨に、うつったのでしょう。

「いやあ、われわれには、まるで木琴の板のように、みえてならんのです。われわれのかなでるうつくしい音楽をまねるように、ですぞ! うぉっほん。もっとも、あれはまもなく、もっと太って、ばらばらに散って、空の牧場にあそぶ、ヒツジたちの群れにかわるでしょうな。そして、われわれの演奏のあとをついてくるにちがいありませんぞ。うぉっほっほ。」

 太ったカワラヒワは、ひとりでうなづきながら、たっぷりした声でそう言いました。

「とうちゃん、みっけた! ぼくのばち。」
 坊やが、ドングリの実をくちばしにくわえてやってきました。首をふりおろしてパルプの行列にたたきつけますと、
「キュルリ、ズィン‥‥コロコロロ‥‥」まろやかなかわいた音が、あたりにばらまかれました。

「おお、これはよい。」
 カワラヒワのだんなは目をほそめ、たいへん満足げにうなづいてから、ごじまんのそでのカフスをひらめかせ、遠い丘を指さしました。

「では、わしらはこれで。」
 太っただんなは胸をはり、おなかもはって、自信たっぷりにえしゃくをすると、木琴をかついでさっさと空へ舞いたちました。ほかのカワラヒワたちも、あわてて後につづきます。

「ごきげんよろしゅう。」
 カワラヒワのおくさんも、ていねいにおじぎをすると、さいごについて飛びたちました。
「コロコロロ、キリコロロ、ズィンズィンコロロ、キリコロロ‥」

 こうしてやはり、すすきの装飾音符の波をこえ、ラムネ色のスタッカートの水しぶきをこえ、小川づたいにつらなっていく、トネリコ並木の八連音符をはるかにこえて、南の丘のフェルマータへとみるみる消えていきました。…… 

 さて、そのころ森かげにたむろしていたカラスの群れも、これを見おくっていました。

「なんじゃ、きょうは? つぎからつぎと、行ったり来たり。」 
みなでなにやら顔を見合わしています。 

「おい、子分、川むこうでなんかありそうじゃあねえか?」 
「おもしろそうですぜ、親分! やつら、みんな手に手に、なんかしら持っていきやすぜ!」
「わしらもちょいと行ってみましょうや。」 

 カラスの軍団は、色々相談しあってから、いよいよそろって頭を低くして、みな畑のはしをつぎつぎに助走しはじめました。そして、
「カワー、カワー」
 しばらく鳴きかわして、河原のうえを何度か空中旋回したかとおもうと、あぶらぎった黒い翼をばたつかせながら、やがて川むこうの丘をかこんだブナ林の方へ、小鳥たちの群れのあとを追うように、飛んで行きました。

 カラスのご一行さまをお迎えして、地平線では双児のケヤキの兄弟が、空の木目のうえにまっ黒なシルエットを彫り込んでいました。ちょうど歓迎の花火の、パッとひらいた瞬間のように、放射状の枝の影絵を空に放って迎えています。

「おっと。なんじゃ、あれは! 不気味な。‥‥いったいどうしようと言うんじゃ、やつら?」
 ヒヨドリのおまわりさんは、カラス軍団の消えて行く空を見上げて、つぶやきました。
「こうしちゃおれんわい。いまこそ、仕事じゃ、仕事らしい仕事じゃ!」
 もっともらしい理由を自分に言いきかせて、ヒヨドリはなっとくすると、むしゃぶるいしながら飛びたちました。
「キイーョ、イョィ」 
 あいかわらずけたたましい笛をふきながら、ヒヨドリはいそいで後について行きました。

 さあ、これを見ていた子ネコのカノンとフーガは、どんな気持がしたでしょう?
カノンはフーガを、フーガはカノンを、うったえるような目でみつめました。そして、つぎの瞬間には、扉のすきまをすべり抜け、それはもういきおいよく、ふたりはオレンジ屋根のおうちを飛び出していたのです。子ネコの姉妹は、二発の鉄砲玉のように、猛スピードで庭をかけ抜けて行きました。 

 ピチャン、ピチャン、さわ岸をわたり、せいたかのっぽのすすきのハープをポロロン、ポロロンとおり抜け、いじわるなトゲだらけのイバラの迷路もくぐり抜け、フジの蔓べのブランコも、ヤマブドウが編んだ帆ばしらも、マストの網も、なわばしごも、ぐんぐんぐんぐん、とおり抜け……。
 そうです、いつもは、危ないからふたりだけで行っちゃいけないよって言われている、こわい場所をいくつもいくつも、すり抜けて、カノンとフーガは、丘へ丘へと走って行きました。
 いつも窓辺で、ガラス越しに見ていた丘。ときどきコンペイトウのお星さまを、塔のてっぺんでまたたかせている、赤い帽子の教会をのせた、なだらかな丘。お昼になると、おひさまのま下で、まっすぐに降りてくる光の帯を、ひとり占めしてなごんでいる丘へね。


 ***


 どれくらい走りつづけたでしょう?
 カノンとフーガは、ようやくやぶを抜け、はだかんぼうのブナ林を抜けて、ひろいひろい原っぱにかこまれた、まばゆい丘のふもとにやってきました。

 おひさまのスポットを浴びて立つ丘を、ぐるりとりまいているこの原っぱは、ちょうど円形劇場のように、ブナの林にまんまるにくりぬかれて、のどかな山すその土地にひろがっています。

 原っぱには、かぼそい金のおひげが、びっしり生えわたっています。すっかりわた毛をおとした枯れ草の波は、目にみえない風の手のひらに背中を押され、じゅんぐりにしゃがんだり、立ちあがったりしながら、ざわめきたっています。


 丘のてっぺんには、赤いお屋根の教会が、古いろうそく色の壁のところどころに、からからに枯れたツタの蔓べを、くねくねと何本もま横に走らせながら、まっ黒いお口をぽかんとあけて、いつまでもあくびをしたまま、ひなたぼっこしています。あかるい、あおい光をぞんぶんに浴びて!
 ちょうどいつもの、窓辺にたたずむカノンとフーガそっくりにね。 

 ふたりの子ネコは、これをみて、すっかりうれしくなりました。

 それにしても、いったい何羽の小鳥たちが、この広場にあつまってきたことでしょう?
 カノンとフーガは、イワガラミの蔓べのからんださじき席にそっとしゃがみこむと、原っぱのまあるい舞台のすそに、せいぞろいしている楽隊のみんなのようすを、こっそりうかがいはじめました。
 たて琴を持った、ヒガラの楽隊がならんでいます。 ちょうどカノンとフーガの席のまん前で、あいかわらずたよりなげのかすかな声でおしゃべりしています。すすきのたて琴の糸たちが、それにあわせてささやくように、風にたわんで揺れています。

 すぐちかくには、エナガたちもみえます。三角形のオルゴールみたいな、とっておきの巣箱がどうやらみつかったようです。

「りっぱなチェンバロになったわね!」
 カノンがこうふんして、長いシッポを小刻みにふるわせながら、ささやきました。
「ほんとほんと! ねえね、カノンちゃんあれなあに? となりの、ちっちゃい小鳥たち!」
 フーガもおもわずわめきたて、カノンにシーッ、とお口をふさがれました。

 そう。まだ見なかった小鳥の群れもいます。ちょうどヒガラとエナガのあいだにはさまれて、よく似たちいさな群れのかげが、せわしげに、ちらちら動いています。

 それは、コガラの群れでした。もうじきむかえるクリスマスにはふさわしい、カリヨンを手に手に、モミの木の切りかぶのお椅子を、フィチチー、フィチチーとさえずりながら、上がり下りしています。そのたび、かぼそい枝の階段でできた、ヌカキビの枯れ草のカリヨンが、そっとふるえながら、いくつもつりさがった鈴の音をツリンツリン、いわせるのでした。

 そのほか、ユキヤナギのたわんだ弓でヴァイオリンを弾くカシラダカや、としとったユリの木のまん中にあいた巣穴にはいりこんで、入口にはやぶからひいた巻きヅルの糸をはりつめ、コントラバスにしたてては、ボンボンボン、ふといくちばしでつまびく、シメの夫婦もみえました。

 はて、モズ先生は、どこでしょう?

 やあ、いました、いました。双つにわれた、タラの木のとまり木のうえです。まあるいオーケストラボックスをやぶにらみして、あいかわらずいまいましげに、燕尾服の尾をふりふり、主役のピッコロ奏者、イカルの到着を待っています。とまり木の柱のトゲには、さっきのうつくしい4分の4拍子のクレープがささっています。

 ギーチギチギチ‥‥、モズ先生は、歯ぎしりをして、シッポのタクトをコツコツ、とまり木にたたいていいました。
「だれか、イカルどもに連絡をつけられるものは、おらんのか?」 
「さっきハシバミの梢のうえで会いました。いい音をだすのに、はらごしらえをしていくとかって。」
 だれかが言いました。

「はっははー。そのかわりは、おれたちじゃダメなのかい?」
 ふいに、どこかから、するどいダミ声がしました。
 と、どうでしょう? しげみのむこうでこっそりと見物していたカラスたちが、とつぜん円形広場にしゃしゃりでてきました。
「いったい何をはじめる気かしれんが、もしお空の天使さまをよろこばそうなぞと言う集まりなら、ばかばかしいてなもんだぜ!」
 カラスの親分がいいました。

「チッ!」
 モズ先生は舌打ちしました。
 カラスたちは口々につづけました。
「だいたいな、お空にむかっておくりものをするというなら、だれか犠牲者(ぎせいしゃ)をたてて、そいつをまつりあげないでどうするんだ、え?」
 親分がいいますと、
「そうだそうだ。〈いけにえ〉を出さない天へのおくりものなんて、あるもんか!」
 子分のカラスもいいました。

 草陰から、このようすをみていたカノンとフーガは、おもわず顔を見あわせました。
「イケニエって?」
 フーガがそっとたずねました。
「よくわからないけど、だれかが死んで、お空のささげものにされるってことじゃないかしら?」
 カノンが不安そうにいいました。

「そんなことおかしいよ、フィチチー!」
 ふと、一羽のちいさいエナガが、長い尾っぽをふるわせてカラスたちの群れに近づくと、ゆうかんにこういいました。
「ぼくたちの音楽会は、それだけで、お空へのいいおくりものなんだ」
「そうだよ。それだけでじゅうぶんよろこんでもらえるんだ!」コガラもまけずにいいました。
「そうざます。だいたいね、いけにえを出すというなら、あんたたちが、すすんでそれになればいいじゃないの!」
 カワラヒワのおくさんが黄色い胸をはり、すごいけんまくでけしかけました。
 カラスたちは、いっせいにギョッとしました。
「おう、そうそう。そうじゃ。だれかが、とは言わんで、自分たちがなればいい!」
 モズ先生もギチギチまくしたてました。
「どうぞ、いい出しっぺがなさるいい! 自分たちがなれないんなら、それをひとに代わりにさせては、いかんですな」
 ふとったカワラヒワのだんなもせき払いをしながら胸をたたいていいました。
「ちぇっ。おい、行くぜ」
 カラスたちはしぶしぶ、きびすを返すと、すごすごと退散しはじめました。そうして、カワーカワーと鳴き交わしながら、遠くのしげみへと姿を消していきました。

「ふぅ…やれやれ。」
 モズ先生はため息をついて、ひとまずシッポのタクトをちいさく振りました。みんなもほっと一息ついて、もとの位置へともどりました。

「それにしても、何をしとるんじゃ。イカルたちときたら、到着がおそいな…」
 こう言って、モズ先生はふたたび空を見あげました。みんなもやきもき、空を見あげました。

 おひさまは、まもなく丘のま上にさしかかろうとしています。空のまん中めがけて、西から東へいろんな雲が、たなびいてはおしよせてきています。かぎ針の引っかいたすじ雲、ヒツジ雲、卵を投げつけたような巻雲だのが、ほうぼうからうっすらとミルク色の膜を、おひさまのまわりにかけはじめています。その照明効果(しょうめいこうか)のために、原っぱの円形舞台は、こころなしかほの青く、すっ‥とあかりを落として、開演(かいえん)にはもってこいのしたくが、もうすっかりととのっていました。

 さて、おひさまにかかったミルク色の膜のまん中には、いよいよあの、天使の雲のざぶとんが、ゆっくりゆっくり近づいてきます。

 そうです。この丘のちょうどま上に……。

 カノンとフーガは、胸がどきどきなりました。 

 モズ先生は、ついにしびれをきらして、(いえ、十分待ってから、と言っておきましょう)翼をひろげ、シッポのタクトを振りおろしました。


 たて琴の前奏がポロロロン…。さいしょの音のヴェールをふりほどきます。

 と、その時です、イカルたちの笛の音が聞こえてきたのは。 

 たて琴の音にさそわれて、はじけるようなピッコロの音が、たからかに鳴りひびきました。空から放たれた矢が、地上めがけてふりそそぐよう。まるであかちゃんのわらい声そっくりに、ピッコロの音は、入口のシラカバの柱の廊下にこだましたとおもうと、たちまち林ぢゅうにひびきわたりました……

 すると、これを合図に他の小鳥たちの楽隊が、めいめいの楽器をかきならしはじめました。小鳥たちのオーケストラは、ざわめきたち、うちふるえるようなアンサンブル。かすかな音色が、幾重にも折りかさなっては透きとおったハーモニーをかなでます。

 カノンとフーガは感激して、お空の青い円天井をあおぎました。
ミルク色の膜はいつしか透けて、おひさまはいま、ようやくあの、天使のざぶとんとぴったりひとつに重なり合い、姿を隠していくところでした。七つに色わかれした虹の輪っかが、天使のざぶとんをうっすらとかこみはじめます。とたちまち、まるで銀のパラソルをひらいたように、光の網がぱっと、空いっぱいに放たれたではありませんか。 

(天使の投げる、光の網だ……。)

 かさなる音のさざ波のなかで、みんなはひそかに、そうおもいました。天使のわた雲を透かして何本もの虹の糸が丘をめがけて降ってきます。そのまん中を、おひさま自身のほのかな影が、ちょうど白熱電球のあかりのように映しだされていました。雲にそっと、真珠色の襟のふちどりをプレゼントしながら。

 シャロン、シャロン、ツピン‥‥。


 さあ、おつぎの主役はエナガたちのチェンバロです。なんて清らな、澄んだ音色でしょう! 遠いむかしからかわることなく、ひとりでに刻まれていく、音のはた織りのようです。
 と、これを追って、みんながそれぞれの楽器をかかげ、ふたたびこのあとにつづくフレーズを、あちこちでかなではじめました。

 こうして音のはた織り機は、たおやかな幾本もの織り糸をかさねながら、天にむかって音の織物を送りだしていくのでした。

 おや、あれはなんでしょう? いつのまに、丘のうえをすじ雲の五線譜がたなびきはじめているではありませんか。クモ糸でできた五線譜は、かぼそい雲になってあたりいちめんに漂いながら、原っぱのうえを流れていきます。
楽器をもたぬ小鳥たちも、みな飛び立って宙を舞い、原っぱのまわりの木の実や草のリボンたちも、みないっせいに舞い躍っては、光りかがやく五線の糸にすい込まれていきます。


 ヤマブドウの蔓が巻きつけたト音記号が舞いあがり、三本のはたおびをひく、すすきの穂の装飾線がひるがえり、エビヅルの巻きひげの、フォルテのカギがぶらさがり、コメガヤの穂のフラットがひっかかり、しては、ふき抜けの空をのぼっていきます。

 四分音符のヤマウルシの実は、テントウムシの符点をおんぶして。黒い和音をぶらさげたマツブサの実も、八連音符のズミの実も、みんなそろって列をなします。

 あっ、そういえば、四分休符はどうしましょう? 四分休符を用意するのを、わすれました! 指揮者のモズ先生は、ぎくしゃくタクトを振りつづけながら、しまった、と心のなかで思いました。


 と、どうでしょう? しげみのむこうにまだ姿をかくしたまま、ひやかし半分に見物していたカラスたちが、とつぜんこの空中芸にくわわり出しました。

 黒い翼をはためかせ、クモ糸の五線譜に近づくと、大きなくちばしをぱっくり開けて、なんとそこから、しなびたコウモリの死骸をぺっぺっぺっ、いくつもはき出して行ったではありませんか!
 片いっぽうの羽根だけを曲げのばしたままのかっこうで、すっかりひあがっているコウモリのミイラたちは、みな五線のなかほどでぶらぶらひっかかりました。

 モズは一瞬ぎょっとして、その奇怪なおくりものをにらんでいましたが、それがふしぎとクモ糸の五線譜のなかで、うまいぐあいに四分休符のやくめをはたしているのがわかりますと、(やれやれ、助かったわい。‥‥)と、ほっと胸をなでおろしました。

「な、なんたる。いやいや、こうしてはおれんぞ、わしだって!」
 はてさて、これを見ていたヒヨドリのおまわりさんは、いてもたってもいられなくなりました。もう〈職務〉のことなど(そんなものが、はじめからあったかどうかもわかりませんが)すっかり忘れて、にぎやかな音の響きのなかへ、そそくさと入りこんでいきますと、五線の糸のてっぺんに、ところどころ、なにかをのせていきましたよ。それはゆっくりと糸のうえをはっています。……ヒヨドリがおいていったのは、なんとシャクトリムシのトリルでした。
「ふん、でしゃばりめ。」
 指揮者のモズは、思わずむっとしましたが、それでもそこを演奏する小鳥たちは、たちまちたのしげに音をふるわせたり、ころがしたりして、じょうずに弾き方をかえましたので、音楽はかえって生き生きとしました。
「ううむ。」
 モズ先生はちょっぴりくやしそうに息をのんで、何ごともなかったように指揮をつづけました。

 そのうち、音楽はいよいよクライマックスをむかえました。モズ先生は、いつの間に調子づいて楽団にいろんな要求をしていました。

「くそ、流れるようにというのが、わからんかな! どうも音をブツブツ切りやがる。なめらかに、レガート、レガート!」

 すると、どうでしょう? 小川の岸辺で、そっとこのようすをうかがっていた一羽のセキレイがとうとうみのもからさっとおどり出ました。

 スイスイ、スゥーィ。セキレイは、じつにすべらかな波形をえがいて宙を切り、軽々とバウンドしながら空の五線譜を、わたっていきます。あっというまに、みごとなスラーが音符と音符をつなぎます。

 合奏は、たちまちしっとりと、水のながれのしなやかさを帯びました。
「そうじゃ、そうじゃ、そのとおり。」
 モズ先生がうなづきます。
「う〜ん、とってもすてき。」
 カノンとフーガはいつしか目をつむりました。夢を見ているようでしたもの。……

 さいごの和音がふんわり宙に消えたとき、ふたりはようやく目をあけました。

 小鳥たちはみな、おおきな渦を巻きながら、すい込まれるけむりのようにたちのぼり、お空のまん中へ、みるみる姿を消して行きます。‥‥おひさまの、あの光の網のなかへと。


 地上にいた、楽隊の群れも、指揮者も、みんないつのまにか消え去って、あたりはきゅうにしんと静まりかえっていました。

 カノンとフーガはきょとんとして、まわりを見わたしました。さわのせせらぎの音が、林のむこうでおしゃべりするだけです。

「ニャワーン。いま見てたこと、聞いてたこと、みんな夢だったのかな?」
 フーガが、半分ひとりごとのように呟きました。
「グルワーン。ふしぎな出来事だったわ。」
 カノンがのどをならしていいました。……その時です。

 ガラ〜ン、ガラ〜ン。
 教会の鐘が鳴りひびきました。なにかの終わりを告げるように。風によじれて、鐘の音は大きく、小さく、なりながら、なんだかお礼を言うみたいに、とってもうれしそうに丘をかけ降りては、村いっぱいにひろがって、やがて消えていきました。……


 ふたりは、またふと、お空を見あげました。

 さっき小鳥たちが消えていった空に、あのほの白く光るはだか電球のおひさまと、ついさっきまでぴったりとかさなり合っていた、ちいさいわた雲の姿がみえます。

 おひさまのまあるい影を半分ほど、しっぽにうつしながら、だんだんとはなれていった、天使のざぶとんと呼ばれるそのわた雲は、いつのまにおなかの下から、ツゥ、と一本のらせんのすじを、降ろしているではありませんか。すじは、先へいくほどけむりのようにほそくなって、消えています。そのま下には、このチッポルの丘が、原っぱの舞台のまんなかに、かつてないほどくっきりとおひさまの光を一身に浴びて、照らし出されているのです。

 塔の十字架は、なんだかとってもうれしそう。お話したげに、きらきら、ツンツン、またたいてみえます。なにかの合図のように。

 カノンとフーガは、さっきまでの出来事が、ほんとでも夢でも、どっちでもいいなって、思いました。それはどっちも、きっとひとつのことでしたもの。

(ああ、これでいい気持で、ゆっくりお昼寝できる。)って、ふたりはそう思いながら、ノンノンノン。おうちへの帰り道をたどって行きました。カノンはうちまたで、おしりをもちゃげ、ゆうらゆら。フーガはフーガでカチャンコ、カチャンコ。ぜんまいじかけの、小走りに。

 ふたりともシッポをつんと、お空へむかってたてながらね。

 そう、ちょうどだれかさんに、空から糸でつられているみたいに…。

        * * *

 さてみなさん。じつはね、これと同じころ、丘の反対がわの原っぱでは、もうひとつの出来事が起こっていたのですって。‥‥
 それは、こういうことでした。

 ひとりの少年が、枯れ草のうえにねそべりながら、このかすかな、気のせいのような小鳥たちのしらべの出来事を、夢ごこちに聞いていました。そしてそれを吸いとったおひさまと、ちいさいわた雲の重なり合った瞬間を、まぶたの裏であじわっていたのですって。

 じつはその時ふと、少年の口をついて出た言葉が、教会の鐘と重なりながら、詩になって、小鳥たちのしらべのあとを追うように、村ぢゅうに響いて行ったのです。天使のうた声そっくりに。

 そんな風のささやきに、カノンとフーガはすこしも気づきませんでした。ましてやもうじき、自分たちが、この少年と知り合うことなどは、知るよしもありません。

 さて、少年の口ずさんだ詩は、こんなものでした。 



 トゥララ、トゥララ、 ぼくは天使
 いつもきみと いっしょさ
 トゥララ、トゥララ ぼくは天使 
 ここかしこに ただよう

 天の扉あけましょう
 光の糸たらしましょう
 ひつじたちは おどるおどる 
 小鳥たちは うたうよ

 光のうたをまきましょう 
 光の帯をほしましょう 

 気のせいじゃない ほんとさ 
 ぼくはいるんだ きみの目のうら 
 トゥララ、トゥララ‥‥ 


 少年は、なにやらふと口をついて出た、ひとりごとめいた詩を、このときそっとつぶやきましたっけ。……昔から、このあたりを流れていた、なつかしいうたを想い出したようなすがすがしさで。


 さいごに、もうひとつだけ。 


 教会の白い壁のすみに、どこかみなれた娘さんが立っています。壁をはいつくばっている、枯れたツタの蔓べを前に、いろんなかざりつけをしています。

 いえいえ、じつはツタの蔓べを五線譜にして、宿題の音楽をとうとう、作りあげたのでした。もみがらやら、木の実やら、枯れ草の巻ヅルなんか、ぶらさげてね。すすきのクレープの四分の四拍子を、空たかくふりあげながら。

 娘さんは、原っぱの小鳥たちのさえずりをききながらも、頭のなかでさかんに鳴り響いている音楽を、ついさっきまで、楽譜にするのにいっしょけんめいでした。
 教会の塔のてっぺんが、ふいにきらきら輝いたとき、娘さんは丘のうえからこうさけびました。

「ほら、できたわ! おひさま、雲さん。あんたにあげる。とうとう生まれたわ! 宿題だけど、ステキな音楽。あたしがつくったのよ!」ってね。


        * * *

 空をめがけて、らせん状にたちのぼる虹の糸がそっと宙をわたり、村じゅうに響きわたる、教会の鐘の音が、おおきくおおきく手をふりながら、何度もお礼を告げていました。

 そのなかを、かわいらしいふたりの子ねこたちの、ノンノンノン、なかよくならんでお家へ帰る姿が、ゆっくりと原っぱを通り抜けていきました。子ねこたちのシッポは、ときおりうれしそうに、ツンツン、っておどりあがっていました。まるでお空の雲の上から、つられているみたいにね。まあもちろん、気づかれない程度に、そおっとですけれど。

 それから、すこし間をおいて、ひとりの娘さんが、ふたりの子ねこのたどったのと、まったく同じ道のりを、やっぱりノンノンノン、スキップしながら、たどって帰って行くのが見えました。


 その晩、村にみぞれが降りました。

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地上の好きな天使 第一章第1話
 第一章

 第1話 地上とお空の天使をつなぐつり糸の話、あるえかきさんの家


 夜明け。眠りの精が、まだ目を覚まさぬ子ねこのカノンとフーガの耳もとで、こんなふしをそおっとささやきました。


 カノンとフーガは なかよしこよし
 おすましカノンに おとぼけフーガ
 おもてで手まねき ねこじゃらし 
 気になるな
 お空にぽっかり 雲のわたあめ
 気になるな
 かけっこ大好き ここまでおいで
 おはなし大好き ねえ話してよ


          * * *


 お空の天使が、雲のうえであくびをしています。

「つまらないよう。地上へ降りたいよう。かみさま、ぼくに地上のおつかい、おくれよう!」

 お空の天使はそう言うと、ふわふわの雲のざぶとんに、ちょこんとひとりこしかけて、いつものように光のつり糸をたらしては、地上のようすをうかがっています。

 フンフン、だれかがよんでいる
 フンフン、だれかがさがしてる
 フンフン、だれかがおもいだす
 みえない天使、パドのこと!
 地上のおつかい、ありませんかぁ?」

 そう、鼻歌をうたいながら……

          * * *

 そのころ、地上では、音楽の名まえをした子ねこの姉妹、カノンとフーガが、なかよくならんで出窓のむこうをながめていました。
 青いお空をつきぬけて、まっしろいとんがりあたまの行列がにょきにょきならんでそそりたつ、ムラル山脈の、ちょうどおへそのあたりから、けさもむくむくわいてきた、できたてのわたあめそっくりの雲を、みあげています。
 そう、ふしぎな光をにじませた、まるで天使のざぶとんみたいにふかふかのからだを、それは気持よさそうにすいすい泳がせながら、お空のまんなかめがけてやってくる、あのわたあめの雲を、ふたりの子ねこはおいしそうにながめながら、いつものようになかよくならんで、ひなたぼっこをしています。風船みたいに、からだじゅうの毛をいっぱいにふくらましてね。
 そして、これまたいつものように、ふたりして口をあわせてこう言っています。
「つまらないよう。はやくお外へ行きたいよう。お散歩したいよう。カデシさん、カデシの娘さん、はやく窓を開けてよう!」
 ね? お空のだれかさんとそっくりでしょう。

 フンフン、なにかがとんでいる
 フンフン、なにかがおどってる
 フンフン、なにかがかくれてる
 追いかけっこ好き、カノンとフーガ!
 なんか動いてるもの、ないかなぁ?」

 ふたりの子ねこも、そんな鼻歌をいつもうたっているのでした。

       * * *

 カノンとフーガのかい主、絵かきのカデシさんは、けさアトリエで徹夜して、まだ部屋へ下りてきません。カデシの娘さんも、音楽の宿題に追われて、けさがたやっと寝床へついたばかりです。
 家じゅう、しんとしています。ただこの、おひさまの光でいっぱいの、南の白い出窓の部屋だけは、けさもかすかに、じつに気持のいい音楽が流れています。カノンとフーガのために、カデシさんが、明けがた、いつもと同じ用意をしておいてくれましたからね。 

 ナデシコ色のリボンをつけた、茶トラのカノンと、ヒマワリ色のリボンをつけた、三毛ねこフーガは、ふたりそろってお顔をあらい、ふたりそろって後足で耳のつけねをかいてから、こんどはおたがいの背中をなめ合って、きれいにしてあげました。カノンはとってもていねいに、やさしく、やさしく。フーガのほうは、ゴシゴシ、舌でカノンの背中をこすって、あら、もうおしまい。

 それからふたりは窓の外、遠くの青い山脈に、生まれたばかりのそのときは、寝起きの坊やのおつむみたいな、おかしなツノをはやした雲が、いまはようやくまるみをおびて、ふわふわ泡だつホイップクリームほどになりながら、いつの間にやらお山の腕をはなれ、ふもとの町の上空に、ぽっかり浮かびあがったのを目にすると、なんだかちょっとうれしくなって、安心して、そろってホッとため息をひとつ、つきました。

 さてそのあと、フーガはというと、なんだかきゅうに眠くなってきたみたい。おおきなあくびをひとつすると、とちゅうでちょん切れたみたいな、タヌキそっくりのシッポをくるくる回しながら、ちょうどお部屋のまん中で、腕をいっぱいにひろげている、大きなお椅子にぴょんと飛びうつりました。
 どうぞどうぞ! お椅子は、くるりと回転して、ぷっぷかぷっぷかくぼみながら、フーガをおなかのまん中へむかえ入れました。
 それはいつも、カデシさんのふっかりすわるお椅子でした。ちょうどからだが空いていたのです。フーガはちっともえんりょなく、どっかと腰をおろすなり、おや。もうクウクウいびきをかきはじめましたよ。

「あ〜あ、あたしもいねむりしちゃおうかな。でも朝ごはん、まだなんだけどな。それにほら! 窓の外。なんだかまだ、もったいないの。なんかうごいてるもの、ないかなぁ…。」

 カノンはしばらくガラスのむこうでちらちら、いそがしそうに何度もおじぎしあっている、ねこじゃらしのお帽子を、シッポをトントン、しながら見つめはじめました。
「あれ、さわりたいな〜。お散歩、いきたいな! お鼻にくっつけて、クンクンしたいの。グルワ〜ン。」

 カノンはとうとうがまんできなくなって、隣のお部屋ですやすや寝息をたてている、カデシの娘さんのところへとんで行きました。森の子うさぎそっくりに、ふわふわっ、とかろやかに、扉のすきまを抜けていきました。おしりをちょいともちあげて、ながいシマのシッポの湯気を、ゆ〜らゆらゆら たちのぼらせ、その先っぽうは、魔法使いのおばあさんのステッキみたいにくんにゃりと、右に左にまげながら。 

「ねえ、カブリオル! 起きてよう。お散歩したいし、おなかはぺこぺこ。どうにかしてよう! ニャォワ〜ン。」
 カノンはいっしょけんめい、ベッドにからだをこすりつけて、カブリオルにせがみました。でもカブリオルはぴくりともしません。
グルル! こんどはのどをならしてベッドにあがりこむと、カブリオルの鼻をちょっぴり、かんでみました。それでも、カブリオルはびくともしません。
「ンワ〜ン」
 カノンはちょっとムッとしてから、ようやくあきらめてベッドを下りました。

 さて、カノンが戻ってみると、お部屋にはあいかわらず、気持のいい音楽がながれています。今日はやさしくてのどかなヴァイオリン。かすかにふるえながら、空中にやんわりと、つややかな音のカーテンをかけていきます。 

「グルルル」
 カノンがのどをならしながら、出窓にふたたび腰をおろしますと、ちょうど窓辺のコブシの梢におしゃべりのホオジロが舞い降りてきました。
「チュッ、チュルルルル…、ピチュッ」
 ホオジロは、しきりになにか早口でつぶやきながら、枝のあたまを跳ねわたると、コトコト音をたてながら、せわしげに軒へわたっていきました。

 つぎに、カノンが庭のはずれのほうに目をやりますと、おや…? あれはなんでしょう?
あんずの木をよじのぼる一匹のアリが、いまにもずり落ちそうになったまま、どうやら眠りこけているようです。まるで催眠術にかかっているみたい。だってほら、ちょうどアリのあたまの上で枝先を巻きおりるあけびの蔓が、からからにかわいた枯葉の振り子を、チック、タック、かすかにふるわせながら振っていますもの。……

 カノンは頭を低くして、じいっとそのようすをうかがっていましたが、そのうちもう間もなく、自分も、まぶたをとろとろ重くする、眠りの精のささやきにまけて、ほうら…。もうすっかり身をまかそうとしています。……なでしこ色のリボンをつけた、のどが、ごろごろ鳴っています。

* * *

 天使のパドは、高いたかーい雲のうえ。
 またひとつ、大あくびして、仕事のあいまのひと休み。今日も地上に光のつり糸をたらしています。
「なんかすること、ないかなあ? ぼくをよぶもの、ないかなあ。ぼくに気づく子、いないかなあ?」
 そういって、パドはうんと首をのばすと、雲の下をのぞきこみました。
「アァ。ぼく、お空の天使なんか、いやだよう。何かのかたちにさせてよう。かみさま、ぼくに地上のおつかい、おくれよう!」 

 パドは、地上が大好き! だって、地上にいくと、いろんなかたちになれるんですもの。

 あまずっぱい匂いをさせて、辺りいちめんに漂ったり、わあい、わあ〜い。野辺いっぱいにわらい声をひびかせながら、透きとおったからだで、元気よくあちこち跳(は)ねまわります。そうかとおもえば、きゅうに息をひそめて、じっとそのあたりの風景になりすましていることだって、できるのです。それが、あんまりじょうずに、すっかりとけこんでいるものだから、パドが降りようと降りまいと、何にも変わりはなかったように、辺りをしんと静まりかえらせながら!

 そうなのです。パドは目にみえない、なにやらそこいらじゅうにあるもの、になるのです。そこいらじゅうのものになって、生まれることができるのです。

 まったくパドときたら、知らない間にだれかの目のうらにはいりこんで、そっとはたらきはじめたり、まばたきのすきに、あちこちでフッと宙返りするのが大好きでした。それはもちろん、地上でなにかが生まれたり、よみがえったりするためです。そしてじっさい、そういうことが、天使のほんとのお仕事のようにも、おもえました。

 だけど近ごろはたいてい、そんなご用はありません。だあれも、そんなことしてほしいなんて、思っていないようなのですもの。それで、今は自分が降りて行くかわりに、こうしてつり糸一本で、地上とつながっているのです。いつもひとりぽっち、お空のきまった仕事をしています。ま、半分は遊びながらですけどもね。
そう。パドはひまつぶしの天使です。それに、いいんです。いまはまだ、どうせからだもなしに、だれにもみえないんですから。

 お天気のよい日の、天使のパドの一日は、お空へ自分をはこんでくれる、雲のざぶとんをひとつ、つくることからはじまります。

 朝、ムラル山脈のおなかの どこかのへそに、クモの糸ほどに透きとおった、一本のふしぎな糸を、パドはポーンと投げ込みます。たねいととよばれるその糸は、へそのお池にたちのぼる、ドライアイスさながらの、冷たい、冷たいけむりのなかから、むくむく、むく。毛糸の手ぶくろそっくりな、芽を出して、ふくらんで、やがてパドのすわるのにちょうどよい、ざぶとんほどに大きくなります。

 パドはつり糸のしっぽにつかまりながら、よっこらしょ。さっそく雲によじのぼると、さっき放ったたねいとののこりを、ぐるぐる巻にたぐりよせ、お空へもって行きました。こうしてお空のあちこちで、つり針のさきをくるくる回し、雲のあかちゃんをつくっておくのです。するとそれはひとりでに芽を出し、いろんな形の雲になって漂います。

 パドは、つり糸で、お空にらくがきだってするのです。ぐる〜んぐるん回しては、お山のてっぺんに雲のベレー帽もつくってあげます。お山のふところに、なんだかばかにあつぼったい、長いたまごをかたどりますと、やがて大きな口をあんぐりあけた、クジラのばけものそっくりの、灰色の雲ができあがります。ちょっとお行儀わるいけれど、びんぼうゆすりしながらたねいとを放つと、いまにもしびれそうな色をした、電気クラゲの坊やも生まれてきます。お山の脇腹にうっすらとひいた足のおびをたなびかせながら、気持よさそうに泳いでいきます。

 サッサッサ、つり竿のかぎ針でひっかいた、それはそれは細いきずを、お空につけてならべていけば、たちまち箒ではいたようなすじ雲になり、やがてふとって木琴になり、もっとふとって散らばれば、牧場で遊ぶヒツジの群れにも変わります。

 ときには、自分のわたあめの雲のあとを、いろんなかたちの雲の子分に、ついてこさせるときもあるのです。キリンやカメや、めがねや壷や、アラジンの魔法のランプだって、とってものっぽのソフトクリームだって、みんなへいへいって、ついてきますよ。

 そんなふうに、ひまさえあれば、どこまでいってもつきあたらない空のがよう紙に、パドはいろんな雲のらくがきをします。まあ、あんまり調子にのりすぎると、お天気をわるくしてしまいますけどね。

 とはいえ、天使はお空で、お仕事だって、いちおうちゃんとしています。

 お天気の日のパドの当番は、朝、日ざしのつり糸で、みんなを起こしてあげることからはじまります。
 雲のうえから、パドは日ざしのつり糸を、ぽーんと地上のあちこちに放ります。まずはムラル山脈のすそを流れるトネリコの小川に落としましょう。すると、どうでしょう?凍りついていた小川は、さらさら、ひたひた‥ラムネ色のおどりをはじめますよ。そして元気よく、あちこち跳ねあがりながら、トネリコの並木が手をふって見おくるなかを、クロンプロンの黒い森にむかって流れていきます。
いってらっしゃあい! パドも、手をふって見おくりました。


 さて、こんどはつり糸のさきを、ムラル山脈のふもとの、それはそれはひろびろとした草原のまんなかに、ポツンとひとり、お空を見あげて立っている、パラボラアンテナの鼻先へ、パドはこっそりたらします。そして、コチョコチョ、コチョ‥、ってくすぐるのです。くしゃみをしない程度にね。するとパラボラアンテナは、
「ふあ〜っ、あ〜あ。」なんて、あくびしながら、ひらめみたいにのっぺらぼうの顔をゆっくりともたげ、一日中かかって首をひとまわりさせます。ずいぶんのんびりした一日ですこと! でもなにしろ絶対に眠ってはいけないお仕事ですもの。すこしは、たすけてあげなくっちゃね。

 さて、やがてパドのざぶとんの雲は、ムラルのとんがり山脈にわかれをつげ、いよいよふもとの町の上空を漂いはじめます。このころになると、すきまだらけの雲のざぶとんも、ようやくふかふかにととのいはじめ、パドはほっとひと安心です。

 町の仕事は、いたってかんたん。パドは、左右の肩にチョコレートの三角帽をちょこんとのせたうつくしい時計台のま上から、たてもののまん中にぐんとそびえる白い塔へ、つり糸の先をそっとたれると、たいくつそうな時計盤のおひげを、もしもし、って、つってあげます。なあに、ちょっと元気をつけてあげるだけのことです。もちろん、日ざしのつり糸ですもの、だれにも気のせいにしか思えません。
 と、キンコーン、カーン。時計台の鐘が、生まれかわった声で、たからかに朝を告げます。すると、あとはもう町中のものが次から次へと跳ね起きて、からくりじかけの機械のように、カタカタ動きはじめます。目覚まし時計がジリジリリン。役所のサイレンもウウーッ。トースターがチン、テレビはペチャクチャ。やがて織物工場の機械たちも、カタコト、ゴットン動きだし、化学工場のエントツからは、黄色い煙がぷっぷかぷっぷか。列車の汽笛も、おはようって、あいさつしながらせわしげにキイキイ声までばらまいて、朝もやのなかへ消えて行きます。……

 さ、これでおしまい。

 町をすぎると、いよいよお空のまん中へ。‥‥パドの大好きな、チッポルの丘のある村にさしかかります。


 夏のあいだ、こんもりとエメラルド色にふくらんでいたなだらかな丘は、今はすっかりやせこけて、あのまばゆい色をおとしていますけれど、あいかわらず草はぼうぼうで、おじいさんのおひげのように、からからにかわいた金銀の毛を、いっせいに波打たせています。

 丘の上には、赤いとんがり屋根の教会が立っていて、あいかわらず塔のてっぺんには、十字のこんぺいとうをひとつ、いただいています。パドはこの塔のこんぺいとうに、光のつり糸をたらしては、ツンツンするのが大好きでした。まるでほんとのお星さまみたいに、キラキラするんですもの。そのおかげで、なにかいいいたずらも、つい、ひらめいてしまいます。 

 こうやって遊ぶためなら、パドは午前中のさいごのお仕事だって、よろこんでしちゃいます。

 まずは、クモの糸で織りあげた、洗濯したての光の帯のほし物を、丘へむかって降ろします。光の帯のほし物は、ときどき風によれるたび、もう間近にせまるおひさまのおかげで、真珠色のまぶしい光をあたりにはねかえします。そうして、雲間から降ろした帯が、ちょうどまっ直ぐになるころには、パドは大好きなもうひとつの、さいごの仕事にかかります。

 ざぶとんの雲が、おひさまとぴったり重なるその瞬間、まあるいレース編みそっくりの、クモの巣みたいな光の網を、パッ、といっきにおひさまめがけて投げかけるなり、いそいでそこいらじゅうにはりめぐらし、地上いっぱいに吊すのです。光の帯のほしものがおっこちないよう、気をつけながら。なにしろ、このときばかりは忙しいのです。

 でもパドは、この瞬間がなによりいちばん好きでした。パドがこの仕事をしますと、たちまちチッポルの村一帯が、おひさまの、それはそれはあかるい光を注がれるのですもの。なかでもとんがり屋根の教会をのせたこの丘は、いっとうまぶしく、原っぱの舞台のまん中に、なだらかなその姿を、くっきりと浮かびあがらせるのでした。それもちょうど、パドが塔のてっぺんをツンツンしたとたん、塔の鐘がガラーン、ガラーン。パドそっくりのわらい声で、村ぢゅうに鳴りわたるそのときに、です。
パドはつい、拍手しちゃいます。そしてうっかり、光のつり糸を落としそうになるのでした。
 ああ、あぶなかった…。ともかくこの瞬間を、パドは地上のできるだけたくさんのものたちに、見てもらいたいなって、いつも思ってます。
「下からみあげると、ぼくののってる雲のわたを透かして、おひさまのかげは、いま虹の輪みたいに映っているかな? 真珠色かな。雲のふちどりは金色かな? ああだれかぼくのかわりに気づいてくれればいいのだけど。」ってね‥‥。

 さて、これがいつも、お空の雲にのって、パドがするお仕事のすべてでした。


 けさのパドはしかし、まだちっともそこまでたどりついてはいませんよ。だってついさっき、ムラル山脈の長いとんがりあたまにさようならをして、やっと町の上空に浮かびあがったばかりでしたから!

 町は、とくにつまりません。だって町はいつも、パドのつり糸がはじめのきっかけをつけてやれば、あとはもうかってに動いていきますもの。それからはもう、だあれもあたりを見回しもしなければ、ふと空を見上げもしません。だいいち、お空と地上のあいだには、ちかごろなにやらうっすらと黒い膜がかかって、みんなとパドのあいだをふさいでいます。
ときどき青白いけむりが立っては、おかしなにおいもさせています。
天使や〜い、ってよんでる子なんていやしません。いくらつり糸を振ってみせても、だめです。ぐる〜ん、ぐるん、空中旋回させてみたって、だれひとり、振り返ってもくれません。どうやら、糸の気配すら、感じていないみたいです。するとますますパドのご用はなくなって、空のたかみにおいやられ、空の上と下とは、どんどん遠くへだたってしまいました。もとはひとつだったのに、いまははなればなれ。もう、自由に行き交えないなんて、ほんとに残念なことです。

 つり糸一本でいいから、これを通して、ほんの一瞬でも、だれかその光の糸をたぐったり、振り向いたり、ふとお空を見上げてくれないかなあって、それがいまのパドの、望みなのですけれど。

「いったいどうして天使は天のくに、なんて決まっちゃったんだろ? 天使なんてもんは、光の輪っかに真珠色の羽根でもはやして、はだかんぼうで雲のうえにでものんびりすわってりゃいいのさ! だってそれが〈天使〉ってもん、なんだろ? まったくやつらは、幽霊にさえ、なりそこなっちまったんだから。ほんとにただの、〈えそらごと〉さ。なあんて、だれか言ってるんじゃないかなあ! ぼく、ほんとうにさびしいよ。」

 パドは町のうえへくるたび、そう呟くのです。

 けれども、けさのパドはすこし、ようすがちがいます。なかなか上機嫌(じょうきげん)に、きまりきったお仕事でも、することができます。

「こんなときは、きっとだれかが、どこかで、この雲のようすをみているんだ。そうしてきっとこの下で、ぼくとそっくりの気持でいるにちがいないのさ。ぼくの気配を感じながらね! ぼく、なんだかいい予感がしてきたぞ。」

 そんなひとりごとを言っている間に、ざぶとんの雲は町をぬけ、ようやくパドのお気に入りのチッポルの丘が、原っぱの金のおひげにくすぐられながら、心地よさそうにひなたぼっこしているのがみえてきました。

「わあい、丘や〜い!」 パドはいよいよ元気になりました。
「生きものたち、みんなどうしてるかな? みてみようっと。」

 パドは、雲のポケットから望遠鏡(ぼうえんきょう)をとりだすと、低い町のすそを遠まきに巻いて、森とならんでくねくね、村へとたどりつく、トネリコの小川の片いっぽうの上流を、じぐざぐ、さかのぼりました。それからトネリコの小川にそっておい茂る、すすきの野原をよこぎると、はるか遠く、ちょうどパドが出てきた山脈の反対がわに、八つの首をぬっともたげた竜のお山、ジムリ岳のふもとあたりを、でこぼこ追いました。そして、大好きなチッポルの丘をながめ、丘のうえの小道をじぐざぐのぼり、やがてポツンとちいさな、オレンジ屋根のおうちの、お庭あたりをぐるぐる、見わたしはじめました。

 なんとなく、パドがいつも気になっているオレンジ屋根。ジムリ岳の草むらにうずもれた、クマイチゴの粒のように光っている、一けんのおうち。そう、パドはもう何度となく、望遠鏡でここをのぞきこんでいるのです。なにかにさそわれるみたいにね・・・。

「フンフン、なんかいいこと、ありそうな!」 
 と、ふと思いついたように、パドは今日こそねがいを込めながら、えい、って光のつり糸を思い切り、投げました。つり糸はぐんぐんのびて、そのかぎ先は、ついにオレンジ屋根のおうちの庭に下りました!

 さあ、それからはもう、家のまわりぢゅうにたれさがって、軒をわたる小鳥のようにおしゃべりしたり、振り子の催眠術みたいにチクタクゆれたり、出窓のむこうのだれかさんの、あたまのなかや、おめめの奥に入りこんで、キラッと閃いたりしましたよ。それはそれは、せわしなく。
 そのあと、パドがじっとして、ようすをうかがっておりますと、つり糸は、反応があるのをしめすように、ぴくぴく、ふるえはじめました。

「えっへへ。だもの、このあたりには、やっぱり何かがあるのさ!」
パドはもううれしくなって、目をきらきら輝かせました。

 さてみなさん、この家にいったいだれが住んでいて、この時、いったい中で何が起きていたか、もうわかりますよね。
そう、もういちど物語のはじめを、思い返してくれればいいんですもの。……


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| Rei八ヶ岳高原 | 19:46 | comments(0) | trackbacks(0) | | - | - |
地上の好きな天使 主旨とあらすじ
地上の好きな天使  主旨とあらすじ


聖寵というもの。また聖寵(超越)と地上の存在(身体的存在/主体)との関係を述べる哲学ファンタジー。基本的には匿名性を帯びたものが主題なため、――一応便宜上パドと命名はしたものの――特定の主人公はない。
ここで言う天使は聖霊、聖性を帯びた息、というところと思えるが、この場合子供が読んでもわかりやすくするために天使というイメージで代替。天使は地上(人間の身体・世界)から離れて天上に隔離されたままでいるもの、それ自身で完結したもの(眼に見えるもの・対象的存在)ではなく、あくまでも地上・人間の身体・生命の自発性との関係においてある(=見えるものを見えるようにするところの)もの、ということをメッセージとした。
逆に言うなら身体的存在も、地上的な場のみで自己完結できない、閉ざされない=閉じ「られない」存在であり、聖性・天の息(共生と自発性の両立をねがう力)へと開かれている。
人間とは天の息(身体的存在のもつ真に自由で自律的な自発性および共生感覚へと働きかけるもの)と無意識(場合によっては魔性・闇の部分も含みうるが同時にそこから脱しようとする働きも含まれるとする)との、現働的および潜在的働きあい、内即外という原理によって成り立っている、という考えを、童話的に――もしくは童話風に――イメージ化した。くだいた口調になるように自分なりに工夫はしたが、「童話として」読まれることを主眼としていない。
子供らしさ、という大人による固定観念から書いたつもりはないし、哲学的テーマを帯びているからといって、この物語が子供にとって、または童心にとってはたして難解かどうか、自分自身としては結論を下していない。



第一章
聖寵における主体(地)と超越(天)――聖性(純粋贈与への自発性)の働きをイメージ化した章。
天使のがわは、地上になにか働きかけたいと思い受肉(生成または呼びかけ=応答の成立可能性)のきっかけを欲している。また地上では、生成=表現(人間;画家で描写)、または生成=純粋贈与への自発性(子ねこや少女、鳥たちで描写)として聖性との交感可能性を欲している。これはひとつのことがらである。ここにおいて、同章に登場する地上の生きものたちが描く天使像――天使(聖霊)の姿を見ること(=可視化願望)や、出会い、贈りものをとどけ-受けとってもらう、(=対象化願望)――などは、すべて挫折する。これをもって、聖性とは、可視的なもの・対象的なものでなく、生成/表現(ある種の構築作業、be=become ※正確にはまったきイコールではない)を通じて地上のひとりひとりに受肉するもの(見えているものを「見える」ようにするところのものと、その働き)であることを示唆。地上が大好きで、地上の色々なものになり変わりたいと思っている天使の空でのようすと、何かうつくしいものをお空に感じそそられている地上――画家のおうち、画家のカデシさんの娘さんと猫たち。または周囲の鳥たちや生きもの――のようすが描かれる。

第1話…絵描きのカデシさんのおうちとその周辺には、地上に降りたくさせられるなにかを、いつも感じる天使の、お空でのようす。原っぱのまわりには、地上に降りて形をとれそうな何かがある。

第2話…周囲の鳥たちが、ある日のお空のあまりのたえなるうつくしさになにかを感じとり、虹色の雲がおひさまに到着するタイミングを見はからって原っぱで音楽会をひらく。この時、天使は地上に降りてみんなの心に宿るが、みなはそれに気づかない。自分たちの奏でる音楽が天使にとどいたかなぁ、天使に会えないかなぁと思ってしまう。

第3話…ある日クモと出会った子ねこのカノンとフーガは、この辺りの様子をうかがう天使についてのうわさを耳にする。天使の垂らすその光のつり糸は、じつは自分たちのつむぐ糸だとクモは言い、この辺りにすむものはみな天使に会いたがっているのだ、と子ねこたちに告げる。そのうち、クモの糸とみんなの白い羽根で織った天使の羽根を、天使にプレゼントしようという計画がもちあがったと、クモは子ねこたちに報告する。

第4話…天の川のすばらしい夜に、カデシさんの家の周辺の生きものたちみんなでつくった天使の羽根を、天使にプレゼントする。みんなはいっせいに飛び立ち、天使はみんなの心に降り宿るが、みんなは会えたという実感がわかないし、受けとってもらえ喜んでもらえたかどうかも、はっきりとはわからずに、降りてきてしまう。



第二章
孤独と彷徨の魂(男の子)が救済=他者・共生・(一時的な)居場所をもとめるようす。また、超越がある主体への受肉のきっかけを求めてその入口としての地上の一点をアトリエに見出し、ここに降天するようす(この際、降天は画家自身の表現行為・生成と不可分に描出、「形をとる;be=become」)との章。天使が画家カデシさんのアトリエに降り立ち、地上のある彷徨に疲れた男の子として(あらためて)画家のアトリエをたずね、ここに仮の居場所を見出す、という出来事をつくることを欲し、画家がこれにこたえ、互いにきっかけをつくり合う。孤独にさまよう男の子が救いをもとめ、たんぽぽの精にみちびかれて、あるアトリエをたずねるきっかけを得る。また、同じころ、天使のパドが画家カデシさんのアトリエにこっそり降り立って、あんまり居心地がいいのですこし長居をしたくなる。そこで、地上のある男の子になってこのアトリエをたずね、ここで家のみなと友達になり、しばらく一緒に過ごす、という出来事のきっかけを、天使パドと絵かきのカデシさんとでつくりあげる。


第1話…孤児でさすらい人のオトノムが、たんぽぽの精と出会う。たんぽぽの精は、このあたりのようすをうかがう天使のうわさを話し、また心のどこかで居場所をもとめているオトノムに、カデシさんのアトリエに遊びに行くよう誘う。

第2話…天使のパドはある時、画家のアトリエにこっそり降り立ち、絵を描いているカデシさんと背中越しに話をするうち、地上のある男の子として画家のアトリエをたずねてカデシさんとその家族に出会う、という出来事をおこすきっかけをつくる。パドはカデシさんのある絵の中にクモの姿を借り、しのびこむことを決心する。



第三章
魔界(現実社会のある疲弊した側面、絶対者支配と抑圧・疎外の世界)の描写と、魔界に居つつもそこから聖性へむけて離脱しようとする力-存在の擬人化(疲弊した社会から疎外され抑圧された、良心をもつ小さい悪魔として表象化)。および、天使と悪魔の(閉じられない)シャボン玉における合体というイメージによる、主体と超越の関係の描出と、生成=受肉(「今・此処」の成就。と同時に、超越の退隠)の章。アトリエにおける天使と悪魔の合体(決定的瞬間は描かれない)=男の子としての受肉=男の子のアトリエ来訪へとむすびつく。天使のパドが画家のある絵の中から、魔界――絵の中の世界――を脱出したいとねがう悪魔の子の声をききとり、その子の地上(画家カデシさんのアトリエ)への脱出を助ける。カデシさんの娘カブリオルの分身の妖精とクモを、使者として絵のなかへおくる。めでたく魔界を脱出した小さな悪魔は、天使のパドといっしょに閉じられないシャボン玉にのってアトリエで遊ぶ。カデシさんの描く少年の絵が出来上がる瞬間、ひとりの男の子となってあらわれる(男の子のアトリエへの訪れ)。

第1話…天使パドは、カデシさんのアトリエの中のある絵に、悪魔のくにと小悪魔ニムリムをみつける。悪魔のくにはいじめにみちたひどいくにで、小悪魔ニムリムはみんなからひどい目に合っている。なんとかこの国から脱出できないかと思っている。

第2話…小悪魔ニムリムは、魔王からひどいおしおきをうけていたが、妖精エシャッペに手伝ってもらい、悪魔のくにを脱出する。

   (挿入エピソード1・小悪魔ニムリムは、魔界脱出のとちゅう、天使パドとシャボン玉のなかで合体することを、どこからともなくきこえる声により教えられる)

   (挿入エピソード2・路上詩人オトノムが道ばたで眠りこけているのを、カデシさんの娘カブリオルによって見つけ出される。偶然幼なじみだった二人は久しぶりに出会う)


第3話…閉じられないふしぎなシャボン玉のなかで、アトリエゆうらんしながら、天使パドと小悪魔ニムリムは秘密のおしゃべりをかわす。

第4話…カデシさんの描く少年の肖像ができあがるちょうどその時、少年オトノムがカデシさんの娘カブリオルといっしょにアトリエに登場する。アトリエでのみんなのだんらんのようす。パドはいつのまにやらお空へかえっている。


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| Rei八ヶ岳高原 | 19:24 | comments(0) | trackbacks(0) | | - | - |